『モテキ』

わかる
















だけでは記事にならない。久保ミツロウ原作の漫画「モテキ」の映画版。ある程度は原作準拠で進められたテレビドラマ版とは異なり、原作者みずから映画のために書き下ろしたストーリーで物語が展開していく。

あらすじはウィキペディアから丸コピペする。ウィキペディアのあらすじはよくまとまっていることがあって、こういうのを書くのは意外と骨が折れたりするのだ。


藤本幸世、31歳。1年前にやってきた“モテキ”の後も実家で暮らしていたが再び上京し、墨田が興したニュースサイト・ナタリーの面接を受けて正社員として採用された。ライターの仕事を覚えながら生き甲斐を感じて働いていた頃、ツイッターを通じて雑誌編集者である松尾みゆきと知り合い、意気投合する。彼女に付き合っている相手がいると知りながらもデートを重ねるが、同棲までしている事から積極的になれなかった。そんな時期に、みゆきの友人である枡元るみ子に告白をされて一夜をともにする。一度はるみ子を好きになろうと思う幸世だがみゆきへの思いを断つこともできず、るみ子を振ってしまう。その後取材でみゆきの彼氏である山下ダイスケに会って、彼が他の女性と結婚している事を知る。幸世は感情を高ぶらせてみゆきの元へ駆けつけ、気持ちを伝えるが拒絶されてしまう。ダイスケが主催するフェスの当日、ダイスケは離婚することをみゆきに伝えるがみゆきは気が浮かず、取材に来ていた幸世を見つけると逃げ出してしまう。幸世は彼女を追いかけて、そしてキスを迫る。

予告編



1年前にやってきた“モテキ”というのはテレビドラマ版のことを指しているが、本作品では時系列は引き継ぎながらほとんど独立した物語になっている。あれだけ宣伝されていた公開当時、俺だってこの作品の存在は知っていたのだけれど、あまりに女性向けっぽいタイトルのレイアウトやコンセプト、どうやら森山未來長澤まさみの乳を揉むらしいという嫉妬メラメラ展開の噂、そもそも恋愛映画に興味がないということでまったく見る気がなかった。のだけれど、何やらかなり面白いという噂をいまさら聞いたのと、そういえば夙川ボーイズのこともこの映画経由で知ったのだったということを考えあわせて見てみることにしたのだ。

予告編をみると、4人の女性から言い寄られる非モテ野郎の図を予想するのだけれど、実際は長澤まさみ森山未來との話に少し麻生久美子が絡んでくる、くらいで、真木よう子仲里依紗は外野からの参加となっている。

主要なキャラクターは鮮やかだったし、俳優とのマッチングもよかった。

主人公の非モテこじらせサブカル男子、幸世は、31歳という年齢を考えるとちょっと引くほどに子供じみていて、自意識とプライドが高い。「これいいよね」といえばいいものを自分の主張をさり気なく織り交ぜてみたり、なんでも都合のいい方向に考えようとしてみたり、自分を舞台役者に見立ててドラマチックな空想を描いてみたりと、いちいち"こちら側"の空気感をまとわせている(森山未來自身、音楽や映画、読書と多趣味で文化的な人物であってなんとなくオーバーラップするのだが、本人は既婚であるうえに、ダンスも習っていて、物語序盤でPerfumeと一緒に踊っても引けを取らない体の利きっぷりを見せ、"あちら側"であることを思い知らせてくるのである)。そんな幸世が、ツイッターで出会ったみゆきに惚れるの、わかる。
みゆきは可愛くて人慣れしていて、愛想よく屈託なく笑顔を振りまけて、遊ぶことにも慣れている、幸世からみたらまぶしくてまぶしくて仕方ない存在だったろう。そんなみゆきに手を握られてキスしてセックスまでしたら、彼氏がいても惚れてしまうの、わかる。みゆきがどんな人物かとか、サブカル趣味があうとか、そういうのは本当はどうでもよくて、非モテがかわいこちゃんとニャンニャンしたってだけで惚れるの、わかる。どう考えても高嶺の花なのになぜかイケると思ってしまうのも、わかる。モテない自分にめっちゃすり寄ってきてくれる麻生久美子を、どういうわけか好きになれずに遠ざけるのも、わかる。


