全ての子供達に、おめでとう シン・エヴァンゲリオン劇場版

※このブログは、ネタバレには一切配慮せず、読者が、既に旧劇および新劇エヴァをすべて見終えた前提で文章が書かれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エヴァを語るとき、大きく二つの方向性がある。

ひとつは、設定と世界観を深堀りする方向。膨大な専門用語が入り乱れ、説明不足のまま展開されていく事象について、どうしてそうなっているのかを考察する方向だ。

俺もこの手の考察は大好きだが、アニメだけでなく、インタビューや漫画、ゲーム、絵コンテなどの諸資料が必要になるため、専門のyoutuberさんたちに任せることにする。

 

今回は、もっぱら二つ目の方向、即ち物語が訴えんとしているテーマについて考える記事になる。とはいえ、どうしても設定や制作上の都合と抵触する部分もあり、俺自身が設定や制作事情を読み違え、結果として物語の解釈が異なっている場合もあるかもしれないので、適宜、目をつぶるなりつぶらないなりしてもらえたらいいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「他者」という語彙は、「他人」と同じではない。

 

辞書を引けば、おおむね「他人」と同じ意味内容が記載されているが、その運用は大きく異なる。

主に哲学の文脈では、他人と言うときには、単に自分と親密でない存在者、表層的なオブジェクトを目指すことが多い。

他者と言うときには、概して、わたしではないものを目指す。

世界の遥か彼方からやってきて、わたしと対峙する未知

わたしを対象化し、相対化する神

わたしを否定し、矮小化し、排斥する脅威

わたしを認め、信じ、愛する福音

わたしを定義する補助線

を目指して用いられる。この奥行きは話者によって異なるが、ともかく、「他人」のことではないのだ。

迂闊に「他者」を用いている人も見かけるが、「他人」と使い分けるとすれば、上記のように区別されるだろう。

 

 

 

エヴァンゲリオンの新劇場版シリーズが完結した。

セカイ系の金字塔、ロボアニメの異端児、中二病的語彙の大名行列、キャラ萌えの見本市・・・・様々な文脈で語られるエヴァであるが、本質には、旧劇から一貫して、わたしと他者の物語があった。

エヴァの中で語られる「他人」という言葉は、明らかに「他者」の意味内容をもって語られている。エヴァの場合、「他者」として指示されている人物が極めて具体的(シンジなら⇒ユイ、ゲンドウ、アスカなど)であるため、「他人」と呼んでも機能するのであるが、平坦な語彙でもって、わたしではない、分からないなにかを意味しようとしているのは、エヴァを見終えた諸姉諸兄は既知のことと思う。

 

さて、新劇エヴァは、旧劇を踏まえて、新しいエヴァを創り出すため、スタートからして大団円を目指してつくられた。

旧劇から大きくルート変更されたのは、破のゼルエル戦。

わたしが消えても代わりはいると諦観する綾波に対して、綾波綾波しかいないと救いに出るシンジ。あまりに熱い展開に何度見ても涙腺が緩む。

このシンジの行動は、結果的に新劇エヴァを貫く、人間の”意志(独語でwilleヴィレ)の力”を表現していた。

結果としてニアサードインパクト(劇中の描写が不足しており各種考察が存在するが、とりあえずシンジのせいとする)が起こり、世界が滅亡しかける。救世主たるシンジは大虐殺を行った罪人となった。

 

そしてQ、時間は14年経過し、知っていた人は自分を置き去りに大人になり、知らない人からは憎まれている。色彩豊かな世界は真っ赤にコア化し、人類は絶滅間近だ。

孤独と絶望の淵でカヲルと出会い、「槍でやり直す(鉄板ギャグ)」ため奔走するが、ゲンドウの企みにより、カヲルを喪い、再び世界を滅亡の危機に直面させる。

もはや生きる希望がなくなったシンジは、アスカに手を引かれ、シンへと繋がる。

 

 

 

テレビ版・旧劇でも、カヲルの死はシンジの心が壊れるきっかけだった。

ゼルエル戦でレイを喪い、アラエルによってアスカは精神崩壊寸前。

その中で初めて出会った好意、唯一の希望だったカヲルの自らの手で殺したことでシンジは追い込まれていく。

そして、アスカの死を目撃することで、人類補完計画を発動させるに至る。

 

Qのラストおよびシンの前半のシンジは、旧劇で人類補完計画を導いた時と近い状態にあっただろう。自己否定、他者の拒絶、世界の拒絶、デストルドーの増大。

自分のせいで世界が壊れ、カヲルが死んだ。自分は何もできない、何もしない方がいい。

エヴァを見てきた人間なら、シンジがふさぎ込むなんて親の顔ほど見た光景だが、今回はアスカが、辛辣かつ的確にケツを叩いていく。

シンジの心情を全部言い当てて、「メンタル弱すぎ」と吐き捨てる。何もそこまで言わんでも・・・と思うくらいズタボロに言うわけだが、観客も20年以上もふさぎ込んだシンジを見続けてウンザリしていたところでもある。

もっとも、この時のアスカには、自身がこの14年で既に乗り越えてきた孤独と絶望をいまさら蒸し返されたようでイラついたところもあっただろう。

今回のアスカは、綾波と同じく、エヴァに乗るために作られたクローン人間であった。あまりに唐突かつ、「え、そうなの・・・」と言うしかない設定変更で、もはや誰もツッコむ気さえなくなっているところだが、旧劇では母親の愛の獲得のためにエヴァに乗っていたアスカは、新劇では、そもそもの生存理由からエヴァに乗った。さらに、破で使途に浸食され、(多くの考察好きたちが予想した通り)使途化したアスカは、変化のない存在(=永遠の平穏)(=人間存在としての死)に近づいていた。しかし、14年の間で、彼女はその孤独をある程度は受け入れて、前へ進む決意をした。

そんなアスカにしたら、いつまでもウジウジとしているシンジの子供っぽさがいたましくもあり、鬱陶しくも思えるのだろう。

 

さて、新劇最終章たる今作では、シンジたちが保護された、第三村での生活に大きく時間が割かれている。

多くの人が指摘しているように、この第三村での時間は、傷つき、希望を失ったシンジの、あるいは庵野自身のセラピーの時間である。

第三村は、非常に原始的な共産制社会をとっている。みんなで食べ物をつくり、共同で風呂にはいり、画一的な住居に住み、食料は分配され、権力による統治がない。

共産主義者が見たら落涙のうえ、天を仰いで合掌するであろうユートピアだ。

そこにいる人たちは皆、善意の人ばかりである。かつて同級生だったトウジとケンスケはじめ、他の住人たちも、全くのよそものたるシンジと黒綾波を温かく迎え、ともに生きようと手を差し伸べる。

第三村の暮らしの中では、新たな生命にかかるモチーフが繰り返し登場する。妊娠し、のちに出産した猫、トウジとヒカリの娘のつばめ、トウジが受け持つ妊婦(マツカタの奥さん)、田植え。生命が誕生することは、世代が次へ繋がる希望、不可逆的な時間の進行、その先にある旧世代の死が連想される。

もうひとつ、第三村のパートで強調されるのは、挨拶だ。黒綾波がヒカリに、挨拶について繰り返し尋ねる。ヒカリは、おまじないだと答える。他者と共に生きていくためのおまじないなのだと。第三村の人々の会話では、挨拶が非常に多い。おはよう、ありがとう、さようなら。しかもこれらのセリフは、相手に伝わるようにしっかりと発音されているように見えた。また、ヴィレに戻ったあとでも、挨拶の言葉は、単体でしっかりと発音されているように感じた(アスカのただいま、ミサトのありがとう等)。挨拶は、他者と生きていくためのおまじない。他者がいるから挨拶をする。挨拶をすることで、わたしは他者と生きていくと宣言をする。挨拶をするのは、他者を受け入れた人間だけなのだ。

第三村の暮らしの中で、黒綾波は急速に人間性を獲得、他者を認識し、感情を認識し、世界を、居場所を認識した。そしてそれを、シンジに分け与え、シンジが立ち直る手助けをした。黒綾波の問いかけに、シンジは慟哭する。どうして放っておいてほしいのにみんな優しいんだ。黒綾波は答える、あなたが好きだからだ、と。この会話は、旧劇のラストシーン、アスカの首を絞めるシンジが、そのアスカに頬を撫でられたシーンに近い意味合いがあったのではないか。他者に受け入れられる感覚、他者と生きる一歩を踏み出した瞬間。

第三村での暮らしにもどったシンジは、トウジと会話をする。ヘタレのガキでは生きていられなかった、大人にならなければならなかった、自分は自分の落とし前をつけるのだと回顧するトウジ。この辺で、本編開始から50分くらいである。既に今作で言うべきテーマはほとんど語られたように感じた。そしてシンジは、最後の試練に向かう。黒綾波の喪失だ。

綾波の、率直すぎる好意は、シンジにかなりの安らぎを与えたはずだ。黒綾波と破の綾波を、断固として区別していたシンジだが、名前を求められた際に、綾波綾波だ、と答える。これは、破綾波から乗り換えたというよりも、黒綾波を、破綾波のニセモノではなく、新たなひとつの人格として、それなりの好意をもって受け入れた表明だと思う。

そして、綾波は消える。他者と生きていく挨拶を残して。またあなたと出会えますように、と残して。

ちなみにこのシーンだが、中盤なんかでやってくれるなというくらい泣いた。初見時には思わず「ダメだ綾波・・・ダメだ!ダメだ!!」と叫びそうになったものだ。

綾波の死を、シンジはどう受け入れたのだろう。さんざん涙をこぼしたであろう描写はあったが、トウジをはじめ第三村の人々と触れることで、シンジは自身の落とし前をつけることを決意する。

「自分と同じ喪失を体験されるのも息子のためか」と冬月はゲンドウに尋ねる。ゲンドウがどこまで思っていたかは不明だが、シンジのセラピーは、他者の愛に触れること、他者と手を取り合うことを経て、他者の喪失の克服をもって完了する。

テレビ版は、「僕はここにいていい」と、”わたし”を認めたところで終わるし、旧劇では、”わたし”の向こう側にいる他者の手を、やっとの思いで握ることで終わる。新劇では、本編中盤にして、とっくに旧世紀の到達点を越え、人々のために生きようとするのだから、テレビ版もしくは旧劇のシンジであれば、この時点で物語は終わっていたであろう成長っぷりである。

 

そして、ゲンドウとの決戦。旧劇では、シンジを中心にロンギヌスの槍を使って人類補完計画が行われたが、今回は、ロンギヌスに相当する新たな槍①を使って人類をコア化(≒旧劇でいうLCL化?)した後、ゲンドウが中心になって、人類補完のおかわりを行おうとする。何故そんなまわりくどいことをするのか?

旧劇では、シンジを追い詰めるだけ追い詰めて、もう死にたい全部消えちゃえ、という気持ちにすることで、人類補完を達成しようとしていた。ところが新劇のシンジは、成長し、他者のいる世界を受け入れた。もはやゼーレやゲンドウが望む、生命のコモディティ化など願うような男ではなくなってしまった。然るに、ゲンドウ自らが世界を書き換える必要性がでてきたのだ。

南極到達以降の、地獄の門、裏宇宙、ゴルゴダオブジェクトなど、怒涛の超展開については、あまり考えないことにした。もはやここまで来たらあまり問題じゃないように思えてきたからだ。こういったことは考察班の研究報告を待つに限る。

ゲンドウとシンジの、バキよろしく、世界の命運をかけた親子喧嘩は、シン・ゴジラで実写映画を経た庵野の、実験的な映像演出の連続で描かれる。虚構と現実を同等の存在にするエヴァ・イマジナリーの中で、虚構の戦い、精神の戦いとしての演出意図と、新しいアニメ映画の表現というクリエイティビティの奔流を体験した後、物語は、エヴァの終焉、他者の救済へと突入する。

 

テレビ版から通じてすべての黒幕であった碇ゲンドウ。その目的は(相も変わらず)ユイとの再会だ。

ゲンドウがセラピーを受ける側にまわることになるとは、これまでエヴァをみてきた諸姉諸兄には衝撃だっただろう。そして、あんなに饒舌に、素直に独白をつづけるゲンドウなんて、と。

けっきょく僕と同じだったんだ、とシンジは言う。

孤独が怖い、他人に嫌われたくない、傷つきたくない、僕に優しくして、でもだめなら、みんな死んじゃえ。

父さんがこわい、父さんに捨てられた、父さんに傷つけられた。

テレビ版25・26話や、旧劇でシンジが繰り返し慟哭してきたことだ。

ゲンドウにとっては、ユイの存在が、閉塞した世界に青空を見せる大きな通気口となった。ユイこそが他者そのものであり、ユイだけが世界の通路だった。それを失ったいま、もはや人類すべてを犠牲にしてでも、これを取り戻すよりない、というのがゲンドウの目的だった。ついでに、旧劇から繰り返しテーマになってきた「ヤマアラシのジレンマ」を解消し、他者の苦しみのない世界をつくること、悠久の平穏、変化がない均質化した世界の創生を。

結果、ミサトの決死の行動、存在しないはずの新たな槍②の出現により、世界の書き換えの主導権がシンジに渡ったこと、既に自分のいる地点を乗り越えたシンジの成長を見届け、シンジの中にユイを見つけることで、次代へ繋ぐことを選び、ゲンドウは物語から退場する。

その後、アスカの救済。アスカは、旧劇と同じく、「わたしを褒めて、わたしを認めて」が本懐だった。それを救うのがまさかケンスケとは、カップル厨の皆様いかがお過ごしでしょうか。シンジは、旧劇のラストで彼女の首を絞めたあの海岸で、アスカに別れを告げる。ありがとう、さようなら、と。

そしてカヲル。唐突に登場した加持さん(この登場についても諸考察あり)に、シンジを幸せにすることで自分が幸せになりたかったことを看破される。そして、既にシンジが立派に成長し、自分なしでも幸せに生きていけることを確信し、加持と共に去る(生命の書、渚司令などについてはここでは触れない)。

最後にレイ。レイの望みは「碇くんがエヴァに乗らなくていいようにすること」だった。レイは、黒綾波が第三村を気に入っていたことを伝え、レイにはレイの居場所があるはずと説き、エヴァのない世界(もう巻き戻さない、とも)をつくることを約束する。

 

そしてネオンジェネシス。シンジなりの人類補完が始まる。シンジとしては自分の命と引き換えにやるつもりだったろうが、親の最後の務めと、ユイとゲンドウに押し出されることになる。

エヴァがなくなり、コア化された地球も、サードインパクトでインフィニティに書き換えられた人類も、加持が保存した生命の種たちも戻り、呪縛から解き放たれたシンジとマリが駆け出して、物語は幕を閉じる。

