まぜまぜ推奨のミートソーススパゲティ専門店最高

晴れ。いよいよという気温になってきた。こんばんは、とみいです。

 

お料理のYouTubeをよく見る。さいきんよく見ているのは、参宮橋のイタリアン『レガーロ』の小倉シェフのYouTubeだ。パスタをメインとしているが、煮込み等のイタリア料理も教えてくれる。家庭用というよりはプロ仕様のレシピで、なんとなくやればできる、みたいな作り方ではない。まぁ、見ているからといって俺がイタリアンを作るわけではない。俺の部屋はコンロが一口しかなく、かつそれはIHなのだ。電子レンジと同時に使うと一撃でブレーカーが落ちるため、パスタを茹でつつソースを作るという作業ができない。おまけに、イタリアンのレシピにはアンチョビとかケイパーとかが必要だが、絶対に使いきれないことがわかっている。トマトソースも作ったところで多分使いきれない。そもそも、イタリアンを食べたい!という欲求自体週に一回くらいしかわいてこない(逆に言うと週に一度はパスタたべたい)。しかしイタリアンを作る過程は展開が早く色も鮮やかで見ていて楽しい。小倉シェフの人柄も魅力だ。ぶっきらぼうそうで適当に喋っているように見えるが、料理はかなり繊細というか"ここしかない!"みたいな着地を目指して作ってる感じがあり、その過程を全て言語化しているので、理屈が好きな自分としては非常におもしろく見ている。その中で小倉シェフがよく言うのが「ムラの美学」という言葉だ。ムラとは村ではなく、まばらであふこと、不均一であることを指している。小倉シェフがパスタを作るとき、お皿全体が一つにまとまっていることは少ない。ソースがかかっているところもあればかかっていないところもある。牡蠣などの副食材もゴロゴロとある感じではなく、一口ごとに異なった食感や風味が得られるように気を配られている。「パスタの上になんか乗ってると、全部混ぜちゃう人いますけど、混ぜちゃだめですよ。食べるごとに味が違うことが大事なんで」とよく言っている。

ところで俺は食べ物混ぜちゃうおじさんである。カレーでもパスタでもとにかく混ぜたい。混ぜたい欲求が止まらない。子供の頃はカレーが出るたびに全てを混ぜた黄色いご飯にしてから食べていた。母親は行儀とかマナーにうるさい女なのでよく咎められた。本当にやるたびに母親から注意されたので、人前ではやらないようにしているが、本当は混ぜたい!と思いながらカレーを食べている。不均一な状態に我慢ならないのかもしれない。黒いコーヒーに白いクリームが流動しているさまを見るのも我慢ならない。即刻かき混ぜて茶色の液体をつくる。この理由について、根本のところは俺自身もわからない。ただそういう衝動が湧き上がってくるとしか言えないのだが、たぶんこんなふうに考えているからじゃないかと思っている(自分のことなのだが)。混ぜられるような食べ物、即ちA(カレー)+B(ライス)となっているような食べ物を前にしたとき、この料理の最大値はA+Bの状態で発揮されるのであり、それぞれ単体の状態ではない。両方がしっかり渾然一体となった状態でこそ最大の美味しさが味わえるという信仰をもっているのだ。カレーライスをカレーだけで食うやつもライスだけで食う奴もいない(否、実はいる。俺の兄貴はカレーライスを食べる時にルーを多めにとってライスを片付けた後にルーだけで食べる。マジで気持ち悪い)。この延長線上で、おかずとご飯(パスタとか)のバランスが崩れるのもすごく嫌だ。カレールーだけ余るとかご飯だけ余るとか許せないし、これは定食でも同じことだ。定食はその性質上、混ぜることが物理的に難しいため、俺はなるべく満遍なく順番に食べるようにしている。トンカツ定食を食べようとした時に、キャベツだけを先に片付けたり、お漬物を最後まで残したりはしない。全ての単品が同じタイミングで無くなってほしいと常に祈りながら食事を摂っている。そんな性分だもんで、小倉シェフのいう「ムラが大事」というのは大人の余裕を感じる。ソースが薄いところのあとに濃ゆいところを食べたら「ああ!もっとまぜたらちょうどよかったのに!」と思うかもしれない。でもなんか、そういう不均等さを愛せるようになるとまたひとつ人間的に成長したりするかもしらん(?)