で、そんなみゆき、初対面でも堂々と飲み会で華をふりまいて、男どもをヒラリヒラリとかわしながらも、ハイパーイケイケお兄さんにゾッコンになって辛くなってるの、わかる。みゆきの彼氏を演じる金子ノブアキ、物語上ではかませ犬になってるけれど、すげーいけすかなくて良かった。濃い顔、チャラいファッション、気さくな人柄、仕事バリバリ、不道徳に女遊びもすると、幸世が嫉妬と劣等感を募らせるのに最高のキャラだし、ちゃんと実写の上でそれが活きているのがよかった。
みゆきに話を戻すと、本編では、みゆきの心理描写はわりとあっさりめに描かれてるのだけど、この女、どうしたって自分にコンプレックスあるし、だからるみ子とも仲良くなったんだろう。みゆきが幸世に対して好意を抱きながらあと一歩ダイスケを捨てきれないのは「幸世じゃ(自分が)成長できないから」だという。この成長とかいう曖昧な言葉を平気で使う人間には虫唾が走るが、要するに自分を支えさせられない、もっと言えば甲斐性がないってことなんじゃないか。そもそも幸世のことをなんで好きになったのかはよくわからないんだけど、恋する理由を問うのは野暮ってものか。俺が言えない。長澤まさみは、天真爛漫で太陽みたいな女の子が似合うけど、悩むのはあまり似合わない涙をこぼしながらその細長い足を腕の中に畳み込んでいる様子はどうも違和感がある。もっと闇があるところを見せてほしかった。


そんなみゆきと友達のるみ子、33歳の設定だが、こちらもなかなか拗れている。いわゆる、重たい女として描かれるるみ子、きっとモテてこなかったんだろうなというのは初登場のシーンからわかる。みゆきとは異なって、自分の受皿を探してる状況、自分が成長しなくていいような相手を探していた。そんな33歳が自分の仕事や趣味に付き合ってくれた幸世にいきなり恋するの、わかる。サブカル野郎に合わせて普段きかない音楽にトライするのもなんともかいがいしい。そして、この映画の見せ場の一つの、麻生久美子迫真の、重たさ大爆発の演技、スゴイ。麻生久美子の薄めな顔を暗黒丸出しのカタストロフとのコントラストが衝撃的だ。嗚咽というか絶叫に近い泣き声は、明らかに自らの悲哀を嘆いていて、その身勝手さが身につまされる。「B'zをやめて神聖かまってちゃん聴くから」などと訳のわからないことをいって幸世を引き留めようとするもあえなく玉砕。失意のどん底かと思いきや、手慣れたオッサンに抱かれて牛丼を食べたら復活しやがった。なんともげんきんな女だなと思ったけれど、これもひとつの生き様である。


で、そんな陰陽ことなるメンヘラを引き立てるのが、仲里依紗真木よう子になるわけだが、仲里依紗は若くして子供をもってあげく離婚、水商売をして生計を立てているけれど、そういう苦労は多くて知識のない女性が、割と的確だけどやけに上から目線というか、諦観めいたアドバイスをする感じ、わかる。いいキャラクターだったからもっと出番欲しかったけど、謎のキスだけしてフェードアウトしてしまった。
真木よう子はというと、部下が私情で大事な仕事を台無しにしかけたのにその私情の相談にのってやるという、いい人なのか無責任なのか分からない姉御っぷりを発揮している。そういえば真木よう子自身の恋愛事情とかは全く描かれていなかった。ただただアドバイスをするマシーンと化していた真木よう子、でもちょっとでも真木よう子が悩んで女の顔みせるところみたかったし、セリフにも力強さが出たのではないだろうか。



キャラクターの魅力はもちろんだけど、この映画はやはり音楽を含めたミュージカルじみた演出が醍醐味だ。選曲も、夙川ボーイズや女王蜂、フジファブリック大江千里ももクロ岡村靖幸などサブカルネオンがぴっかぴだし、本編をカラオケの画面に見立ててコメディに心理描写をするのも面白かった。中盤の苦悩パートでほとんど出てこなかったのは少し物足りなかったけど、その分、ちょっとやりすぎ感さえあるラストシーンも気持ちよく見られた。ただ、ラストシーンは、物語自体はきちんと着地をしていなくて、みゆきがイケイケのダイスケにするのか非モテの幸世にするのかは描かれない。単純にみれば幸せなキスをして終わりなんだけど、ダイスケもダイスケで一応けじめをつけようとしてるわけで、おいお前どうすんねんという気持ちがある。「物語はちと不安定」で終わらせたかったのはわかるけど、一応映画なら安定したところも欲しいのではないか。


ラストの耽美によりすぎたところは目をつぶるとして、この映画をみて登場人物たちに感じたのは、いくつもの「わかる」ともう一つ、清々しいまでの身勝手さだ。幸世は手前の非モテで自分の首を締めながら、つまめる女はつまんでおくクズっぷり。みゆきはみゆきで、自分が浮気相手のくせにさらに浮気をしてみせる度胸と、浮気相手にキレ出す頭のトび方。麻生久美子はさんざん自分のために惚れて自分のために抱かれて自分のために泣いて自分のために立ち直ってる。どんだけ楽しい人生なんだみんな。

恋愛では、考えても仕方ないこと、ルーツを探っても見えてこないものがたくさんあるようで、とにかく現前する状況と心情に対してあれやこれやと立ち向かっていくしかないこと、その中で各々のエゴと他者への配慮がつばぜり合いして、音楽でも聴かないとやってられないこと、不安定でもなんだかキラキラして綺麗なこと、そういう手前勝手でサイコーな感じがよく表現されてたと感じたし、とにかく長澤まさみと付き合いたいと思った冬の夜である。