 

 

 

エヴァは、わたしと他者の物語である。

テレビ版では、他者からわたしが定義されること、他者がいる世界で、わたしがいていいことを確認し、

旧劇では、他者と生きることを決意し、

新劇では、他者と生きていく世界で、世界が流転すること、次代へ繋いでいくことが描かれた。

 

旧劇と新劇の大きな違いはなんだろうか。旧劇だって、他者と生きていこうというメッセージだったと受け取っている。新劇はそこからさらに進めて、他者のために生きることを説いたにせよ、方向性が大きく異なったとは思わない。決定的な違いがあるとすれば、それは、他者の描き方だろう。

 

旧劇での他者の現れ方は、あまりにも悲観的・厭世的だった。醜い部分や汚い部分をこれでもかと見せつけた。たくさんの人間が死ぬことで、喪失の痛みを描いた。最後の最後まで、アスカに拒絶をさせた(「あんたとは死んでもイヤ」「きもちわるい」)。結果的に、拒絶としての他者であるアスカ以外はLCLから還らなかった。

旧劇を見た多くの人にとって、それでもシンジが「もう一度会いたいと思えたから」といって他者と生きる世界なんですよかったね、とは、ならなかっただろう。多くのオタクが、他者との通行不可能性を受け取った。シンジの慟哭に共鳴した。みんなが孤独の快楽に、論理の美しさに、寂寥の静けさに浸った。痛みと苦しみこそが真実なのだと思った。世界は拒絶の他者と、彼岸で溶け合った他者と、あとは砂浜だけなのだと思った。オタクだらけの劇場を大画面で映し出され、虚構で現実の埋め合わせをするなと叱られても尚、わたしの孤独と無力でもって世界を諦めることに陶酔した。旧劇は、希望を描いていたにせよ、絶望の絵の具を使いすぎていたのだと思う。

そこへきて新劇は、特にシンは、希望の色がたくさん使われていた。ところどころ全く理解できない用語や設定が存在するものの、物語の進行は、かなり平易な言葉で説明されていた(わざとだと思う)。伏線もかなりの部分回収されたし、おおむねみんな幸せになった(アスカはついに五体満足で世界にかえることができた)。破で感じた希望を、あらかた表現しきってくれたように感じた。

焦点は、この希望の色をどれだけ信じられるか、だろう。

 

第三村の営みは、人間の善意なしにはあり得ない。住人たちが進んで協力しあい、受け入れ合い、支え合わなければ成り立たない。

食料が配給制と聞いた時点で、俺には既に、配給をめぐるいざこざや、配給側の傲慢、住人間の軋轢が描かれるのでは?と懸念した。それに、ああした親密な共同体では、よそものは往々にして鼻つまみ者になる。プラグスーツを着て、名前も分からない黒綾波、ニアサードのトリガーとなり、第三村全員の敵であるはずのシンジ、ゲームばっかりして(食料がいらないにせよ)労働をしないアスカ。誰がきっかけになって追い出されてもおかしくない状況だが、住人は純然たる好意でもって迎え、彼らに施しを与える。

また、突如としてヒロインとして台頭してきたマリの存在もある。破で出会ってから、シンジとの会話は数回。なんならシンで初めて名前を名乗ったにもかかわらず、アスカもレイも差し置いてメインヒロインに躍り出た。なぜ?いつの間に?シンジは何もしてないのに何でマリに愛されるのか?

 

旧劇が、他者を悲観的に描きすぎているのであれば、シンは、他者を楽天的・楽観的に描きすぎているようにも感じる。

さらに言えば、「絶望していた少年が、他人の温かさに触れるうちに心を取り戻し、みんなを守るために戦い、仲間の死を乗り越えて世界を救う、そして他者と手を取り、前を向いて歩いていこう」なんて、実に陳腐な着地と言えばそうも言えるかもしれない。穿った言い方をすれば、庵野、お前は結婚したからいいが俺等は結婚してねーぞ、なんて。実際、ツイッターを見てるとこうした意見は見られるし、「俺にはマリはいない」という意見はあった。

 

ただ、俺としては、あのエヴァが、ヤマアラシの針の痛みをイヤというほど叩きつけたエヴァが、最後にこうした着地をしたことの意味を重大なものとして受け止めたい。

旧劇の終盤、シンジはユイの魂と会話する。

幸せがどこにあるのかまだわからない。だけど、ここにいて、生まれてきてどうだったのか、これからも考え続ける。だけど、それも当たり前のことに何度も気付くだけなんだ。自分が自分でいるために。

シンジがいう、自分が自分でいるために気付く、当たり前のこと。それはやはり、他者の存在のことだろう。他者と生きていくこと、他者に規定されることで描かれる自分と、自分が規定することで描きだされる他者の、その相互補完性のことだろう。

 

 

 

他者は曖昧で、不安定で、なにもしてくれないし、共に生きるにはあまりに頼りない。わたしはどうだろう。わたしは無力で、孤独で、なにもできない、ひとりで生きていくには心細い存在だ。

わたしと他者の間にある絶望的な断絶を等閑視することはできないだろう。他者とは分かり合えない。分かり合えないことが他者の他者たる要件だ。わたしと他者が共有しているつもりの世界など、理念的な了解、いつだって破ることができる、その場しのぎの口約束にすぎないのだろう。

それでもわたしは、わたしの意志で、他者の手を取り生きていくのだ。わたしには他者が必要だから。わたしは他者を信じることでしか生きていけないし、他者の愛だけがわたしを救ってくれるからだ。他者だけが、わたしを繋いでくれるからだ。

 

縁が君を導くだろう

これは、Qの終盤、死を覚悟したカヲルがシンジに送った言葉だ。

このカヲルの言葉はシンでも繰り返されるのだが、もうひとり、縁という言葉を使う人物がいる。ケンスケだ。シンジとまた生きて出会えたこと、そしてシンジとゲンドウの関係について、縁という言葉を使った。

縁、平易な語彙であるが、仏教においてその奥行きは広い。縁とは、単なる偶然のみを意味する言葉ではない。この世の全ての存在は縁によって生起し、滅していく。混沌を秩序に、不条理を道理に接続する唯一の縫い糸だ。しかし縁は、線であるが点ではない。縁は、道程を受け持つが、目的地そのものではない。縁は、わたしと他者を出会わせるが、仲介するわけではない。わたしと他者の間に起こることは、わたしがわたしの意志で、他者が他者の意志で起こすことだからだ。そうして、わたしと他者が交差した地点から新たな縁が始まる。

 

人の死と思いを受け取れることが、シンジの成長の証だった。

それはわたしが、わたしの意志で他者を、その痛みも喜びも引き受けること、そしてわたし自身を、他者へと繋いでいくことだ。

第三村は、他者の、というより、わたしを含めた人間の善性そのものの表現なのではないか。それがどれだけ空想的に見えたとして、その善性が我々にないわけではない。他者に愛がないわけではない。わたしにも、あなたにも。

 

 

 

ところで、どうしてマリENDだったのだろう?

まず、推測なのだが、この作品は、カップリングそのものにあまり関心がないように思えた。

ミサトと加持、トウジとヒカリ、そしてアスカとケンスケ。

大事なことは、他者同士が分かり合い、愛し合い、命を次代に繋ぐという営みそのものであり、それが誰と誰であるかはあまり大事じゃないと考えているように見えた。

そのうえで、マリでなければならばならなかった理由を考えよう。

アスカではだめだっただろうか。シンジよりはるか先に”大人”になったアスカ、成長したシンジに対してやっぱり好き!となるルートは?・・・ないだろう。アスカとシンジにとって、お互いに「好きだったよ」と言って決別することが、彼らの世界を前に進める。もはや二人の恋は過去のことなのだ、それが過去であることが、いまと未来を創っていく。

レイではだめだっただろうか。破であれだけ入れ込んだレイだ。碇の幸せを望む女性だ。だめなのだろう。なんで?いいじゃん!俺はレイルートがよかった!(本音)とはいえ、レイはユイのクローンにしてリリスのコピー、つまり母親にして神なのだし。また、ネオンジェネシスによって、エヴァの中じゃない、新しい居場所を与えようとしたときに、シンジ自身との関わりがない方がいいと考えたのだろう(なんで?結婚したらいいじゃん!)。でも結局、カヲル君と付き合ってたね。第一使途と第二使途で付き合う感じね。なるほど。

マリは、マリというキャラクターは、考察班の予想通り、ゲンドウとユイの、研究室時代の仲間だったようだ。エヴァの呪縛により時間が止まっているが、ゲンドウと冬月の三人でユイを救おうとしていたのでは。そして途中で裏切り「イスカリオテのマリア」となった。イスカリオテとは言うまでもなく、キリストを裏切ったユダの通称である。マリアとは、イエスの母マリア、ではなく、イエスの死と復活を見届ける「マグダラのマリア」を指す説が有力だ。つまり、ネオンジェネシスにより世界が書き換えられる中、唯一、シンジと共にその創生を見届け、シンジと同じ時間軸で生きていく人物となった。マリは、旧劇にはいなかった人物だ。新劇に突如として現れ、最後まで行動原理がわからなかった、謎めいた人物だ。そのくせ明るく、ひょうきんで、人間愛がある。また、キャラデザインの段階で、レイやアスカと違い、庵野の魂ではなく、鶴巻監督の魂が込められている(パンフレット内、坂本真綾のインタビュー内で、マリの演技指導等は鶴巻監督に任せられていた旨の発言)。その意味でもマリは、エヴァという作品にとっての他者だった。エヴァの外部の存在だった。エヴァという”わたし”を導くのも、やはり他者、ということだろうか。(マリはユイのことを本当に愛していたので、ユイの子供であるシンジを特別大事に思っている、という線もあるが、ラストのシンジのセリフからしても色恋に発展しているような雰囲気がある・・・)ともかく、カップリングそのもの、要するに誰と誰が付き合ってるかなんて、そういう個別具体的なことはあまり重大なことではなさそうだ(と考えているようにみえた)。

 

 

 

最後に、もういちど、シンエヴァを通じて俺が感じたことをまとめて終わりにしたい。

エヴァは、わたしと他者の物語だ。テレビ版でひとりで立ち、旧劇で他者を見つけ、新劇では共に歩くことができた。

旧劇の人類補完計画では、庵野作詞による、甘き死よ来たれが流れる。

 

 

時間を戻せたらいいのに。

罪はすべて僕のせいになってしまったから。

愛した人たちからの信頼なしには生きられない。

過去の出来事、愛や誇りを忘れることなんてできない。

それが僕を殺していくんだ。

 

シンでは、松任谷由実のvoyagerが、林原めぐみの歌唱で流れる。

 

わたしがあなたと知り合えたことを、

わたしがあなたを愛してたことを、

死ぬまで死ぬまで誇りにしたいから。

 

他者に対する、シンジの認識の違いがここに現れている。voyagerの上記歌詞が、過去形を用いていることを注目したい。知り合い、愛したことは既に過去のことになっている。つまり、ここで「死ぬまで誇りにしたい」ことは、美しい思い出であると同時に既に喪失の痛みを伴っているものである。それでもなお、わたしは、あなたという他者を、あなたにまつわる過去を、いま、そして未来まで誇りにしよう、というわけだ。

この、フィクションの世界ではもはや凡庸ともいえる人間賛歌を、エヴァが最後に歌い上げたことを、あなたはどう受け取るだろうか。

シンジは、「イマジナリーではなく、リアリティで既に立ち直った」。全てのエヴァを串刺しにしたうえで、さあ、あなたはどうする?そう問いかけられているように感じた。

 わたしは、望むと望まざるとに関わらず、縁に運ばれ、他者と出会う。そして、わたしは他者の一部を、他者はわたしの一部を引き受けて、また新たな縁の交差点へと向かっていく。そこでわたしが何を受け取り、何を渡すか、これだけだ。これだけがわたしの意志だ。

わたしの意志で、他者との現実へ歩みだす全てのチルドレンに、おめでとう。

 

トイストーリー4、あるいはトイストーリーという物語について

トイストーリー4は、公開前のはるか昔、「つくられるらしいよ」という段階から既に、必要あるのか、やらなくていいのでは、”3”の余韻を大事にしたい、という消極的な意見が多く聞かれた。

 

とはいえ、トイストーリーはディズニー・ピクサーを代表する看板作品。”2”も”3”の続編も知名度が高く、(アラジンやリトルマーメードといった往年の名作も実は続編があるのだが、評価はおろか存在さえ知らない人も多い、、、俺も見てないが、、、)ファンたちに広く受け入れられてきた作品だ。

かくいう俺も、トイストーリーは1の公開当時から見ていたし、”2”での新しい出会いに心ときめかせ、”3”の大団円に涙を流したクチだ。4の公開決定とティーザー予告などを見れば、どうしたって心が躍る。”3”の先にどんな物語があるのか?ボー・ピープはどんな形で登場するのか?あの新キャラはなに?

 

そして公開されてみると、どうも様子がおかしい。大名作トイストーリー、絶対に外さないコンテンツの続編のはずが、鑑賞者の顔が優れない。晴れやかな意見もあるが、どんより曇り空な声が多く聞かれる。何かがおかしい。

 

劇場で観賞後、俺は、今までにない気持ちになった。

たかが映画、しかも子供向け映画である。一度みれば、物語の骨子はつかめるし、込められたメッセージの妥当性、演出の巧拙など、おおまかな感想くらいは持てるつもりだし、今までもそうだった。

ところが、”4”を見た後は、賞賛も落胆もできない、何も言えない、「評価保留」をすることにしたのだ。これまで映画を見た後にはなかったことだ。

いや、正直に告白すると、”4”のあの衝撃的なラストシーンについて、見た瞬間、見終わった直後、俺は、自分が今まで積み重ねてきたトイストーリーの世界、ウッディというキャラクター像について、すべてを覆されたように感じた。もっと言ってしまえば、「裏切られた」とさえ感じたのだ。しかし、そうした衝動的な感情と同じくらい、「なぜ?どうして?」と、分析的な疑問が湧いてきた。これは冷静さというよりも、むしろディズニー・ピクサーへの希望、トイストーリーを愛したいという祈りのような情動だったかもしれない。

 

観賞後、仕事を適当にしながら、会社のデスクで考えていた。なぜ?どうして?ウッディとはなんだったか?トイストーリーとはどういう物語だったのか?

