わたしの苦しさ、あなたの悩み

晴れ。夏感じてる。今年のGWはなんかすごい。こんばんは、キム・ミンジです。

最近、若手の退職が続く。入社3〜4年で8割やめてる世代もある。そんななか、一緒に仕事をしている後輩と外を歩いていたら、おもむろに彼が話し始めた。

「今度、人事部長と話してみようと思うんです。」

「ええっ、なにを。やめんの?」

「いやーやめはしないっすけど・・・難しいっす。」

「なにが。仕事が?」

「仕事もまあムズイはムズイっすけど、上司が・・・」

彼と俺の上司は、性根が悪いわけではないのだが、ちょっと言い方がねちっこくて説教が長い。上司自身がかなり"可愛がられながら"育ってきたこともあり、そういう育て方しか知らないのか、部下に対してもかなり当たりが強い。わざとやっており、嫌われている自覚もあるようだが、本人の信念もあり改める気はないらしい(曰く、その方が後々に生かせることが増えるそうだ)。かく言う俺も、2年前にこの上司がムカつきすぎて、転職あと1歩まで進んだ。内定まで貰ったので、明日、辞意を伝えるところだったのだ。

「あーまあね、難しいよね」

「そうなんすよ。なんかいろいろ抱えてるのはわかるんすけどキャパオーバー気味になってイラついてるし」←正しい

「どうしたいの?配置変え?」

「そうすねえ、、、」

とまあそんな話をしていた。この日の夜、俺と彼ともう一人で焼肉に行った。彼のこの話を聞いたからではなく前からそう約束していたからだが、結果的にその話になった。俺ももう一人も、今の会社に10年前後勤めているから、上司への苛立ちや理不尽な思いはいろいろあったから、そんな話をした。

まあ、ありふれた話ではある。上司と合わない、ムカつくやつが部署にいる、指示が理不尽で要領を得ないなどなど。だいたい、3種類の策がある。①直談判の上、相手に改めてもらう。②なんとか受け入れようとし、自分を変えていく。③関わらないようにする。とはいえ、みんな似たような思いをして、社会と自分の摩擦の中で角がとれていき、社会の曖昧なニュアンスを掴むようになってくるものだ。だからひとまず②を採択し、それでもダメならまた考えてみよう・・・・・・・そんなクソのようなアドバイスはしたくないと思った。これこそまさに、程度問題を無視して一般的な構造へ個人を回収する仕草だ。歳をとってくると、つい事象を類型化して理解しようとしてしまうが、どんなありふれた悩みだとしても、その人の気持ちはその人のものだと俺は考えているので、「みんなそうしてるから」なんて片付け方をしたくないものである。だから、無関係な自分たちが似たような昔話をしてしまうのは、ケーススタディの一つとして提示したいからだな、と思った。そういえばおじさんたちはよく昔話をするが、あれは自分自身がくだす判断の参考にして欲しいんだなとようやくわかってきた。「訳わかんない上司ばっかなのに、お二人はよく今のキャリアまで耐えてやりましたよね、すごいっす」と彼はいうが、それはたまたま俺たちはそうだった、というにすぎない。こういうのは、自分の精神との相性とか、"どれくらい嫌か"を考えないといけなくて、俺は他の仕事を探す方が嫌だったから耐えた、もっと言えば転職先で年収が落ちることが、日頃のストレスよりも大きかったからやめた、という極めて量的な判断で結論を出している。逆に彼が、今の仕事を続けることよりも、再び就職市場へ出ていくことが楽ならそっちの方が良い。だから彼にはくれぐれも、「お前の苦しさはお前のことだから」と伝えた。かっこいい😎 一見、絶対的・質的な問題を、相対的・量的な問題に置き換えてみると、意外と消化できることがあると思うんですが、どうですか。やってみてくださいね。