美味しさいろいろ

晴れ。寒かったり暖かかったり。こんばんは、古川琴音です。

俺は美味しいものを食べるのが好きで、人生の悦びを構成する大きな要素になっている。美味しいものを食べるのは誰でも好きだと思うが、俺は特に好き、つとめて美味しいものを食べに行動する。ただ、何をもって美味しいとするかは趣味により、育ってきた環境により、体調により様々だ。土井善晴先生は「現代では、美味しいものというのは味が濃いもの、強いものというイメージもあるが、本当は"軽い"。体にスッと入ってくるものが美味しいものだ」と言っていた。代官山のパティスリー、イル・プルー・シュル・ラセーヌの故弓田亨氏は、美味しさとは栄養素を多く含んでいること、嘘がなく自然なものだと語っていたような気がする。サシの入った和牛よりも噛みごたえのある赤身の方が美味しい、野菜も昔の野菜に近いものの方が美味しく、人間の手でデザインされた美味しさを否定していたような気がする(気がする、というのは、氏の著作を読んだわけではなく、10年以上に氏の講義を聞いた記憶に依るからだ)。焼肉は塩の方がうまいとか、高級イタリアンを食べるとサイゼは食べられないとか、まあいろんな言説があるわけだが、いち消費者としては、色んなレイヤーの美味しさがあり、シーンに応じて適切な美味しさを選択することが最も効率的に人生を楽しめる気がする(なんて穏当なテーゼ・・・)。先日、かなり高級な部類のイタリアンを食べる機会があったが、複雑な味の層とそのバランスに感動した。素材も料理も一流、大変美味しかったのだが、コンビニのミートソースとかグラタン(イタリアンではない)も食べたらやっぱり美味しい。一貫400円くらいのちょっとお高い回転寿司も、スシローもそれぞれの良さがある。高級な料理は、やっぱり旨みの濃度が高いとか、味の要素が多く、複雑な層が波のように立ち上がるとか、色々と説明のしようがあるのだが、安価な日常のご飯には高級食にはない嬉しさがある。なんというか、しょーもなさが体に染みるというか。甘い!とかしょっぱい!グルタミン酸!みたいなシンプルな味の要素がダッシュで飛び込んでくる。ありがたい、おいしい〜とため息をつく。高級な料理は複雑すぎて美味しさに辿り着くまでに数秒かかる時がある。日常的なご飯は0.02秒、舌についた瞬間に美味しい。経験値の差もあるだろう。俺が常に高級料理を食べていれば、安価なご飯は単純すぎかつ味が濃すぎで食べられないかもしれないし、複雑な料理を理解するスピードも上がるのかもしれないが、そんなにいい暮らしもしていないので、分相応と分不相応を行き来して楽しんでいる。

ところで、普段食べるものはなるべく味の要素が少ない方が嬉しい。これは好みの問題なのだが、例えばチョコでも、ベリーのソースが詰まってるとか、オレンジピールがどうの、みたいなものよりチョコを固めました!って感じのものが好きだ。クレープも、最近はバターシュガーばかり食べているし、お肉を炒める時などもなるべく調味料は減らしたい。牛丼とかラーメンとか、やっぱりいい。あましょっぱい!お肉!みたいな。だから、たまに高級な料理を食べると、あれも乗せましたこれも乗せました的な料理が出てきて一瞬怯むのだが、食べてみると、乗っけているそれぞれの食べ物が自分の役割を全うしており、そのバランスになるほどと思ってしまって、これはいいなと思うのである。

というようなことを、ファミチキバーガー(専用バンズのやつ)を食べながら考えていた。ファミチキバーガーは最高だ。いつも思っていた、レタスもソースもピクルスもいらんな〜、パンと肉でいいな〜、肉がもっとジュワジュワだといいな〜・・・全てをファミチキバーガーが解決した。柔らかなパンからほとばしる脂、申し訳程度のタルタルソース。これ以上引けない、バーガーの最小単位。ハンバーガーを食べる時、(ハンバーグとご飯のほうがいいな〜)と思うこともあったが、ファミチキバーガーはちがう。ファミチキとご飯も悪くないが、ファミチキバーガーはファミチキだけで食べるよりずっと美味しい。ありがとうファミリーマート