最後に過去作をみたのはもう覚えていないくらい昔だ。考察のスタートは文献にあたることである。そこで、トイストーリー1~3を再度見て、さらに”4”ももう一度観賞してから、1年半ぶりにこのブログを更新することにした。

 

 

では、”4”の物語の流れを追いながら、感想を書いていこう。

既に”1”~”4”をすべて見た前提で書いていくので、

ネタバレなどには一切配慮しない。未観賞の人は注意されたい。

また、”4”単体だけでなく、トイストーリーとは何だったかを書いているので、長い。今どきのネットに向かないコンテンツである。

 

 

 

 

 

”4”は、”3”の9年前、ボー・ピープがほかの人に譲られていく日から始まる。

アンディの妹、モリーが成長し、もはやボーに興味を示さなくなり、ボーはもらわれていく。

ウッディは(いつも彼がそうするように)ボーを助けだそうとする。みんな一緒にいよう、大丈夫だと呼びかける。しかしボーは、ウッディの助けを拒否する。これがおもちゃの運命、わかっていたことだと。自分はアンディではなく、モリーのおもちゃだから、と。ウッディ、なんとここで、一瞬、ボーの段ボールに乗り込み、一緒に逃避行しようとするのだが、彼を探しに来たアンディを見て、ボーに背中を押され、彼女と別れる決意をする。「アンディにはあなたが必要だから。」と。

 

その後、”3”を経て、ボニーと仲良く暮らしていたウッディだが、どうもボニーの自分への関心が薄い。他のおもちゃはたくさん遊んでもらっているなかで、自分が遊んでもらう回数は減った。そこへ、ボニーお手製のおもちゃ、フォーキーがやってくる。フォーキーはゴミから作られたため、自分をゴミだと思っている。どうにかして自分を捨てようとするフォーキーだが、彼がボニーの大事なおもちゃだとわかっているウッディは、彼をゴミからおもちゃへ育て上げるべく奮闘する。フォーキーは勢い余って、ボニー一家のワゴンから外へ飛び出すが、ウッディは彼を取り戻すため同じく外へ飛び出す。

フォーキーを取り戻す道中、子供と遊ぶことを夢見るおもちゃ、ギャビーギャビーや、持ち主のない”迷子”のおもちゃとなったボー・ピープとの出会いを経て、ついにボニーの元へフォーキーを届けるが、ウッディは最後に、ボニーのところへ戻ることをやめ、ボーと二人で流浪の旅に出ることにする。

 

おおまかな話の流れはこんなところである。

”4”の最大の焦点、ある人は涙し、ある人は怒った、この物語を決定づけるポイントは、ラストのウッディの選択である。

ただでさえ自分への興味が薄れているうえ、フォーキーというかけがえのないおもちゃを手に入れたボニーに、もはやできることがなくなったと感じたウッディは、ボーの手を取り、仲間たちと離れることを決意する。

「新たな旅立ちだ」「するべきことを離れ、やりたいことを選んだウッディの背中を押したい」という肯定的な意見もある一方で、否定的な意見も聞かれる。

この否定的な意見(すなわち、俺が最初に感じた感想)について考えたい。

なぜ我々は、この最後のシーンについて「ウッディらしくない」と感じたのだろうか。

 

ここからしばらく過去作の話をするので、既にみたという人は下へスクロールしてほしい。

 

”1”を思い出そう。20代後半の世代が、幼少時代にワクワクしながら、笑い転げながらみた、好奇心とユーモアにあふれたあの映画は、バズとウッディの出会いから始まった。

ウッディは、自分がアンディの一番のおもちゃだという強い自負があるが、一方でおもちゃの宿命である”飽きられ”が視野をかすめている。ウッディの立場をおびやかすバズに対して、ウッディは敵意むき出しで、机と壁の隙間に落として閉じ込めようとする。そのドタバタの中で悪童シドに捕まり、そこから力を合わせて脱出するという流れだった。この中でバズは、自分がスペースレンジャーではなくおもちゃだと自覚し、新たな”役割”に目覚めることになる。アンディの部屋に戻ったウッディは、愛しのボー・ピープから祝福のキスの嵐をうけ、バズを仲間と受け入れて物語が終わる。

”3”や”4”を見てから”1”を見ると、冒頭にアンディがウッディと楽しそうに遊ぶシーンで涙することになるのだが、それはさておき、”1”で確認できたのは、ウッディが、アンディのおもちゃとして強い自負を持っていること、ボーとはめちゃくちゃ仲いいことだ。特に前者については、(当時は感じなかったが)病的なまでの執着を感じる。

 

さて、次に”2”を振り返ると、実はアンティークとしてとんでもない価値を持っているとわかったウッディ。コレクターに拉致されて、設定上の仲間であるジェシー、ブルズアイ、プロスペクターと共に日本に売り飛ばされそうになるが、自分はアンディのおもちゃであるとしてこの誘いを拒否し、ジェシーともどもアンディのもとへ戻る。

”2”では、おもちゃの新しい側面に焦点があたる。「子供を喜ばせること」ではなく、それ以前の「商品」としての側面だ。そもそも買われなければ遊べもしない。そんなおもちゃの存在価値は、もはや飾られることしかない。不人気キャラだったプロスペクターが、箱付きでようやく価値があることになるあたりもリアル。

ウッディは、結果的にはアンディのところへ戻るが、一度は日本へ行くことを決意している。理由としては(ジェシーやブルズアイにほだされたこともあるだろうが)、おもちゃが持つ二つの”役割”を天秤にかけたのだと思う。「子供を喜ばせる存在」として、どんなに楽しい時間を過ごしても、子供はいつかおもちゃに飽き、捨てられる。そんな辛い道を選ぶよりも、「アンティークアイテム」として、多くの人に愛された方が素晴らしいことだと、一時的にではあるが、ウッディはそう判断したのだろう。

しかしバズの説得に判断を翻し、最初の”役割”を選択しなおすのである。そしてジェシーとブルズアイにも、失われていたおもちゃの”役割”を再び与えることで生きる道を示したのであった。

 

”3”では、ウッディたちは、運命的な選択を迫られる。

大学生になったアンディは、もはやおもちゃを必要としなくなった。「子供を喜ばせる存在」であったおもちゃたちが、その相手を失ったらどうするのか。

サニーサイド保育園はひとつの回答だ。ひとりの子供に執着しては、必ずいつか捨てられる。そうであれば、子供しかいない場所で生きればいい。

自分たちがアンディに捨てられたと勘違いしたジェシー達は、サニーサイド保育園をユートピアだと感じたが、年少組の子供たちとの過酷な遊びと、保育園を取り仕切るロッツォの圧政に苦しめられる。当初、アンディのもとへ戻ることを無意義だと主張していたジェシー達だが、アンディが自分たちを大事に思っていたこと、捨てようとしたわけではないことが分かると、保育園からの脱出を決意する。その後、ウッディの活躍でアンディの家にもどり、おもちゃたちはボニーのもとへ渡される。

”2”で、おもちゃの”役割”についての信念を固定化したウッディと仲間たちだが、”3”ではこの信念、つまり「子供のそばにいて喜ばせること」について揺さぶりがかけられる。子供は大人になり、おもちゃは捨てられる。子供が離れていってしまうことについてジェシーは既に経験済みの事象であり、だからこそ日本へ渡ろうとしていた。「誰かのおもちゃであること」は常にこうした不安がつきまとう。いつか必要とされなくなる日が来た時に、おもちゃたちはどうするのか。おもちゃの本分は子供を楽しませることであるにも関わらず、だ。

結果的に、”3”でおもちゃたちは、屋根裏部屋にしまわれることにした。アンディのおもちゃとして生きることを全うするため、なにもすることもないまま、いつかアンディに、またはアンディの子供に遊んでもらう日を夢見て、暗い屋根裏で眠ること。これがおもちゃたちの選択だった。普通に考えて、これはなかなか過酷なことだ。当てのない希望だけを糧に過ごす暗闇の毎日は、苦しくつらいものになる。アンディと共に新天地へ赴くことになったウッディも、彼は彼でつらいものがある。これまでずっと一緒だった仲間たちと別れ、自分だけがアンディのそばにいることの罪悪感もあるだろう。

そこでウッディは、ボニーに譲り渡されるという方法で、上記の長く続く不安を回避した。ウッディだけがアンディについていくこともできたが、仲間のおもちゃたちと一緒にボニーに譲られることを選ぶ。ラストシーンで、アンディがボニーと遊ぶシーン、二人の想像力がおもちゃたちを動かすシーン、そしてその後のウッディの別れのセリフには何度見ても泣かされてしまう。

 

 

さて、長くなったが、上記3作を踏まえて、ようやく”4”の話である。

”4”のラストシーンでのウッディの選択がなぜ「らしくない」と感じるのか。二つの理由を考えた。

ひとつめは、彼が仲間のおもちゃ達と離れるというアイデアを持っていることが驚きだったのだ。いつだってウッディは仲間と一緒にいることを重んじた。”3”で屋根裏部屋にしまわれるときも、「みんな一緒なら大丈夫さ」と繰り返していた。シドの改造おもちゃ達に活路を与え、ジェシーに新しい居場所を用意し、ロッツォでさえ助けたあのウッディが、仲間を離れて、久しぶりに会った元カノとよろしくトンズラするなんて、あまりに身勝手だと感じてしまう。

ふたつめは、過去3作を通じて、ウッディが「誰かのおもちゃ」であることに固執してきたことと合致しない点だ。”2”でも”3”でも、ウッディには、アンディのおもちゃであること以外の、魅力的な選択肢が用意された。その先にはもしかしたら豊かな未来が待っていたかもしれない。しかしウッディは、「自分はアンディのおもちゃだから」という理由によってそれらを断る。サニーサイド保育園では、園児たちとの新しい暮らしを想う仲間たちに向かって、「アンディが俺たちを大学に連れて行きたいとか、屋根裏にしまいたいとか、そう願うならそうするのが仕事だろ!」とまで力説している。ここまで、「誰かのおもちゃ」であることにこだわっているウッディが、”4”ではずいぶんあっさりとボニーを離れてくれるじゃないの、という気持ちになるのだ。

 

”4”で、ボニーが初めて幼稚園へ行く日、彼女を見守ろうと提案するウッディはまるで保護者のようだ。こっそりボニーについていき、フォーキー誕生に立ち会い、ボニーの幼稚園デビューを後押しする。彼女が生んだフォーキーに対しても、もはやバズと出会ったときのような敵意はなく、フォーキーが一人前のおもちゃになるために世話焼きに奔走する。これらの献身について、ウッディは「内なる声がそうしろというんだ」と語る。

当然、鑑賞者たる我々は、これがボニーへの思いやりである一方で、ウッディが自分の存在理由を保持するための行動であることに気付く。ボニーにとって必要な存在であり続けないといけないという強迫観念めいた思考に支配されているウッディに、ボーは「迷子なのはあなただ」と指摘する。

その後、ギャビーギャビーとの会話の中で、ウッディはアンディとの日々を思い返す。フォーキーと引き換えに、彼はギャビーにボイスボックスを渡す。声を失うのだ。「子供の友達」としても「アンティーク」としても大きく価値を失うが、ボニーのため、そして恐らくはギャビーのためにも、これを決意する。

そしてウッディは考える。自分の”役割”について、未来について。

ついに自分が必要とされなくなる局面がきた。

実は、この問いかけは既に”3”で為されていたものだった。

ジェシーがエミリーに、ロッツォがデイジーに、デューク・カブーンがリジャーンに捨てられたこと、そしてアンディが大人になりおもちゃ達と離れること。

子供とおもちゃの別離という避けがたい運命について、”3”でウッディはアクロバティックに回避して見せたが、今回はそうはいかない。

”3”までのウッディ像を強く信じるファンは、こういう結末を望んだかもしれない。

ウッディはボーと別れ、仲間たちとボニーのもとへ戻る。ウッディは遊んでもらえたり遊んでもらえなかったりするが、他の仲間たちと仲良く暮らし、また新しい持ち主(アンディの子供だと最高)のところへ譲られていく、と。

もしこうしたエンディングだったら、俺は初見でスタンディングオベーションをしただろう。しかし、しばらくしてこうも考えるかもしれない。「面白かった。しかし、”3”で終わっていてもよかった」と。

過去作を見直し、もう一度”4”を見たことで、俺は感想を固めた。ウッディの決断は、ある意味では確かに、これまでのキャラクター像を壊すものかもしれない。しかし、また別の意味では、”4”から過去の作品たちを逆照射することで、トイストーリーという物語の抽象度をあげ、奥行きを持たせることができたのではないか。あの選択がなければ、もしかしたら単なる懐古趣味の映画だったかもしれない。トイストーリーという物語が前に進むためには、あのエンディングが必要だったと考えるようになった。

 

ところで、最近のディズニーは説教臭く、思想が強いことで有名だ。

アナ雪のレズビアン説、ズートピア、アラジンの実写化でのジャスミンソロ、アベンジャーズエンドゲームでのトム・ホランド護衛隊など枚挙に暇がない。

昔のアニメのわかりやすい物語構造やハッピーエンドを愛する者にはのど越しが悪すぎるのだが、これについて少し書いておきたい。

やはり欧米諸国におけるポリティカル・コレクトネスの高まりと、これへの同調圧力のすさまじさが影響しているだろうな、海外は日本よりずっと大変なんだな、と同情する気持ちもある一方で、ディズニーが担う使命について考えたりもする。

ディズニーがこれまで、あらゆる作品で作り出してきたわかりやすい物語構造(囚われの姫君と勇敢な王子、勧善懲悪、幸せなキスをして終わり)、これこそが現代に差別の根源であり、正すべき悪例だという考えがある。おとぎ話とは、時代を越えればえてしておぞましい怪談に見えるものだ。また、物語はわかりやすくシンプルであれば受け入れやすいものだが、現実はそうシンプルではない。眠れる姫君にキスをすれば強制わいせつ罪なのである。

ディズニーは、数多のおとぎ話を世に送り出し、人々に夢を与えてきた。それは一方では、その夢にそぐわない現実を捨象する営みでもあった。だからディズニーは、新しいおとぎ話を作り出す必要に迫られたのだと思う。時代に沿った、新しいフォーマットを持った物語を創造しなければならない。ディズニーが提供してきた夢を”アップデート”しなければならない。我々は既に、旧フォーマットの物語にすっかり慣れ親しんでしまっているから、新しいフォーマットの物語に強い違和感を感じる。我々観賞者も、新しい時代の物語を受け入れる準備をしなければならないのだと思う昨今である。

 

新しい世界の物語を創造する中で、トイストーリーも例外ではない。今まで、アンディの部屋でウッディの帰りを待つだけだったボーは、腕がとれても気にしない勇敢でたくましい女性にアップデートされた(”4”のボーのなんと美しいこと!戸田恵子の熟練の演技もあいまって、素晴らしいキャラクターになったと思う。女性推しというフェミサイドへの目配せはうっとおしいものの、キャラクターとしては、頼りになって物わかりもいい、本当に魅力的な仕上がり。俺は”4”のボーだいすき)。

