ブログブロガーブロゲスト

晴れ。秋の気温。ブレザーを羽織っても大丈夫。

今日は、"イライラ"という音が聞こえるくらい苛ついている上司を横目に、会社で仕事してるふりをした後、タイミングをみて外回りへ。会社から遠ざかるほどこころは落ち着きを取り戻していく。

人形町で汁なし坦々麺を食べて帰る。麺類というと、うどんにせよパスタにせよ、基本的には汁があるものより無い物が好きだ。汁ありよりも味が濃いし、無我夢中で食べられるところが好きだ。汁なしの麺は食べる前に混ぜる工程があることが多いが、この混ぜるという行為も楽しい。

 

 

なんと日記めいているのか。まるで文豪のそれではないか。ところで、ブログというと、俺がブログを扱い始めたのはこのサイトが初めてではない。

最初のブログは高校生の時で、@peps!だったと思う。いま30歳前後の諸姉諸兄には鉄板ネタだが、当時は@peps!や魔法のiランドといった簡単ブログ作成サイトが流行っていて、各人がおもいおもいのサイトを作成しては、友達同士でリンクし、学校とは別のコミュニティを築いていた。そうしたサイトには、簡易的なブログ機能のほか、写真だけを載せるページや、リンクだけをのせるページ、1,2センテンスだけの短文をタイムライン的にどんどん投稿するツイッターのようなページもあった(俺の周りでは「リアル」と呼ばれていた)。

俺のサイトはというと、トップ画(死語である)はレッドツェッペリンのギタリスト、ジミーペイジ。日記のページと、写真のページだけのストイック仕様だった。「リアル」をやらなかったのは、日記機能で十分まかなえると考えていたからで、リンクページがないのは友達がいなかったからである。ーーいま思い返しても必要十分な機能が揃っていたな、とおもうし、操作も簡単でサイトのレイアウト自由度も結構高かったように思う。ーー日記の内容は、こんな風にその日のことやなんとなく思ったことを書き連ねるときもあれば、内輪受けの下ネタを書くことも、セカイ系めいた小説を書くこともあった。

この小説というのは、なんでもない高校生だったはずの少女(ヒロイン)が、実は世界を滅ぼす力を持つ巫女のような存在で、巨大な闇の武装組織にねらわれている。そして同じくなんでもない高校生だったはずの主人公(辛うじて俺自身を投影することはなかった)がヒロインを救うべく闘争に身を投じ、最後にはヒロインの力が覚醒、主人公もろとも世界を滅ぼして終わるという、まあ、言ってみれば明確な黒歴史である。

黒歴史ついでにいえば、当時のこのサイトにありがちな、過剰な内面吐露的なブログも投稿していた。鍵付き記事というやつだ。当時好きだった女の子の誕生日をパスワードに設定し、その子に向けたラブレターをかいたこともあった。なんてロマンチックな男なんだろう。このブログサイトは、確かツイッターを始める直前くらいまでやっていたはずで、内面吐露の場がSNSに移行するにあわせて、更新されず石化していった。

また、人のブログを見ているのも好きだった。高校生当時、中川翔子をはじめとしたブログブームみたいなのがあり、いまでいうインフルエンサー的な人たちがやはりいたのだった。俺が見ていたのは宇多田ヒカル中川翔子だったと思う。その他には、もちろん、同級生たちのそれである。当時は女の子と全く話せなかったピチピチチェリーボーイだったおれは、普段接することのない女子生徒たちがネットで展開するプライベート空間を覗き見ることが楽しみだった。意外な生徒同士がプリクラを撮っているのを見たり、うっかり自分の悪口が書かれているのを発見したりしたものだ。

 

そんな風にして、ブログというメディアとそれなりの関係を過ごした10代だったのだが、それから15年ほどたち、再びこうして同じメディアに戻ってくるとは思わなかった。ブログ、というと何かずいぶんと懐かしい響きがするし、少しくすぐったくもあるようだ。あっという間に1600文字ほどかいた。これっぽっちの分量でも、ツイッターではなかなかこういうことはできない。SNSによって加速された情報社会、そのインスタント性や拡散性と逆行する硬派なメディアに思えるが、自分の城に閉じこもりがちな俺には、わりと性に合っているのかもしれない。

 

最寄り駅に到着できた。当時のことを書いていたらうっかり自分が少年である錯覚をし始めていたが、よく見たら、俺はスーツを着ているではないか。

故郷とはずいぶん違う都会の駅に降りる。それでも、あの日、田んぼを横目に、ブログのネタを考えながら漕いだ自転車の銀色を思い出したりするのだった。