エゴを受け入れろ

晴れ。もう涼しいのに慣れたので、今日はなんなら暑い。もっと冷えてくれ。

先日、上司A(管理職になって1〜2年)、先輩B(社歴は長いが役職はそんなに高くない)と井戸端会議をしていて、上司Aがこんなことを言っていた。今回の記事はこの上司Aの話が端緒なので長くなるが読んでほしい。

「この間、役員Cと話をしていて、『後輩や部下の仕事について考えることが多いです』とボヤいたら、『まあ、ひとつひとつの行動がその人を作ってきたんだし、どんな風にしてもそれは本人に返っていくだけだから他人の君がそんなに悩むことはないんじゃないか』と言われた。すごい達観してると思ったら反面、要するに全て自己責任にするってことだから冷たいなとも思った。うちの会社は、数字のこと意外では社員にああしなさいこうしなさいと口うるさく言ったりしないが、ちゃんとその人のことは見ている。なんか変だなアイツってなったら指摘して直させたりせず、評価を落としたり、なんかこう、ちょっとハブるような感じがある。そうなったら可哀想だから、俺は指摘するようにしている。ミスや不手際があったときに、それ自体が大したことじゃなくても、先々で大きな問題になったりする場合もあるから、口うるさくああでもないこうでもないと言う。ただ答えを待つ社員になってほしくないから、わざとどうすればいいと思う?って考えてもらうような聞き方もする。その社員の将来を思ってのことなんだけど、でも当の本人が、"別にこのままでいい"、"評価が落ちるならそれまで"と思っていたら、俺がしていることって余計なお節介だよな、って最近思う。特に若い人たちが増えてきて、昔みたいに出世したいとか、より良い未来に向かいたいということに積極的じゃない人たちが増えてくるなかで、管理職としてどうしていくのが正しいんだろうな。」

一息でこんなに喋ったわけではないが、まあこんなことを言っていた。確かにこの上司Aは非常に理屈っぽく、なにかトラブルが起こった時にも「どうすればいいと思う?」と必ずクイズをだす癖がある(考えてもその通りにはやらせないのだからさっさと指示をしてほしい)、走ってもいない計画の細かい不備をガンガンついてくるし、1時間くらい説教した挙げ句、最後の最後は"責任感"だの"気持ちの甘さ"だのを持ち出してくる。まだ40歳手前だというのに最悪おじさんになりつつあり、かく言う俺も、昨年の6月ごろにこの上司Aがむかつきすぎて弊社を辞めるところだった。ところがこの先生は、本気で相手のためを思ってやっているらしい。自覚的な善意には、往々にして無自覚なエゴが入り込んでいるものだから、いつでも「本当は誰のためなのか」は振り返らないといけないなあと痛感する。さて、そんな上司Aもようやく、相手が要らないと思っていたら?という可能性に思い至ったようだ。こちらの善意が相手のためになっていなかったら?というのはコミュニケーションにおいてなかなか難しい問題だ。相手にとってプラスになることをしたいが、ぷらすになるかどうかは相手の判断次第。そしてこちらはその判断の前に動かなければならないという場合、どうするべきなのだろうか。むろん、何もしない、静観するというのはいい選択肢だろう。何も起こらないからプラスもないがマイナスもない。しかし何かをしなければならない時は?いみじくも役員Cが「行動がその人を作っていく」と指摘したとおりで、たとえ相手にとって不要なお節介だとしても、万が一相手を毀損するかもしれないとしても俺は相手のためを思ってやるんだ、と腹を括らないといけない。こうなると善意は遥か彼方に捨て置かれ、とっくにエゴの領域に突入しているわけだが、それが嫌なら黙っているべきだ。"エゴだが、やる"以外に他人に干渉する手立てはない。ビジネス上必要なことについては、個人の感情というよりと会社の意思によって指摘がなされるが、それもまた会社のエゴといってもいい。サラリーマンの道とは会社のエゴに従うことと見たり(それはどうかな)。

というか、善意はけっこうだけど、採用している手段が悪すぎて善意が届く前に消滅している感じがあるから、単にやり方を変えたら、という末路でもある話だ。