物語全体でいえば、”4”のラストシーンによって、トイストーリーという物語が逆説的に骨子を得たような気がした。

ある人は、「”4”は親が子離れする物語だ」と語っていた。言い得て妙だ。だがそれは、ウッディだけの時間軸に注目した感想で、実際はもう少し射程が広いように思う。

”4”単体でみれば、ウッディやボーの対極で物語を支えるのがギャビーだ。ギャビーは、アンティークショップに訪れる少女ハーモニーと遊ぶことを夢見る。ギャビーにはそうなる自信もあったのだが、結果、ハーモニーに気に入られることなく置いていかれてしまう。失意のギャビーだが、その後、迷子の少女を勇気づけ、彼女のおもちゃとして生きていくことになる。まさに”1”から続くおもちゃの本分を最後に体現したキャラであった。

誰かに必要とされることは、生きていく上で大きな力になる。そのためでないと動けない人もいるくらいだ。おもちゃ達は、必要とされるために生まれた存在であり、皆、いかに自分が必要とされるかを考えている。”2”では、子供ではなく大人たちに、”3”では不特定多数の子供たちに必要とされることでおもちゃ達は存在理由を探っていた。

人に必要とされたとき、そこには状況に応じた”役割”が生まれる。トイストーリーでは、おままごとでの役割分担であったり、子供の慰め役だったりするが、我々人間の世界ではどうだろう。友達、恋人、家族、親子、上司、部下etc....社会生活では、いつだって我々は何かの”役割”を担うことで生きている。ウッディが率いてきたトイストーリーという物語は、「”役割”の物語」言い換えると「人が人に必要とされることの物語」だと読めるようになってきた。そして”4”は、「新たな”役割”の物語」であると。

それを象徴するのがフォーキーである。ゴミから生まれたフォーキーは自分をゴミだと信じてウッディの手を焼かせるが、実はそれはフォーキーの”役割”なのである。「僕はご飯を食べるためにつくられた、それが終わればゴミになる。」それが彼の存在理由であり、ウッディ達が子供と遊ぶことと同列の観念として彼の中にある。そんなフォーキーは、ウッディによって、自分がおもちゃだという自覚を持ち始め、ボニーのそばにいるという新しい”役割”を見出すことになる。

そしてウッディは、誰かのおもちゃとして、その子を助けるという”役割”から降りることを選択する。「必要とされることの物語」の最後に、その旗振り役だった彼は、必要とされないことを選ぶのだ。”役割”から降りること、より身近に(あるいは社会的に)言い換えるなら、○○らしさからの脱却を目指したかたちだ。

最初、”4”のラストを見たときに、プロスペクターやロッツォといったこれまでの悪役と、言ってることが同じじゃないか?なんかいい感じに描かれてるが、いまのウッディなら悪役に賛成するのでは?と思ったりもしたんだが、過去作を見直してみると、みんな、何がしかの”役割”の下で如何に生き延びるかに腐心しているのであり、ウッディの選択とは根本的に違う。

ただ、”4”の中では、ウッディが今までの”役割”を降りたあと、何をしたいのかがイマイチ描かれてない。エンドロールではほかのおもちゃが子供に行き渡る手伝いをしていたから、ウッディはこれからは裏方にまわって、子供の幸せを間接的にサポートするという生活をしているのかもしれないが、そこがどうも決定的なのかもわからないので、結局元カノが好きだからじゃん!?と思ってしまう。

とはいえ重要なのは、”役割”から降りるという選択肢を提示する、ということなのだと思う。これまで、おもちゃの”役割”を絶対のものとして作られてきたトイストーリーの世界で、新しいおもちゃの生き方を示してみせること、それを、おもちゃのリーダーだったウッディにやらせること。これこそが”4”が新作たりえたポイントだと思う(また”4”の愛らしいところは、今までの信念を否定しているわけではないところ。ギャビーの美しい退場は、今までのおもちゃの生き方をも肯定していることを示している)。

 

さて、上記のような解釈は、”4”の全体を見たときの語りである。しかしながら、実際のところ、”4”に対する不信というのは(トイストーリーのファンであればあるほど)、作品全体というより、ウッディ個人への不信なのではないか。作品の機能として、かような動きをするウッディに対して一定の理解はするが、心情としてついていけない、という不信こそが、”4”の喉越しを悪くしているのではないか。

上記の通り、”4”では、どうしても「持ち主に興味持たれなくなったから元カノになびいた」ように見えてしまう。ボーがいう「広い世界を見たい」というのもよくわからないし、そもそもウッディはこれまでの作品で、空港にも行ったしゴミ捨て場にもいった、おもちゃが破壊される恐怖のシドの部屋にも、天国と地獄が入り混じる保育園にも行った。その辺のおもちゃには経験できないほどの世界を見て、その上で持ち主のそばにいることを、また、仲間たちとみんな一緒にいることを選んでいたのではないか。なのにどうして、と感じる。 ウッディの心情を理解しようとするとき、キーになるのが、「内なる声」である。ウッディは自分の”役割”の保全と、容赦ない現実の間で葛藤するが、なぜかバズにはその葛藤がよく理解できないらしい。

ところで、バズというやつは本当にいいやつだ。”1”でおもちゃとして目覚めさせてくれて、シドから救ってくれたウッディに、一生恩義に感じている。”2”ではウッディを救いに行くとき、「彼は命懸けで私を助けた。だから私もそうする。」と語る。いやいや元はと言えばウッディが嫉妬してバズを殺そうとしたのが発端じゃんか、とツッコみたくなるのだが、バズがそう思ってるなら仕方ない。身体能力も高く、判断も冷静。完璧である。あまりに老練、あまりに熟達。

使えるキャラすぎて面白みがなくなってきたからか、”3”では、おもちゃに必ず備わっているリセット機能という器質的特徴を掘り起こして、スペースレンジャーに逆戻りさせられた。そして”4”では、なぜか急激にバカになっている。ウッディが使った「内なる声」という凡庸な比喩に、「それはなんだ?誰の声だ?」とマジレス。挙句、自分の音声再生機能を「内なる声」として認めるようになる。これではスペースレンジャーに毛が生えた程度の知能しかない。リセットを重ねて頭がおかしくなったのだろうか。

そんなバズだが、”4”でも全力でウッディをサポートする。夜通しフォーキーの見張りをするウッディを気遣ったり、ダッキー&バニーの騒がしい二人をまとめてアンティークショップを脱出したり、最後にはウッディの心情を察して背中を押したりと大活躍である。

過去作を見返して感じたのだが、バズは”1”でスペースレンジャーでないことを知ること以来、葛藤や絶望といった感情がない。”2”ではウッディよろしくアンディの下に帰ることを絶対としているし、”3”でも、アンディには早々に見切りをつけ、保育園でみんな一緒にいることが大事だと説く。当然ながら、バズもまたおもちゃであり、ウッディが抱える葛藤にいつかは直面するはずなのだが、スペースレンジャーの余裕からかそのような様子は見られない。

思うに、バズというキャラはトイストーリーの中では特別で、おもちゃとしての設定からスタートして、ここと地続きになったキャラである。”1”の前半でスペースレンジャーとしてみんなの手を焼いたバズだが、”2”以降でウッディの恋女房を全うしたバズと、あのスペースレンジャーのバズと別人なのではなく、同じキャラが考えを改めただけなのだということを思い返してほしい。元はと言えば、ザーグ抹殺という任務を愚直にこなす男である。もしかしたら、今も、「ウッディを助ける」という任務の最中なのかもしれない。だから、おもちゃとしてのアイデンティティを半ば放棄したようなたたずまいなのかも。

閑話休題。”4”のラストシーンで、バズはウッディに、「内なる声を聞け」と告げる。そこでウッディは、自分が”役割”に囚われていたことに気付く。そしてその”役割”がすでに失効し、岐路に立たされていることにも。

このことは、見方によっては、やはりファンへの裏切りである。過去作の、子供のため、仲間のために奮闘するウッディが、自分の”役割”に意固地になっている頑固野郎ということになってしまう(実際、ウッディはボーに「俺は古いタイプのおもちゃだからな」と自嘲気味に告白する)。

そして、そのウッディの気付きは、きっと事実なのだろうと思う。仲間への固執、持ち主への固執は、ウッディの美しさであり、また弱さでもあった。

物語の主人公というのは概して破天荒で頑固で、現実にいたら絶対に関わりたくないタイプが多い。だからこそ物語を推進し、読み手の感動を呼ぶというものだ。 ”4”は、そうした旧体制的な物語像の超克でもある。主人公は判断し、選択する。たとえそれが過去の自分と矛盾するとしても、である。なによりも現実の我々がそうするように。

現実での生活で、常に一貫した選択をしろというのは難しい。環境も変わるし、心境も判断材料も変わる。過去の判断が常に正しいわけでもない。同じ状況でも、経験の蓄積が判断を変え、判断の変更が未来を変える。 そうして、より良い未来、より多くの人が幸せになれる未来を選択できるような変化を、成長と呼んだり進歩と呼んだりするのだろう。

初見から”4”に肯定的だった意見では、「ウッディの成長に感動」という意見が多かった。俺は子供なのでなんのことがよくわからなかったが、きっと上記のようなことを言っているのだろうと考えるようになった。 やはりウッディは、元カノとよろしくこいて無責任にもいなくなったわけではなかった。最後までボニーを想い、仲間を想った。

しかしバズの、「ボニーは大丈夫」という言葉に背中を押され、自身の変化を、その痛みとともに受け入れることができたのだ。それを受け止める仲間の温かさ。 ”4”が、いま、この新しい時代に新しいトイストーリーとして現れたことを歓迎したいと思うようになった。

そんなわけで、俺としてはすっかり”4”容認派にまわってしまったし、2回目に鑑賞したときは心の中で拍手喝采だった。

このブログを書く上で見直した過去3作品もどれも素晴らしかった。いい映画だなあトイストーリー。

 

 

今年の秋冬ほしいもの


気付けば更新が1年も滞っていた。

たぶんディズニーにハマってじっくりと家で過ごす時間が減ったからだと思う。

夏服のことも書かないまま夏が終わってしまった。
全国6500万人の当ブログファンには申し訳ないと思う。


ではさっそく、今年の秋冬に俺が気になっているものを、ピックアップしていこう。
今回からは、特定の商品にこだわらず、ざっくりと服種で追いかけてみようとおもう。

MONSTER PARKA


昨年から、ツイッターでも流行る流行ると言い続けているモンスターパーカー。
直近の更新記事でもオススメしているが、気合をいれて再度説明する。

この服はアメリカ陸軍が採用している、ECWCS(寒冷地拡張被服システム)という概念から考案されている。
ECWCSは、肌着からオーバーコートに至るまで、特定の衣服を決められた順番で重ね着をすることで、寒冷地での快適な活動を目的としている。
ECWCSは何度か更新されているのだが、第一世代のゴアテックスパーカ(下図)などは、もはやストリートの定番として広く愛用されている。

モンスターパーカーは、ECWCS第三世代という最新式の防寒システムに含まれており、
保温効果のあるフリースや、防風機能のジャケットなどをレイヤードした上で、もっとも外側に着るコートとして開発されている。
中綿にはダウンの数倍の保温力があるというプリマロフトという素材、表地には、繊維の段階で撥水加工をした特殊なナイロン生地が使われているのがオリジナルの仕様である。


ECWCS第三世代などの、ここ10年間くらいで作られたミリタリーもの、「近代ミリタリー」と呼ばれるこれらの衣類は、
オリーブや迷彩柄のコテコテな軍モノとは違ったスタイリッシュさとモード感で、古着市場でも人気が高まってきてる。
モンスターパーカーは2、3年前くらいから市場に出始めてきており、オーバーシルエットのトレンドもあるので、俺としては台風の目としてしつこくプッシュしていたわけだ。
結果的には、全く流行らなかったわけだが、今年は流行る。ぜったいだ。
昨年は、モンスターパーカーを紹介するときには古着屋を探してくれというしかなかったのだが、
今年の秋冬では複数のブランドからつくられているのだ。

冒頭の写真でモデルが着ているものは、is-ness(イズネス)というブランドの今年の秋冬。
手に入れやすいところでは、フリークスストアでも、marmotというアウトドアブランドとコラボしてつくられている。
他にも、ハバノスというブランドからも、かなりオリジナルの仕様に近い雰囲気でつくられているではないか。

それぞれの文章をリンクにしてあるから見に行ってほしい。
これだけのブランドがつくっていて流行らないわけがない。
着こなしについては、これだけインパクトのある洋服なので、ズボンさえはいていればいい。
サイズが異常に大きいので、ジップを開けなくても被るように着ることができる。
変に安いレプリカもあるが、ナイロンの質が悪かったり、中綿がスカスカであったかくない。
しっかりとした値段のものを選びたいところ。今年こそ、一枚どうでっか。



茶色いコーデュロイのジャケット


今年は春夏から、ベロアが当たり年になっている。レディースではトップスでもボトムでもベロア素材をよくみかける。
とはいえ、メンズがベロアを取り入れるのはなかなか気合がいる。
10〜15年前くらい、美容師連中が安い古着を着ていた時代は、プリントTシャツにベロアのテーラードジャケットなんてコーディネートをよく見たのだけど、アメカジの力が弱まっている昨今では周回遅れもいいところだ。
しかし、コーデュロイならずいぶんと楽ちんだ。コーデュロイほど光沢がなく、メンズファッションでは昔から馴染みのある素材。

しかも、今年はテーラードジャケットで取り入れるのがいい気がする。
これは俺自身の嗜好の偏りかもしれないけど、近年、テーラードジャケットが気になる。
もちろん、さっき書いた昔の美容師連中のような着こなしではなく、トラッドにベースを置いた着崩し、テーラードジャケットがもつ上品さを念頭に置いた上でのスタイリングがいいと思う。インナーをスウェットにするとか、ワークテイストのベストを合わせるとか。

カラーはブラウンがいい。コーデュロイという素材と非常に相性がよく、秋冬らしさが高まるのと、今年はどうもブラウンをベージュなどの同系色やチャコールなどと合わせた土臭いカラーコーディネートがいいような気がする。

写真のセットアップ(バラ売り)は、a vontadeというブランドのもの。
このブランドは個人的に気になっている。まだあまり取り扱いは多くないけど、公式のオンラインショップもあるし、中目黒に直営店もある。素材やディテールにこだわりを持ちつつ、力が入りすぎてないデザインがいい。
このブランドのほかにも、ビームスプラスのオリジナルや、jsホームステッドのオリジナルなんかもいいと思う。



