こしがいたくてもひとり

雨。寒い。クソ気候。こんばんは、ダヒョンです。

先週末は3回目のワクチン接種をした。2回目からかなり空いたが、ようやく打ったのだった。過去2回は自衛隊の集団接種に参加したが、今回は溝の口のマルイ12階にある市民会館で接種した。過去2回とは随分様相が異なり、会場への到着から、左腕に注射の針が刺さるまでほぼノンストップで進むことができた。あたかもファストパス。過去2回の接種後はどんな風だったか聞かれたが、俺はそこまで高熱が出なかったのでそのように答えた。「何か要望はありますか?」と聞かれたがよくわからなかったので無いと答えた。言えば麻婆豆腐とか出してくれたのだろうか。好きって言って、みたいなことだったのかしら。接種したのち、引きこもるお供にアイスの実のとうもろこし味とかぼちゃ味を二つずつ買った。ーー話は逸れるが、俺はこのアイスの実の野菜シリーズが大好きである。初めて食べたのは2年前の9月で、あまりに美味しかったのでグリコにマジで美味いから年中売ってくれとメールまでしたのである。以降、年に一度売られるのを楽しみにしている。ただ野菜風味、ではなく野菜の青臭さ、大地の香りのようなものを表現しており、それでもなおスイーツとしてまとまっているのが非常に美味しい。表面の膜が硬めで、なかのジェラートとの食感のコントラストも楽しい。ーー帰宅してから昼寝するかゲームするか迷っていたが、迷いながらスマホの画面をさすっていたら夜になっていた。クソみたいな時間を過ごしてしまったと憂いつつ晩御飯のことを考える。ぜんぜん体調も悪く無いのでラーメン食べに行った。食べに行ったはいいがその日に初めて頼んだメニューが体に合わず、苦しい戦いを強いられた。早めの晩御飯だったので、アイスの実やフルーツゼリーでのリカバリーを行い、就寝する。

翌日、これといって強烈な体調不良は感じないものの、腰は爆裂に痛い。俺の体は、体内に不具合が起こると腰の痛みでそれを知らせる仕組みになっている。噂によると父親も同じ体質で、生まれつき腰骨のブロックがひとつ少ないんだそうだ。そんなことがあるのかはわからない。俺が同じくホネタリンなのかは知らないが、とにかく具合が悪いと腰が痛む、というよりも腰の痛みでもって具合が悪いと悟るのである。はかってみると微熱なようで、睡眠と覚醒の間で、痛みの波を眺めながら横たわる。食欲はあるので、前日にアイスの実と一緒に買ってきた冷凍食品を温めて食べる。年を追うごとに食べるごとに冷凍食品だとかチェーンのご飯だとかが美味しく感じなくなってくる。歳をとり、舌がデリケートかつ生意気になってきた。悲しい。良いと感じられるものが減るにつれ、人生の色彩は失われ、嫌いなものを耐えることが人生そのものになってくる。ご飯を食べてから、アイスの実をかじったり、ルマンドのカスをこぼしたりしていると眠くなったので入眠、夕方に起きる。有名なAV女優が高級風俗店にいるので奮発して指名してみたら、サービスが非常に悪く愛想もないため心から落胆し、時間が余っているのに帰るというどうしようもない夢を見た。腰の痛みに呻きながら起き上がり、また冷凍食品を温める。レンジの音が響いて、独りだと感じる。セブンイレブンの肉じゃがはご飯によく合う。体調がすぐれない時は孤独とよろしくやるに限る。一人きりでいると、少しの寂寥と一緒にワクワクを感じる時がある。小学生とか中学生の頃、家の近くの川原にいき、ひとりで座っているのが好きだった。誰もいない公園に行くのが好きだった。特に夕方だと、下腹部がソワソワするような興奮を感じた。世界の全てが自分と一体であるような感覚になった。他者によって定義されない、曖昧な自己の在りように陶酔するような感覚があった。一人暮らしを始めて10年以上経つが、誰もいない部屋に帰り、自分が出す音だけがする場所にいると、いまでもたまにこういう感覚を覚えることがある。それが体調不良という、より孤独と向き合う状態なら尚更だ。このまま死ぬんだと思う。もう自分でいる必要がなくなるという期待が芽生えたりもする。熱と腰痛で思考の輪郭が曖昧になりながら寝る。

翌朝起きてみると、やはりずいぶん体調がいい。それなりにしっかり意識は持っていたつもりでも、前夜はかなりうなされていたようで、見ていたもの感じていたことの記憶も、あの夕方の川原のようにおぼろげである。そういえば今週末は楽しげな会食の予定があるから、それに向けて社会をやり過ごしたりしよう。