ヴィレ

晴れ。あっつ〜〜〜〜。こんばんは、キム・チェウォンです。

意志の力って大事だなあと思う。昨日、クレイジージャーニーという番組を見てたら、日本一のバーテンダーと言われる方の密着取材だった。その方は世界のバーTOP50に日本から唯一ランクインしているすごい人で、既存のカクテルではなく、自分自身で新たなカクテルを作り出すことに情熱を注いでいる。お店を休みの日は世界を旅して、現地の食文化に入り込み、まだ日本ではほとんど知られてないような食べ物からカクテルをつくりだしていた。彼はまだ見ぬ世界の食を探求し、カクテルとして表現することに無上の喜びを感じている。その情熱が彼の人生を切り開き、生きる糧を与えている。

このバーテンダーの方に限らず、何かを成している人はだいたい、それをしたいが故にそれを成せているような気がする。自身の興味と労働の動機が直結しており、労働は手段であると同時に目的にもなっている。以前当ブログにて書いたが、取引先のとあるおじさんが「学生の時間より社会人の時間の方が長い。そして社会人の人生はほとんどが労働をしている。だから労働が楽しくないと、人生は楽しくない。ワークライフバランスじゃないんです。ワーク=ライフじゃないと。」と話していたことを今も思い出す。理屈としてはめちゃくちゃ正しいのにこんなに実現が難しいこともない。ワーク=ライフにするには二つの方法がある。自分のしたいことが仕事として存在しているか、無理やりマネタイズするかだ。さて、俺がしたいことというと、"ご飯を食べる"、"服を買う"、"寝ている"の三つくらいだが、どれか金になるだろうか。なるかもしれない。でもそれが金を稼ぐ手段になった時、俺はそれらを目的のままに付き合えるだろうか。好きなことを仕事にするのは一見夢のようではあるが、好きなことを仕事として強いられるのはこれ以上ない苦痛だという話もある。後者の人生を選ぶと、1週間の70%はやりたくもない労働に耐え、30%で余暇を満喫するというライフスタイルになる。多くの人はそれを選ぶのだろうが、果たしてそれでいいのだろうか。だが前者を選ぶには、強い意志が必要だ。やりたいことと、それを貫く気持ちが必要だ。金を稼ぐにはその才能も。誰でも出来ることではない。

嗚呼、半端者のわたし。まだ違うわたしの可能性を捨て切れないが、それが何なのかはわからない。そしてこの捨て切れない感情が、未来への希望なのか、現状への絶望からくる逃避なのかの区別もつかない。ともかく、意志が足りないのだけは確かなようだ。