シェットランドセーター


スコットランドにある、シェットランド島というところでつくられているからシェットランドセーターという。

日本でシェットランドセーターと呼ばれるものについて定義するのは難しいが、おおむね、ウールをつかって、袖と裾にリブがあり、縫い目がなく、表地には毛羽がある、くらいだろうか?袖の付け方はセットインもあるがサドルショルダーもあるので一概には言えなかったり。
シェットランドセーターは、特にトラッド好きにとっては定番中の定番アイテム。別に今年の流行でもないんだけど、軽くてあったかいし、アンデルセンアンデルセンのような窮屈さもないので今年は買い足そうかなと思っている。
インナーにシャツを着こんでもいいが、オススメはTシャツやサーマルなどをインナーにして、クルーネックのまま着るスタイル。この適当な感じがいい。
シェットランドセーターはいくつかの定番ブランドがある。

まずは、写真のイケオジが着ている、ピーターブランス。
今年はここのセーターが欲しい。公式サイトもないようなブランドだが、その界隈では超有名ブランド。リンクの店じゃなくても色んな所に置いてると思う。
このブランドはセーターを編んだあと、生地の表面をアザミの棘でひっかいて強い毛羽立ちをつくっている。21世紀になっても、洋服を植物で引っ掻いて風合いを出すなんてことをやってるすごいブランドだ。
ここまで強い毛羽立ちはいまやピーターブランスでしか買えない。

シェットランドセーターの王といわれる、エベレストも捨てがたい(ややこしい話だが、エベレストというのはブランド名で、これを運営しているのはAnderson&coという会社になっている)。
ピーターブランスに比べると毛羽が少なく、がっしりした生地感。肩部分の独特の編地が特徴だ。このブランドは取り扱ってるところが本当に少なくて、実物はほとんどみたことない。シェットランドはエベレストじゃないと!というファンも多い、気骨あるブランド。

いまの日本での一番人気はHarley of scotlandだろう。
なんといっても安い。先に紹介した2ブランドの半額以下である。その分、生地も少し薄くてモチモチ感も少ないが、暖かさは十分。俺が持っているのもこのブランドだが、薄い分、袖の細いアウターなどにも合わせられるし十分すぎる活躍。
強いこだわりがないならこれがおすすめ。

ビームスプラスのオリジナルシェットランドセーターは毎冬、大量のカラーバリエーションをそろえるので、店にいくとセーターが床から天井まで積まれていて面白い。質もしっかりしてるけど、クラシックを重んじるビームスプラスらしく、腕まわりが太め。




ガンジーセーター


ガンジーセーターも少しずつ人気があがってる気がする。
ガンジーセーターは、フィッシャーマンセーターの一種で、イギリスのガンジー島近辺に伝わるセーターをさす。
袖が身頃に対して真っ直ぐにつけられていて、少しハイネック、前後の差がないデザインが特徴。油分のある毛糸で編まれたセーターは海水を弾き、船の上でもあったかい。前後の差がないデザインは、急いで着ても問題がないようにという合理性から。
ハイネックで前後の差がないデザインのセーターといえば、アンデルセンアンデルセンだが、アンデルセンアンデルセンも出始めたころはガンジーセーターの一種として紹介されることもあった。デザインソースにしていることは間違いない。
ガンジーセーターもいくつかブランドがあるが、まず代表的なのは、写真の、ル・トリコチュールというブランド。まだここまで厚いニットの時期じゃないのか、リンク先の品揃えがイマイチで申し訳ない。このブランドはレディースショップでも取扱いが多く、バリエーションも豊富なのでオススメ。
よりオーセンティックなセーターが欲しいと思ったら、ガンジーウーレンズがいい。リンク先は無地だけどボーダーの展開もある。
分厚く、ガシっとした素材で癖のあるデザインなので、レイヤードなどのテクニカルなスタイリングには向かないが、それを補える単品の力がある。こちらは肩がしっかり落ちるセーターなので、シャツをインナーに仕込んでも可愛いと思う。



ロング丈のPコート


あまりコートを着てこなかった。冬用のダッフルコートと、春秋用のステンカラーが1枚ずつあるだけで、基本的にセーターやインナーダウンの重ね着で冬を乗り越えてきたのだけど、防寒性を考えるとすこし心もとなかった。
去年のある日、ダッフルコートを着たときに、「コートって中にいろいろ着込めて便利だな」という当たり前のことに思い当たり、コートの存在意義を再確認した次第。
冬用なら、素材はやっぱりウールがいい。暖かくて風も防ぐ。天然繊維ながらハイスペック。かといって、ステンカラーなどのオフィスすぎるデザインではジーンズに合わないのでピーコートがほしくなっている。ショート丈なんてありえない。前もどこかで書いたが、そもそもピーコートは船の上で着るものなので、腰より下まである丈のものしか存在しない。
腰丈でもいいのだけど、あったかいし前を閉めてもサマになりやすいロング丈をねらっている。

写真のピーコートは、リングヂャケットという日本のブランドのものだが、残念ながら今年は廃盤で手に入らない。
とってもいいコートなので代わりが見つからないんだけど、たとえばショットのピーコートは定番で展開されている(今年分はまだ入荷してないっぽい)。
ビームスライツが大きく展開しているコートもベーシックだけどよさそう(オリーブも出してほしい)。
高価格帯だと、シーラップというブランドのものはかっこいい。素材も上質、たっぷりとした前立てもゴージャス。別注品なので金ボタンになってるけど、現行のものは普通のボタンでそれもかっこいい。



いかついワークブーツ


こういうブーツはしばらく履いてなかったのだけど、ヘビーなアウターを着たときには、短靴では受け止めきれないときがある。
一足はこういう、ハイトの高いブーツが必要だ。しかもレースアップでワーク色が強い方がいい。
写真のブーツは、ワークブーツの雄、ホワイツのセミドレスというモデル。水牛レザーのものが光沢が強くてすき。
同じくらい有名なのは、レッドウィングのベックマンブーツだ。(なんかモデル名ちがうけど、だいたい同じ)比較的安価で手に入りやすい。
ウルヴァリンというブランドの、1000マイルブーツも有名。1000マイル(約1600km)歩いても壊れない!という売り込みで名付けられたブーツ。こちらもファンの多いもモデル。

この辺のブーツはぱっと見の印象が近いのでちょっとマニアックな世界だけど、アメカジ好きとしては憧れのあるブーツ。
ヴィンテージジーンズや軍パンに合わせちゃうと、さまぁ〜ずとかダウンタウンになってしまうので、スラックスとか細身のアンクル丈ジーンズなど、あくまでスッキリしたスタイリングで、ブーツの土臭さをアクセントに使うような合わせ方がいいと思う。



じゃ、また

今年の冬は何着ようか

一昨年あたりから、冬服はあまり売れなくなってきている。
特に去年は暖冬ということで、どのブランドもかなり早期からアウターのセールを始めていた。

今年は2、3週間前ほどから気温がさがり、百貨店でも重衣料が売れ始めてきた。

冬物はいまこのタイミングがいちばん揃っている。あと少しでセールが始まる。
買うなら今だ。いますぐ買え。

さて、そんなわけで今年、個人的に気になっている冬服を紹介していく。


THE NORTH FACE
BROOKSRANGE ¥77760 ⇒ZOZO


今年はダウンが気になる。これまで本格的なダウンジャケットは着たことがなかったけど、90年代ノリもあって、チラチラと視線を送っているところだ。
このノースフェイスのものは、なんてことないダウンジャケットなように見えるが、古着では発掘されるとちょっとした騒ぎになるような名作の復刻。
通な人には懐かしく、若い世代には新鮮な、90年代ノリのアウトドア。
丸いベロクロテープや長い着丈、ボリューム満点のシルエットでなんともクラシックな雰囲気。
しかしながら、表面の素材はウィンドストッパーで風を通さず、中身は光電子ダウンという、ノースフェイスお得意の高機能素材。現代的にアップデートされている。

カラー展開は、ブラック、グレー、ネイビーの三種類で、特にグレーは都会的でモードな印象。
今年買うならこれかな、というくらいかっこいい。


CAPE HEIGHTS
BOWERBRIDGE ¥42120 ⇒ZOZO

このブランド、LLビーンなどのOEMを請け負っていた老舗メーカーらしいのだが、
何故か今年からインラインの発売やセレクトショップとのコラボなど、やけに活発に商品を展開している。
代理店ができたのかしら?よくわからないけど、なんだか安心感のある面構えをしている。

ダウンのトレンドは、ここ数年はもっぱらツヤなしの生地と、もったりしたシルエットだ。
大流行中のカナダグースも、テカリをおさえた表生地と、しっかり詰まった中身、
大きなポケットやフードなど、重量感なある仕上がり。

モンクレーやタトラスなどの、光沢が強いダウンは、いまやホストか鼻持ちならない成金趣味でしか着られることはない。
キムタク御用達のレザーダウンなどもはやコスプレの域だ。
ダウンを着るなら、もっさり感を消すのではなくそれを楽しむ着方へ向かう流れがある。
1枚目のノースフェイスも、このケープハイツも、あくまでクラシックなアウトドアウェアを標榜しつつ、
シルエットや機能の変更で現代になじむようアップデートされている。


CRESCENT DOWN WORKS
NORTH BY NORTHWEST ¥42000 ⇒ZOZO(なぜかやたら高い上にカラバリがない) ⇒楽天(オススメ)

こちらも老舗のダウンウェアメーカー、クレセントダウンワークス。
ダウンベストなんていつ着るんだよ、という声もあるが、持っているとなかなか便利な上に、ダウンジャケットよりもずっとオシャレにダウンを楽しめる。
クレセントダウンのダウンベストは、イタリアンベストとよばれるタイプが有名なのだが、
個人的にはこちらの、ノースバイノースウェスト(通称NBNW)の方がおすすめ。

イタリアンベストよりも着丈が短いためレイヤードしやすく、ジップでの開閉が非常にスムーズで、何より、裾のとんがった、ジレのようなデザインが秀逸。
最初はダウンが分厚いのでアウター扱いだが、ダウンがつぶれてきたらインナーダウン代わりにしてもかっこいい。
外でも中でも使いやすいデザインと、他の服とも馴染みのいいカラーバリエーションでとってもおすすめ。

きちんとした代理店がないのか、有名セレクトショップではあまり取り扱いがないため、楽天やアマゾンで探すのがいいだろう。


ところで、近年、インナーダウンという概念が市民権を得てきたが、そもそもダウンというのはインナーとしての出番が多い。
冬のアウトドア(雪山登山とか、スキーとか)の場において、ダウンを一番上に着るのはリスキーだ。
ダウンは天然の羽のため、水に弱く、濡れると保温力が大きく落ちるという欠点があるし、そもそもダウンそのものに風を防ぐ役割がない。

服を着て暖かいと感じる機構は、二つの要素がある。体温を保つ保温と、風から守る防風。
野原で焚き火をしても、風が吹いていれば、いくら火が温かくても意味がないし、かといって、風除けテントを張っただけでも温度は上がらない。
風を防いで、熱源を確保して初めて暖がとれるわけだ。

衣服についていえば、熱源は基本的に自身の体温なので、いかにこれを逃さないかが大事になってくる。
ダウンやフリース、ニットなどの、ミッドレイヤーと呼ばれる衣服たちは空気の層を含んで体温を保つ機能を担っている。
しかしこれらだけでは、水や風に対して無力すぎる。
ミッドレイヤーの上に、ナイロンや密度の高いウール、ゴアテックスなどの防風素材(アウターレイヤー)をまとうことでようやく冬のレイヤードが完成する。
もちろん、ダウンジャケットの表面はナイロンなので風はある程度防げるし、街中で冬山武装をする必要はないのだが。

閑話休題、紹介に戻ろう。


PATAGONIA
DAS PARKA ¥42120 ⇒公式通販

最近、やたらと環境問題に意識を傾けているパタゴニアの定番モデル、ダスパーカ。
中身はダウンではなく、化学繊維のプリマロフト。
水濡れに弱いというダウンの欠点を補うべく登場した機能性素材で、ダウンよりずっと少ない量で保温性を確保し、濡れてもそれが維持される。
このダスパーカは、もともとは、前述のアウターレイヤーのさらに上に着る用途としてつくられた。
冬の山がどれほど過酷かは知らないが、あったかインナーにぽかぽかダウン、がっしりゴアテックスを羽織ってもなお、暖かさが要求される場面があるのだろう。
そんなシチュエーションで、こいつをガバっと羽織る。
そのため、昔はかなりルーズなシルエットで、街中で着るにはでかすぎたのだが、
古着市場などでの人気を受けてか、近年は街着に耐えられるように、少しだけ細身になったらしい。

本格的なダウンより安いし、ずっと軽くて洗濯機で洗えるもんだから、すごく欲しいのだけど、カラーバリエーションが、写真の青と黒しかない。
ちょっといまいちじゃない?



