親孝行

晴れ。暑すぎる。きつい。秋服着たい。こんばんは、ユ・ジョンヨンです。

さきの週末は仙台に行っていた。仙台は縁のある土地で、兄貴が仙台の大学に進学したのもあって、遊びに行ったり予備校にいったりして、ちょくちょく仙台には足を運んでいた。秋田の生家から子供達がいなくなり両親は仙台に移り住むことになったから、今では実家が仙台ということになった。女房と結婚する前に両親に会いに行ったのが去年の8月。その時に俺はコロナに罹っており、それに気付かずに会食したため、女房はもちろん俺の両親、さらに両親が後日会った兄夫婦と姪まで感染し、一大パンデミックを起こしてしまった。両親に会うのはそれ以来である。目的は、両親以外の親族と女房の顔合わせ。具体的には兄夫婦と伯母・伯父だ。伯母は元々東京で働いていたが、リタイアしてから仙台に移り住んだ。伯父が難病で体がきかないため、ふたりで老人ホームに入ったのだ。俺が進学で上京してからはいろいろ世話になったため、対面で報告しないわけにはいかなかった。自分たちの体調やコロナ禍の状況等、寸前まで行くか行かないか不安もあったが、半ば強引に進めさせてもらった。会食はつつがなく遂行され、両親は大変喜んでいた。伯母は女房に会うだけでなく姪にも会えていたので嬉しそうだった。子供がいない伯母にとって俺たち兄弟は実の息子のようなものだろうし、姪は孫のように見えている。コロナに感染した影響で、父親は歩けなくなっていた。歩行困難というわけではないが、長時間動くとひどく疲れて足が動かなくなるようになってしまい、杖をついて移動していた。完全に俺のせいなので、強烈な罪悪感に苛まれたが、償えないし、まあ遅かれ早かれなので仕方ないと思い直してあまり向き合わないことにした。正面から向き合ってもたぶん受け止めきれないかもなと思って緊急避難した部分もある。それはそうと、息子二人がどちらも嫁を連れて集った時間を喜んでいたようで、まあそれなりに親孝行はしたかなという気分である。本当は弟も来る予定だった(俺は三兄弟の次男である)が、彼は直前でコロナにかかっており自宅待機となった。父はこれをひどく残念がっていたようだった。母親はあまり感情を分かりやすく表出するタイプではないので良くわからないが、まあ父と二人きりでずっと過ごすよりは楽しかったのではないかと推察する。ずっと娘を欲しがっていたし。

親孝行とは親に世話をさせることだと、俺は勝手に考えている。育てられた恩に報いるため、仕送りをしたり旅行に連れていったりする殊勝な御仁も多いことと思うが、俺としては、親は育て続けることが悦びなのだろうと思っているため、普通にご飯も奢ってもらうし、家に赴けば茶も菓子も出してもらう。俺もかつては初任給で親に高級な酒などを贈ったこともあるが、「大変嬉しいが金輪際やめてくれ」と言われた。今回も、結婚祝いをもらったお返しに千疋屋のマンゴーを贈ったのだが、「滅多に食べられないものだから」とわざわざ冷凍しておいて、贈った当人の俺たち夫婦に振る舞ってきた。子供から報われることを大変に嫌う(というか重荷に感じる)両親のため、俺はもう見切りをつけて世話をし続けてもらうことにした。息子に何かをしなければならないということが、もはや死を待つのみの両親の、生のチェックポイントになっているように感じているからだ。「スネをかじっているくせに、世話を"させている"とは傲慢な包茎野郎だ」とお思いかもしれないが、もちろんこれは、我が家が少し裕福な家庭で、両親が極めて強いアガペーを持つこと、家族関係が概ね良好であるということ、俺が奉仕に対してやや鈍感であることなどが重なり合いたどり着いた特殊な結論であることは自覚しているつもりだし、包茎も仮性なので問題ない。なんにせよ、女房の協力があって、とにかく親族孝行ができてよかった。しばらくはしない。いくら身内といえ、やや特殊なシチュエーションだったことと、あまり猶予のないスケジュールを組んだため大変疲れた。女房はもっと疲れただろうし、感謝感謝である。