US ARMY
MONSTER PARKA ¥40000弱くらい?古着のため変動あり

ミリタリーウェア、というと、MA−1みたいなナイロンものとか、M−65みたいなオリーブのコットンサテンのものを思い浮かべるかもしれないが、
これが現代のミリタリーウェア。アメリカ軍の特殊部隊用につくられていた、モンスターパーカという製品。

服の意図はダスパーカに近く、フリースもアウターも着込んだうえで、さらに羽織るためにつくられている。
中身は濡れても平気なプリマロフトで、表地はナイロン。
邪魔にならないように、フードは収納式で、装備の入ったリュックを背負った上からでも羽織れるようにスーパーゆったりシルエット。
上下から開けられるダブルジップの上には、グローブしても開け閉めをしやすい、大きなマジックテープの前立て。
なにより、この後ろの着丈が長いのが面白い。

うーん、この、機能を追求した結果できあがった、ソリッドで少し不気味な感じ。非常によろしい。
あのNハリウッドも、このモンスターパーカを復刻して発売しており、最近ではフロム・ザ・ギャレットというブランドが復刻している(売り切れている)。
これだけゆとりのあるシルエットだと、街着程度のレイヤードでは風が入ってしまうのではないかと心配だが、この他にないボリュームと、シルエットはとても魅力的。
ここにいけば必ず買える!というものではないが、ぜひ紹介したい服。


MONBELL
スペリオダウン ラウンドネックT ¥10584 ⇒公式通販

インナーダウンブームの先駆けといっていいモンベルの丸首ダウンシリーズ。
これは本当にいい。安い、軽い、暖かい。これさえ着ていれば重たいコートもかさばるダウンもいらない。
ノースリーブ、半袖、長袖と三種類あるが、半袖が珍しいのでおすすめ。いや、レイヤードしやすい袖で選んでもらえばいいけど、とにかく本当にコスパがいい服。


BARBOUR
WASHED BEDALE SL ¥52488(セール価格)⇒ZOZO

ダウンばかり紹介したので少し向きを変えて。
大ブームも去り、古着通だけじゃなく、一般のファッショニスタたちにとっても定番アウターの市民権を得たバブアー。
そんなバブアーから、今年は加工モデルが発売されている。

バブアーやベルスタッフのような、オイルドジャケットの悩ましい部分は、生地に染み込ませたオイルが手指についたり、匂いがあったりすることだ。
オイル自体の品質が向上したこともあり、現代では新品のバブアーでもほとんど匂いはしないのだが、見た目的にかなりギトついた印象はある。
このウォッシュモデルは、その名のとおり洗い加工によって、オイル抜きを施したものだ。

オイルを抜いてしまえば、なんてことはないただのコットンジャケットなのだが、今まで自分でオイル抜きをしていた人たちもいるのだから、
本家みずからやってくれているなら話は早い。セールになってるし、これからバブアーが欲しい!という人にはこちらがおすすめ。
着こんで味を出したいという通な人には向かないが。


ADDICT CLOTHES
AD−WX−03 ¥???(発売前のため不明) ⇒公式サイト商品説明

個人的に激押しブランドのアディクトクローズ。ここのオイルドコットンジャケットは、2年前から愛用しているが、非常に使いやすく、シルエットも綺麗。
そんなアディクトの今季の新作が、同社が腕によりをかけて作った定番オイルドコットンを使ったコート。
ちなみに、この形は、今年バブアーからも、「ソルウェイ・ジッパー」という名前で発売されている。
なんでぇ、色といい形といい、バブアーのパクリか!?と思った愚かなあなた。そうではない。
オイルドコットンを利用したこうしたコートは、当時イギリスでは沢山のブランドから出されていた。襟のコーデュロイ使いやオリーブグリーンのカラーは、
おそらく狩猟用を意図したものだろう。バブアーがパイオニアだったことは確かだろうが、アディクトや他のイギリスのブランドがぱくったということではない。

アディクトのアウターは作りが非常に細く、中に着込むことには限界があったが、このコートなら分厚いセーターの上に羽織ることができる。非常にほしい。


JAMES GROSE
MANILA ¥135000 ⇒ZOZO

今年ライダースを買うならこれがおすすめ。
イギリスの老舗ブランドのJAMES GROSEは今年から本格的に日本で展開されてる。
伝統的なイギリスのライダースジャケットを踏襲しつつ、モダンな雰囲気に。

革は柔らかでツヤの少ないシープや、硬さと光沢のあるカウなどがあるようだが、そこはお好みで。
カラーは写真のネイビーがおすすめ。ネイビーのレザーというと変化球なようだが、
イギリスのライダースではカラーものは比較的メジャーだし、黒ほど重たくならず合わせやすい。

ところで、革ジャンというのは暖かくない。防風性と耐久性はあるが、革に保温性はない。
気温が低いと、革自体もきちんと冷えるので、真冬に着るものとしては、ぶっちゃけそんなに適さない。
そんな時にどうするか。先に紹介した、クレセントダウンのNBNWを重ねてみる。こんなふうに。


(徳島のセレクトショップ、「ボーイズマーケット」の津保さん ⇒ブログ

ライダースの上にダウンべストなどを重ねるコーデは上級テクニックのように見えるが、機能的な側面もある。
昨年の冬、俺もシープスキンライダースの上に、このNBNWを重ねてみたが、本当に暖かい。
もちろん腕は出してるから寒いのだけど、ライダースだけでいるのと段違いなのだ。
アホに見える人はやらなくていいが、暖かいから。ほんと。ほんとよ。


ANDERSEN−ANDERSEN
SEA MAN ¥37800 ⇒ZOZO ⇒楽天(ボーダー柄)

昨年の爆発的なヒットを受けて、バリエーションを大幅に増やしたアンデルセンアンデルセン
定番のクルーネックセーターは、レッドとキャメルを登場させたが、こちらは完全に新しい形。

クルーネックよりも目の詰まった7ゲージの編み立てで、形はよりガンジーセーターに近づいた。
袖幅をとり、肩が落ちるデザインは、クラシックながらも今年のトレンド。
より軽い仕上がりになっており、お値段も抑えめ。ボーダー柄は、手持ちの服により取り入れやすいのでは。

今年はセーターのほかに、マフラーを1型、ニットキャップを2型発売中で、そちらも購入検討中。


今回はこんなところだ。じゃあな!

夏服、もう買った?


洋服屋というのはなんともせっかちな集団で、ようやく夏になったと思ったらもうセールを始めている。

汗がダラダラと流れる時期には既に半袖短パンは置いてはおらず、偉そうに革ジャンなど並べているのだ。


それも理のない話ではないのだが、とにもかくにも、夏物の洋服をブログに書くにはやや出遅れの趣である。

とはいえ、夏はこれから。まだまだお店にはオンタイムで着られる服がたくさんある。

個人的に気になるもの、オススメのアイテムなど書いていくから、見てみてほしい。

今回は、単品ごとの紹介というよりは、いくつかの商品をカテゴりーごとに紹介しようとおもう。




1.ビッグシルエットのTシャツ


今春夏の流行トップスといえば、男女ともにビッグシルエットのTシャツだ。
たかがTシャツといえど、その時のトレンドによって人気の種類は大きく変わる。

10年前くらいに流行っていた、古着のオンボロをビチビチに着るような流行りはなりを潜め、
いまは専ら、無地のポケットTなどをゆったりと着るのがもてはやされている。

「リラックス&スポーツ」がキーワードのここ数年は、去年に大流行した、チャンピオンの無地Tをはじめ、
より厚手の生地が気分だ。今年はさらに、落ちた肩、ゆとりのある身幅などもプラスして、アンバランスさを楽しみたい。



こちらはアメリカのワークブランド、CAMBER(キャンバー)のTシャツ。¥6000くらい。⇒ZOZO

生地はガッシリと分厚く、首元のリブも厚みがある。ポケットも大きく、袖や身幅も太い。
ちょっとやそっとじゃくたびれない、働く男の強い味方。

このブランド自体は長いこと続いているブランドで、Tシャツも定番のもの。
いままでは、このアメリカンな野暮ったさが敬遠されていたが、今年はこれくらいアンバランスなのがいい。

ちなみにこのブランド、Tシャツだけでなく、スウェットにも定評がある。
キャンバーのスウェットは肉厚で暖かく、アウターとしても運用できる。また、スウェットパンツはシルエットも綺麗で、
冬場の日常着としても大活躍だ。



こちらもアメリカの定番、GOODWEAR(グッドウェア)のTシャツ。¥6000くらい。⇒ZOZO

キャンバーほどではないが、ざらっとした生地は頼れる強さ。襟のリブはキャンバーほど厚くはなく、
サイズによっては、今までの着ていた無地Tとそう変わらない気持ちでトレンドを取り入れられる。
キャンバーもグッドウェアも、わざわざZOZOに掲載されるようなブランドではなく、上野のアメ横なんかにある昔からのアメカジ屋においてる服だ。
そこら中で手に入るアクセスのよさも魅力。



少しモードな雰囲気なこちらは、日本のLABRAT(ラブラット)というブランドの定番。⇒ZOZO

肩が落ちる前提で、短めに設定された袖、低い位置につけられた横長のポケットなど、いまのトレンドが詰まっているTシャツ。
これを、ちゃんと流行りだす前から定番で構えていたのがえらいところ。人気のアイテムなので争奪戦が繰り広げられている。
半ズボンでも、スキニーパンツでも。



ユニクロ ビッグシルエットT ¥1500⇒公式通販

もうこれでいいじゃん!!!!!という感さえある。よくできてる。生地の厚みやザラつき、ドロップショルダー、短めの着丈など、十分すぎる一品。
カラバリは、原色こそないが、入門編としては十分すぎるし、なんとボーダーもある。
敢えての野暮ったさやモード感などを脱臭した、ユニクロらしいライトな仕上がりなので、とりあえずの一枚。




2.幅広ショーツ


夏のボトムといえば半ズボンだ。半ズボンは苦手という人もいるだろうが、秋冬は絶対にはけないのだから、この時期に楽しんでおきたい。
シーズンを楽しむのも服好きのたしなみである。


さて、ここ数年、半ズボンのトレンドはもっぱら短め丈。
オーシャンパシフィックのようなサーフショーツなど、大腿が露出するような、タイトかつショートなシルエットがよく見られた。

今年は、ここから派生して、少し長めの丈と、広めの幅で、リラックス感をプラスしたアイテムが人気になるだろう。
レディースのガウチョパンツなどの、ワイドでふわりとした雰囲気を意識できると良いと思われる。



アウトドアブランド、パタゴニアの、バギーズ ロング ¥7500くらい⇒公式通販

昨年、個人的にかなりヒットだった、パタゴニアの定番、バギーズ。ナイロン製で軽いこの半ズボンはいくつかの丈が用意されている。
俺が持っているのは、股下13cmの短いタイプ。うっかりすると局部が転げ出てしまうが、その短さが新鮮かつ涼しくてよかった。

今年買うなら、股下18cmのこちらだろう。裾に向かって広がるシルエットは、履いたときにほどよいゆとりを演出してくれる。
バギーズシリーズは内側にメッシュのインナーがついているが、邪魔なので切りとってもいい。



こちらも夏の定番、グラミチのGショーツ。¥7000ちょっと⇒公式通販

近年のアウトドアブームも手伝って、街中でも着用率の高いグラミチ。様々なブランド、ショップから別注品が発売されているが、
今年はこの本家本元を手に入れたい。

ブランド、ショップ別注のグラミチは、シルエット変更を加え、より細身に、スタイリッシュになっているものが多いのだ。
本家でも細身のショーツが出ているが、今年はオリジナルの野暮ったいところをズルズルと履くのが気分。



言わずと知れたアメカジの王道、ディッキーズのハーフパンツ。¥4900⇒公式通販

説明するまでもない、なんてこともないディッキーズのハーフパンツだが、改めて見てみると、やや長めの丈、広い裾幅など、トレンド要素が散見される。
買いやすい値段、扱いやすく丈夫な素材と、持っていて損なし。低い位置についたディッキーズのロゴがなんともいえず良いアクセント。




3.サンダル

リラックスなスタイルに欠かせないサンダル。
去年はTEVAのストラップサンダルが大流行したが、今年もその流れは継続しそうだ。



suicoke(スイコック)というブランドのサンダル。形はいろいろあるけど、だいたい¥15000前後⇒ZOZO

ほかの形はこちら⇒公式サイト

去年と同じくテバやチャコでもいいが、今年はもう少し厚底で、オーバースペック気味なサンダルがいいだろう。
たとえばこのスイコックなどは、がっしりとしたストラップや、分厚いビブラムソールで、ボリューム感がある。
いったいどこにでかけるんだ、などと言うのは無しにして、サンダルなのにいかつい、このアンバランスを楽しみたい。



こちらは、SHAKA(シャカ)というブランドのもの。¥10000くらい⇒ZOZO

よりアウトドア色を強めたいならこのシャカがおすすめ。一時ブランドがなくなっていたが、近年復活を遂げた、知る人ぞ知るブランド。
写真のような、トライバル柄のストラップが有名だが、テバのようなモノクロなアイテムも展開しているようだ。



アイランドスリッパーのスライドサンダル。¥18000くらい。⇒ZOZO
素材違いでベロクロ付きのモデルもある ⇒ZOZO

スポーツサンダルを追う形で去年から流行りだしている、スライドサンダル。
アディダスやナイキのロゴがはいったスポーティなモデルが、大手セレクトショップに並ぶ光景は凄まじい違和感があったものだ。
レディースでは、一昨年あたりからナースサンダルがトレンドになっていたが、同じ流れだろう。

去年はシャワーサンダルと呼ばれていた写真のような形は、今年はスライドサンダルなどと呼ばれる。
スポーツ向けのゴムっぽいものもいいが、差別化するなら断然レザーがいい。素材の高級感と、形のゆるさのギャップが今年らしい。

アイランドスリッパーはビーサン界では有名なハワイのサンダルメーカー。快適な履き心地と、流行り廃りのないデザインが長年愛されている。
スライドサンダルは近年になって復活した形で、履いている人も少なく、ねらい目。



HENRY&HENRY(ヘンリーアンドヘンリー)のスライドサンダル。¥4000くらい。⇒アメリカンラグシー通販

シンプルなデザインを安価でお届けするヘンリー&ヘンリー。
クロスストラップのサンダルが人気だが、今年はシャワータイプも登場。お手軽にトレンドを取り入れられる。
ラバー製なので気を遣うことなく、コンビニ用でも街履きでも。何気にイタリア製というのもポイント。



tomo&co(トモアンドシーオー)のサンダル。¥25000前後。⇒ZOZO(全く同じやつなかったごめん)

なんと、サンダルにエアーソールを使用した、正気の沙汰ではない一足。見た目のインパクトが周りとの差別化に役立ちまくるだろう。
個人的にかなり気になるサンダル。




番外編.そんなに流行ってないけど気になるもの



REDKAP(レッドキャップ)のシェフパンツ。¥8000くらい⇒ZOZO

レッドキャップというのは、ディッキーズやベンデイビスと同じく、アメリカの作業着をつくってるブランド。
このシェフパンツは、その名の通り、料理人の仕事着としてつくられたもので、
汚れにくさと動きやすさに、お客の前へ出ても恥ずかしくないようなデザイン性を加えて設計されたもの。

この大振りなストライプ柄が特徴だが、無地のブラックなども存在する。ワイドかつテーパードしたシルエットは今年らしさ満点。
素材はコットンとポリエステルの混紡だが、その比率は何種類かあり、それにより光沢感や生地の硬さが異なる。

もとは日本には存在しないモデルだったが、今年から日本用の展開が始まるらしい。まだ取り扱い店舗は少ないが、
街中では既にたまに見かけるようになった。デザインと安さからも、非常に注目度の高いアイテム。



ステューシー ビーチパンツ ¥18000弱⇒ZOZO


夏といえば半ズボンだが、そう生足出してばかりはいられないこともある。しかしてデニムは暑いし、チノパンも飽きたなあ・・・
と思っていた時に見つけたのがこれ。ステューシーの定番のボトム、ビーチパンツ。
薄手のコットンは洗いがかかって、軽く爽やか、ワイドだが、裾に向かって細くなるシルエットはスニーカーとも革靴とも相性がよい。
なによりウェストはゴムでとっても楽ちん。
毎年人気で、なかなか買えないが、一本持っておくと本当に重宝しそう。



パラブーツ コロー ¥28000くらい ⇒日本公式サイト(通販不可)

夏といえばサンダルだが、そうサンダルはいてばかりはいられないこともある。しかして革靴は重たいし、スニーカーはみんなはいてるしなあ・・・
と思っていた時に見つけたのがこれ。フランスの名門、パラブーツの、コローという名前のローファー。

このローファーの最大の特徴は、デッキシューズと同じソールを使っているということ。
濡れた地面でも全く問題なく、素足ではいても快適。アッパーの革も、本気のローファーほど硬くなく、とても馴染みがいい。
面構えはオーセンティックなコインローファーで、甲皮のビーフロールもバタ臭い。
俺が買ったのは、ローファーの定番カラー、ブラウンだけど、今年のシーズンカラーであるホワイトも、夏らしくてとても可愛い。ぜひ女性にも。



今回は以上。あばよ!

久しぶりに歯医者にいった話


歯医者にいった。高校を卒業してからなので、かれこれ7年ぶりくらいにお世話になる。


きっかけは2週間ほど前の歯磨き中、突如、口内を加齢臭が襲う。

歯ブラシを探検させると、上側のもっとも左奥側がやけにしみる。虫歯治療をしているときに感じる鋭い痛み。
そこをシャコシャコしていると、どんどん広がる加齢臭。
意味が分からなかったので、指を突っ込んでその部位に触れてみると、どうも穴が空いているらしい。
しかもかなり大き目、がっつりと穴が空いている。


この場所は、中学のころに虫歯になった親知らずなのだけど、未だ成長途中ということで抜歯せずに詰め物しておいたのだった。

日常生活には支障がないし。まぁそんなこともあるか?と知らないふりをしていたのだが、
調べてみると、詰め物がとれたままにしておくと後々甚大な被害をうけるかもしれないという。

ウームとうなりながら過ごしていた。
俺は歯医者が大嫌いだ。地元で通っていた歯医者は、従業員に対してすごく怒る先生で、
患者にはとても優しいのだが、いつも怒声を聞きながら受ける診療は快いものではなかった。


どうも加齢臭が気になる。
発覚から1週間ほど経ったとき、俺はこの加齢臭が別のものに似ていることに気付いた。

生来お腹がゆるい俺はよくトイレにこもるが、その時の匂い・・・・すなわちウンコの匂いに酷似しているのだ。

こうなってくると俄然、急いで歯医者に行こうという気になる。
なにせ俺は口内にウンコを飼っているのだ。何を食べてもウンコと一緒に食べているのだし、
どう考えても患部が化膿かなにかしているはずだ。


意を決して近所の歯医者に予約する。いくつかの歯科医院があるが、HPがある程度整ってて外観も綺麗なところに電話した。


当日、問診票を書いて、診察室に通される。オープンなスペ―スにイスが二台、厚いガラスを隔てた奥にオペ室と銘打たれたスペースがひとつ。


椅子に座るとさっそく驚く。着席した患者が暇つぶしできるようにか、テレビが設置されている。
各椅子に1台ずつ。そこそこの大きさだ。これはすごい。
これからどんな痛い思いをするかと戦々恐々の俺の前で、テレビでは悠長に赤ちゃんハイハイレースなどしている。


衛生士さんがやってきて、ご挨拶、ピンサロにいって嬢と対面したときと似た緊張を覚える。
問診票の確認と、医院のポリシーなどの説明を受けたあと、さっそくプレイ 診療にうつる。

半透明の薄いゴム手袋をパチン!パチン!と装着するお姉さん、前立腺でも刺激してくれるのかと思い、やおら四つん這いになろうとしたが、
ライトがつけられ仰向けのまま椅子を倒される。
遠慮なく指を口内につっこみ、全体をまさぐった後に患部を触診、「あ〜ふんふん」などと勝手に納得して先生を呼びにいく。


なんという恍惚!ゴム手袋越しといえ、若い女性に口内を愛撫されてしまったのだ!!がぜんその気になってきた俺だったが、
美味しい思いはここまで、愛想のいいおじさんがやってくる。
がっかりしながら再び口を開ける。


先生「この歯はね、親知らずで、下の歯と噛んでないんです。どうします?」

俺「どうしますっていうと、つまり、どうすることができるんですか?」

先生「抜くのが一番はやいですね」

俺「それってすぐできるんですか?」

先生「いますぐやっちゃいますね」

俺「お願いします!」


急きょ抜歯することになった。
薄々わかっていたけれど、依然にいちど抜歯したときは、前々から準備の診療をおこない、
当日は麻酔に始まって歯を削り、歯茎を切りと大仕事だったあげく、三日くらい出血がとまらなかった思い出があるので憂鬱だ。

人と会う予定をいれておかなくてよかった。仕事始まるまでになんとか収まるといいな・・・・
そんな風に思いながら準備を待つ。

衛生士のお姉さんに話しかけられる。


お姉さん「朝ごはん食べてきました?」

俺「え?いや、食べてないですが・・・」

お姉さん「おなかすいてます?」

俺「えっwwww空いてないですけどwwwwなんでwwwあのwwwwンッフwwwww」

お姉さん「お腹が空いてるときに麻酔かけると脳貧血になったりするんですよ」

俺「アッ、ハイ、ダイジョブデス」


ガッカリである。てっきりお手製のおにぎりとかマドレーヌとか食べさせてくれるのかと思ったが、とんだ拍子抜けである。

だいたい、俺を誰だと思っているのか。
俺は抜くのは大好きだ。普段からよく抜いてる俺にとっては一回や二回の抜きなど、まさに朝飯前なのだ。見くびらないでほしい。


抜歯の前にレントゲンをとる。
これをくわえてくださいと渡されたマウスピースを噛み、鉛のエプロンをつけられる。

当然ながら、衛生士のお姉さんは俺より小柄だし、力もないだろう。重い鉛のエプロンをつけてくれるが、俺は一切手助けはしない。
ホストとゲストの関係をいたずらに乱したりするのが嫌いな俺は、もっぱら受けに徹しがちなのだ。
ちょっと重たいですよ〜などと、小太りの成人男性に対して言うことではないと思うが、そのような子供扱いが妙にうれしい。


レントゲンはバシャっと撮って終わり、というものではなく、器具が顔の周りをくるくると周り、頭部全体を撮影するような形で行われた。
器具が動いている最中、なぜか『エリーゼのために』がBGMでながれ、全く予期していなかった俺は笑いをこらえるのがかなり大変だった。


席に戻ると、衛生士さんがマウスを操作している。
なんと、先ほどのテレビに自分のレントゲン写真が表示されているではないか!
なんということか!このテレビは赤ちゃんハイハイレースを映すだけの機械ではなかった!
診療にしっかりと役立つスーパーハイテク装置だったのだ。


医学と科学の進歩に感心していると、椅子が倒され、いよいよ抜歯が始まる。


先生「まぁ、すぐ終わります、簡単なやつなんで」

俺「はぁ・・・」


コワイ!!!!

まずは麻酔だ。
記憶をさかのぼると、この麻酔というやつが一番つらい、チクリと痛いし、効果が出るまで時間もかかる。
前回やったときは効果が完全に出る前に抜歯されてたいへん痛かった。

しかし!今回はちがった。ほんの少し、本当にいち刹那でチクリは終わり、うがいをするときにはすでに感覚がなくなっていた。
俺の成長によるものなのか医学の進歩か、この先生の手腕なのかはわからないが、とにかく最大の難所をのりこえた。
あとは煮るなり焼くなり好きにしてくれ!何時間でもやるぞ!

再び椅子が倒され、器具を歯にあてる先生。


先生「じゃあ力いれますねー」


メリメリ・・・ミシミシ・・・・

衛生士さんが反対側から俺のアゴをおさえて、先生が力いっぱい歯を押し出す。
凄まじい力がかかるが、麻酔がきいてるので痛くない。

メリメリ・・・・・・・・・・・・・・


先生「はいうがいしてください。もう抜けましたからね」

えっ、早い!スゴイ!

うがいをして、患部に綿をつめて止血をしながら、衛生士さんの説明をきく。


お姉さん「ここを抜きました。下のここも抜いてもいいかもしれないですね」

俺「なるほど〜抜いてもいいですよね〜ウンウン、抜いてもね〜」

衛生士さんは抜くの好きですか?とまではさすがに聞かなかったけど、きっと好きものだと思う。


お姉さん「これが抜いた歯ですけど、持って帰ります?」

俺「いや、処分してください」

だいたい、抜いた後にそのものを見せられたりするのはあまり好きじゃないし、持って帰るなんて!
でも、好きものの女性は抜いた後のものを見せたがるので、そこはまぁ、仕方ない。


そんなこんなで、¥3000足らずでウンコ臭をする歯を抜くことができた。
あとは次回、簡単な掃除をして終わりというのだから簡単なものだ。

帰りに薬局で薬を買い、ついでにティッシュや飲み物を買って家に帰ったところで、出発したときからちょうど1時間。
麻酔がきれると痛みはあったが、そんなに苦痛なものでもなく、鼻歌まじりで週末を過ごしたのだった。

好きな服の話 アウター編

いまこの時期はちょうど冬服が出そろって、もう買い時のピークか、それを少し過ぎたくらいのタイミングだ。
早いところではセールが始まりだしている。


まだ今年のアウター買ってないよ!という諸兄、気温も下がってきたことだし、この記事を読んで発奮していいアウターを買ってくれたらうれしい。


今回も、あくまで俺が好きなものを並べる。なるべく定番のもので、手に入りやすいもの(お手頃とは言っていない)を選んだ。
ではいこう。


グローバーオール モンティ ¥75000くらい


日本版の公式サイトが見つからなかったんでめいめい探してくれ。モデルは知らないお兄さん。
近年流行のダッフルコートは、イギリス海軍が船上で着用する防寒着として生まれた。
分厚いウールメルトン生地は防風性と保温性があり、トグルボタンは手袋をしたままでも留め外しが容易。


そんなダッフルコートが軍人から一般市民のものになっていったのは、このグローバーオールという会社が関わっている。
グローバーオールはそもそもメーカーではなく卸問屋みたいなもので、軍からの放出品を売っていた。
その中でもダッフルコートがバカ売れしたので、自分らで作ってみようというのがこのブランドの歴史らしい。


軍にはたくさんのメーカーが品物を納品していたので、世界最初のダッフルコートメーカーというのは不詳だが、
現在でも買えるものの中には、モンゴメリーというブランドがある。
モンゴメリーはダッフルコートを英軍に納品していた会社のひとつで、かなりルーツに近いものだ。
しかし、日本での知名度で言えば圧倒的にグローバーオールなので、今回はこのブランドを取り上げる。


一口にダッフルコートといっても、形も、ボタンの位置や数、着丈、襟の有無などいろいろなディティールの違いがあるけど、
今回は、ボタンは三つ、着丈はロング、襟はなくてフードと一体型、ボタンの留め位置はやや右へずれているというディティール。
最近のブランドでは体の真ん中で留めるものが多いけど、個人的にはこのズレてるのがかっこいい。
三つしかボタンがないのは少ない感じがするけど、長い着丈がヒラヒラとするのが無骨ですごくかっこいいと思う。


ネイビーカラーのイメージが強いダッフルコートだが、実際は、写真のようなキャメルカラーが主流だったらしい。
基本的にミリタリーものはキャメル、ネイビー、オリーブあたりが多いのだけど、海の上だしキャメルは目立つのでは?と思ってしまうが。
キャメルカラーはデニムにも相性がいいし、合わせやすいのでネイビーよりもオススメ。
そんなわけで、アイビーでナードな雰囲気のダッフルだけど、実は戦う男の洋服なので、
まちがってもショート丈でフェイクウールのチャチなダッフルなんて着ないでほしい。


ちなみに俺が古着屋で買ったダッフルコート↓

これはドイツ製で、Pコートのような大振りの襟がついている。フードはボタンで脱着可能なもの。
ボタンは四つで留め位置はやや右へズレ、着丈はロング。素材はウールが半分で、残りはコットンとポリエステルが半々。
かわいい。


さて次へいこう。




フィデリティ Pコート ¥3000〜40000くらい


これも楽天でもなんでも検索してくれれば出てくるのでめいめい探してくれ。
ダッフルと並ぶ人気アウターのPコート、似ているのは素材だけではない。
Pコートもイギリス海軍の防寒着として生まれ、アメリカ海軍などでも利用された。
左右どちらでも開け閉めができる、前身ごろのボタン配置は、生地の合わせ面積を増やすことで防寒性を高めている上に、
ボタンを欠損したときのスペアの役割も持っている。
大振りな襟を立てることで、海上で聞き取りにくい仲間の声を聞きやすくする役目もあるそうだ。


このフィデリティ(fidelity)というブランドはアメリカ海軍へ納品していた実績もあり、この手のアウターでは超有名。
肉厚なウールと馴染みやすいシルエットでみんなだいすき。
割と安価なのも街中でよく見かける理由か
変なものではないので、安心して買ってみるといい。
ちなみに、前々回のファッション記事で取り上げたCPOジャケットや、
昨年から流行のチェスターコートも、ここのブランドのものがおすすめ。




スクーカム スタジャン(アワードジャケット)¥37000〜


今年はあまり流行ってない印象のスタジャンだけど、個人的には何着か買っては手放してきたし、毎シーズン見てる服種。


スタジャンというのは日本での通り名で、レタードジャケット、アワードジャケットという呼称が一般的。
スポーツ選手の防寒着で、とくに大学生が学校の名前やチーム名、自分の名前などを刺繍したものが多い。
毎シーズン、いろんなブランドが作ってるけど、昔からずっと作ってる老舗というのは、このスクーカム(skookum)だと思う。
アメリカのブランドで、分厚いカーディガンなんかも作ってるんだけど、スタジャンの知名度が高く、
古着でも、前の持ち主(アメリカ人)の名前が入ったスクーカムのスタジャンが見つかったりする。


スタジャンというと、胴がウールで、袖が白系カラーのレザー、ショールカラーでスナップボタン留め、というイメージが強い。
ただ、このブランド自体は、どちらかというとメーカー色が強く、特定のモデルやカラーを定番として出しているということはない。
オーダーを受けた形で生産しているのか、バリエーションが非常に多く、見かける場所で形も素材も違う。
最初の写真で出したのは、レザーでラグランスリーブ(肩部分の切り替えが斜め)、ショールカラ―(ロールタイプ、ラインあり)、スナップボタン留めだが、


これは、ラグランスリーブの黒レザー、ショールカラ―(ロールタイプ、ラインなし)、ふつうのボタン留めとなっている。
ここで買える。



セットインスリーブ(肩が斜めじゃなく天地へまっすぐ)で、ショールカラー(ロールなし、ラインなし)、ふつうのボタン留め
同じところで買える。



ラグランスリーブ茶レザー、普通の襟(言い方わからない)、ジッパー開閉
ここで買える。


など、枚挙にいとまがない。いろんな形があるので、これが一番いい!ということもないのだけど、自分の気に入った形や色使いに出会えたら
長い関係を築いていけるかもしれない。




トラディショナル・ウェザーウェア セルビー ¥51840
ここで買える。

ステンカラーコートは、細身のズボンやスニーカーといった最近流行りのアイテムと相性がよく、ここ数年はすっかり定番のアウターとして根付いた感がある。
ステンカラーコートの老舗といえば、マッキントッシュなのだが、マッキントッシュのコートは10万前後するはずなので、ここはより買いやすい方をオススメしたい。
そうはいってもこの、トラディショナルウェザーウェアは変なブランドではなく、マッキントッシュのデイリーブランドで、よりカジュアルにマッキントッシュの世界を楽しむためのブランド。青山にある店舗には、マーガレットハウエルなんかもおいてある。


素材は非常に強く詰めたコットン生地で、裏地には防水性のある素材が張り付けられている。いわゆる「ゴム引きコート」。
イギリスでは定番の防雨素材で、ハリとツヤのある表情はスタイルを格上げしてくれる。
このセルビーというモデルは、トラディショナルウェザーウェアの定番で、着丈はロング。カラーバリエーションもデザインも伝統的なもの。
俺にはあまり似合わなかったけど、オススメ。


ショート丈のタイプはよりカジュアルに合わせやすく、シーズンカラーもあるので入門編としても。

オススメカラーはオレンジ(いまは置いてないっぽい。ごめん)。




バブアー ビデイルSL ¥52920
ここで買える。

こちらも、ここ数年大人気のバブアー。渋谷と梅田に直営店が出来たし、セレクトショップとのコラボも山ほど出ている人気者。


バブアーのコートはいくつか種類があるけど、その中でも一番人気なのがこのビデイルというモデル。
着丈はやや短めで、襟はコーデュロイ、パッチポケットとハンドウォームポケットがついた形。
実はバブアー、同じものを同じように作ってるだけでなく、いろいろと工夫を凝らしていたりする。
季節によってコーデュロイの厚みを変えたり、素材の厚みを変えたり、袖部分のリブをなくしたり、
防寒用のライニングもキルティングにしたりウールにしたりと甲斐がいしいほど努力しているのだけど、そこがフィーチャーされることはあまりない。


今回紹介するビデイルSLというモデルも、通常のビデイルではやや野暮ったいというニーズにこたえたスリムフィット仕様。
より細身のデニムなどにも合うようになり、スーツの上に来てもジャケットがはみ出さないように着丈も少し長く調整しているので、
アウターとしての格があがったような感じ。


カラーバリエーションは、ブラックやネイビーなどもあるが、オススメは断然オリーブ。
デニムとの相性もよく、インナーにフィッシャーマンニットやGジャンを指してもよく映える。


そういえば、この記事を書いている日中に、ビデイルを着ている女性を見た。デニムにスニーカーというカジュアルな装いに、
バブアーを羽織っていたのがすごくクールだった。


ちなみに、古い年代のバブアーには、四つのパッチポケットがついたものも存在しており、これは一段階高価。
別に機能的に優れているとかいうものではなく、趣味と希少性の問題なのだが。


ところでバブアーといえば、このワックスコットン(オイルドコットン)という素材が代名詞のようになっているけど、そもそもこの素材はなんなのか。


半分私見なんだけど、寒さをしのぐために、洋服に求められる要素は二つある。保温性と、防風性(防水性)だ。
空気を含むことで体温を保ち、それが風や雨で低下することを防ぐ。
現代で言えば、保温性を担うのがダウンやフリースで、防風性を担うのがゴアテックスなどのシェルということになる。


さて、そういう素材なかった時代にどうしていたか。保温性はニットの役割だった。
ウールで厚く編んだセーターはあたたかいが、網目が大きいため、風を通しやすいという難点があった。
回答のひとつが、先に紹介したボンディングコットンという、コットン素材の裏側に防水素材を当てるという方法。
もうひとつが、目を詰めて風を通しにくくしたコットンに、たくさんのオイルを吸わせることで撥水性を高めた、このオイルドコットン素材だ。


レザーが高級品で、ナイロン等の化学繊維もなかった時代、特にイギリスではこうしたオイルドコットン素材というのはポピュラーで、
バイクに乗るときや狩猟の際にも用いられていたようだ。
いまの時期に古着屋にいくと、この手合いの服がたくさん並んでおり、古いオイルの匂いでむせかえるようだけど、
最近のものは匂いが薄く、手で触ってもサラサラとしているので安心だ。


オイルドコットンつながりでこちらも紹介しよう。

ベルスタッフ トライアルマスター


バブアーにも、インターナショナルという似た形のジャケットがある。別にパクリとかそういうことではなくて、この時代にはこういう形が流行っていた。
古着市場ではバブアーよりもずっと人気で、ものによっては10万近い値がつくものもある。
ミリタリーのM−65のようだが、それよりもずっと細身で、スマートな印象。




ルイスレザー サイクロン ¥200000弱くらい?よくわからない


やはり一着は欲しいライダースジャケット。一言でライダースジャケットといっても、イギリス流とアメリカ流がある。
イギリス流は細身で着丈が長く、素材は牛革のほかにも羊革や馬革が存在している。
アメリカ流は着丈が短く胴が太い。素材は牛革が多く、ベルトやエポーレットといった付属品も多い。


こうした形の差は、両国のバイクに搭乗姿勢の差だ、とツイッターのフォロワーに聞いた。実際のとこ、ベルスタッフなどもイギリスのブランドなので、
おそらくそれが正しいんだと思う。


で、このサイクロンは、イギリス流ライダースでいちばん有名な形。同じブランドにライトニングというモデルもあって、こちらも大変かっこいいし有名なんだけど、より特徴的なディテールが多いのがサイクロン。
具体的には、裾の部分に垂れ下がったベルト。これがかっこいい。
これは裾部分の生地と地続きになっていて、取り外しなどはできないのだけど、革が柔らかくなるにつれ、自重でこのように垂れ下がってくる。
このバランスが、細身でぎゅっとしまったウェスト部分の言いようのないアクセントになってかっこいい。
閉めて着るライダースという感じ。


ただこのルイスレザーというブランド、一着を一人の職人がすべてつくるという大変手間のかかる生産方法をとっているのだけど、
日本人はルイスレザー大好きすぎてオーダーかけまくったために現在はオーダーできない状況になっている。
店舗にどれだけ在庫を持つものなのかよくわからないが、とりあえず新規に入荷することは当分ないため、手に入れるのが難しくなっている。
代わりといってはなんだが、日本発のブリティッシュヴィンテージのブランド、アディクトクローズにて、
同様なモデルを買うことができる。価格的にもこちらの方がおすすめだ。
ここで買える。



ショット ワンスター ¥101520(新品時)
ここで買える


こちらはアメリカ流ライダースの元締め、ショット。
たまたま同じ人が着てる写真があった(原宿にある「ラボラトリーベルベルジン」という激アツな古着屋の的場さんという方)。
ルイスレザーとは逆の縦横比というか、野暮ったさ満点だ。
肩についてるエポーレットや、大きなバックルのついたベルトなど、これぞライダース!という要素がもりだくさん。
こちらは、前を留めて着ると着丈の短さも相まってかなりおかしなことになる(ZOZOの写真は留めて着てるけど)ので、
どちらかというと開けて着るライダースという感じ。
インナーは、Tシャツはもちろん、シャツにネクタイをしてもいいし、ニットでもいいし、自由度は高い。
ちなみに、ワンスターという名前は、肩に星型のスタッズが打たれていること由来になっている(写真は古着だからとれている)。


ところで、革ジャンを着て歩く「旬」は、実は春だといわれてる。というのも、そもそも革ジャンはあったかくないのだ。
先に話した、保温性と防風性の話でいくと、革ジャンは防風性の担当になる。
もちろん、革なので多少は体温を保ってくれるが、外気が冷たいと革自体も冷たくなるので、
インナーにはサーマルやニットなどの暖かいもの、今年ならインナーダウンでもいいけど、差し込んでおくのが吉。




ロッキーマウンテンフェザーヘッド ダウンベスト ¥43200〜
ここで買える。


ダウンベストといえば、ロッキーマウンテンかクレセントダウンでしょう。
今回はより手に入りやすくて分かりやすくかっこいいこちらを紹介。


古着市場でも価格は高く、欲しい人がたくさんいるこのブランド、まちがいない暖かさはもちろんなんだけど、
魅力はなによりこのわかりやすさ!ナイロンの身頃に、レザーのヨーク。カラーバランスといい、なんてかっこいいのか。
ザ・男の子という感じがする。
襟にファーがついたものや、デニム素材のものなど、カラーも含めてバリエーション豊か。
どれを買っても間違いないけど、俺のオススメは、シーズンモデルの、デジタル迷彩のもの。⇒これです
もちろん、レディースにもばっちり。




トッドスナイダー × ロッキーマウンテン ダウンジャケット ¥52488

定番ものじゃないけど、ロッキーマウンテンつながりでひとつ紹介。
いま勢いがあるニューヨークブランドのトッドスナイダー。
チャンピオンとコラボしたスウェットをはじめ、タイメックスやジョンスメドレーなど、コラボ商品を多数展開しているが、
その中でも俺が気に入ってるのが、このキルティングダウンジャケット。


こうした、ショールカラ―で菱形のキルティングが入ったジャケットは、今シーズンたくさんのところでみかける。
襟がない服の流行と、キルティングという野暮ったさへの回帰志向が合わさった結果だと思うけど、実はこのデザインには歴史がある。


これは、ミリタリーに強い古着屋にいくと1,2着はかかってるジャケットで、割と安価だったけど最近は人気がでてきて、価格があがってる。
MA−1やM−65、A−2などのアウタージャケットではなく、モッズコートなどのオーバーコートの中に仕込む中綿入りのインナージャケット。
要するにインナーダウンの原型みたいなものなのだ。
トッドスナイダーは古着が好きだから、このジャケットのことも知っていて、これをもとにジャケットをつくった。
もっとも、菱形のキルティングは、エディバウアーというアウトドアブランドでも長く使われてきた意匠なのだけど。


中綿しかないミリタリーものと異なり、ロッキーマウンテン仕込みのダウンが充填されてるから保温性はばっちりだし、
この上からオーバーコートも着られるような厚みに仕上がっていた。
インナーはカットソーでもいいし、シャツにネクタイをしめてもいい。あまりダウンジャケットって着ないけど、こういうものなら欲しいなと思えた。
かなり人気で店舗でも足が速そうなので早めのGETをおすすめする。




アルファ MA−1 タイト ¥19224
ここで買える。


女の子が着てる方がかわいいのでそういう写真にしたけどもちろんメンズもある。
別にアルファじゃなくても他のもでてるけど、MA−1を定番で出してるところだし、なにせ老舗だからアルファのものを紹介する。


MA−1はアメリカ空軍用のジャケットで、コクピットに座ったときに邪魔にならないように着丈が短く作られている。
中綿という素材の保温性の弱さをカバーするためか、これでもかと詰め込まれた腕は胴体は太くてコーディネートしにくいのが悩みの種だった。
大御所アルファが、このタイトフィットを出したときは急いで買いに行った。
腕まわりのモタつきはかなり解消された上、短すぎるきらいのあった着丈もきもち長くなっているので、街中で着るのに十分なスペックになっていた。


とはいえ、現在ではもっともっと細くつくられたMA−1がたくさんあるので、必ずしもアルファでなくてもいいんだけど、
流行りのものは中綿が全然入ってなかったり、表地がよくわからないヘボいものだったりするので不満も多い。
細身が主流といえど、せっかくのMA−1なのだから最低限のボリュームは欲しいし、生地もこのテロテロとしたナイロンタフタであってほしい。


タイトと銘打っているが、それなりのゆとりもあるので重ね着の自由度も高い。ニットでもいいし、流行りのGジャンのインナー使いもかっこいい。
こんな具合に↓

ちなみにこのMA−1は、スピワック(spiewak)というブランドのものだけど、取り扱ってる店舗が少なくなかなか見つからない。




インバーアラン 3Aアランカーディガン ¥40000〜70000

番外編として、ニットをとりあげる。
アウター級のニットというとやはりインバーアランの、このアランカーディガンだ。
冬が来るたびにどこのセレクトショップもきっちり取り揃えてる。
着用しているのは、原宿ファッション界のボス、キャシディの八木沢さん。


価格に3万円もブレがあるのだけど、楽天でも見ると40000円弱のものがあるけど、ビームスなどでは70000円近い値段で売られてるのだ。
俺のイメージとしては、6万以上は出さないと買えないブランド、というイメージがあるので、楽天のやつは本物なのか?と疑いたくなるが。


一着一着、編み職人が手編みで仕上げているセーターはふっくらとしてあたたかく、着こんでもへたったりしない。
こうしたセーターをフィッシャーマンセーターというが、そのルーツは、名の通り、漁師が着るためにその奥さんが編んだものだったようだ。
油分を含んだウールをしっかり編みたてることで、保温性だけでなく防水性も付加されたという。
また、このケーブル編みとよばれる編み模様は家紋に似た役割を持ち、万が一溺死した際などにも、編み柄で身元がわかるようになっていたらしい。
もっとも、現代では編み柄で身元がわからなくても大丈夫なので、製品として流通しているものの編み柄は統一されているようだ。


そんなインバーアラン、見ての通り風はスースー通すので、風の強い日などはこの上になにか羽織るか、インナーに重ね着をして風を防ぐ必要がある。
なんとも、高価なわりにじゃじゃ馬なのだ。ビームスからの提案は、ショールカラ―のガウンタイプをGジャンに重ねるスタイル。



この記事で何度となく言及した、Gジャンとアウターを重ねるというスタイリングは、たぶんバイク乗りたちの工夫から始まってるんだけど、
すごくかっこよくて大好きな組み合わせ。中に仕込むには少し生地が厚いから、アウターの種類は選ぶけど、ステンカラーコート、アランカーディガン、オイルドジャケット、チェスターコートなど汎用性は高く、手軽にワンランクアップなテクニックだからみんなも真似してほしい。




最後に、アウターはファッションの華形だから、下手なものを着ると最高にチャチだし、なにより寒い。
機能性も大事だけど、気合いれて買ったアウターをまとって外に出ると本当にいい気分だから、高いな・・・と思っても
イメトレと試着を重ねるうちに買った方がいいのではという催眠にかかってくるので、大丈夫だぞ(意味不明)。

じゃあ今回はここまで。あばよ!