マイ・エレメント

曇り?暑さも少しずつ和らいでいる気がする。こんばんは、パク・ジヒョです。

先日、電車で中学生くらいの男の子を見た。だぼだぼのリーバイスを思いっきり腰履きしていた。ジーンズのサイズはw34だった。俺はいま、w38のリーバイスをジャストで履いている。まずいことだ。

それはそうと、ディズニーピクサーの最新作『マイ・エレメント』を見た。その感想記事を書こうと思ったのだけど、なんかあんまり書くことが思い浮かばなかった。でも思い浮かばなかったなりに書いていこうと思う。公開から3週間くらい経ってるし、当ブログはネタバレには基本的に配慮しない方針だから、どうしてもネタバレしたくない人はまた次の記事でお会いしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、『マイ・エレメント』だが、予告編などで伝えられていた物語はこうだ。"エレメント"たちの住む世界、様々なエレメントがいるが、異なるエレメント同士は一緒にいることはできない。そんな世界で禁断の出会いが、、、!適当すぎるな。一応予告編を貼っておこう。

https://youtu.be/IcmRFGG6pac?si=Rrl1B18anQGPKv2r

まずこの、エレメントの世界とは分かりそうでよくわからない設定だが、特に説明はない。現実の人間世界に接続される様子はなく、エレメントたちで完結しているようだ。エレメント(element)は「元素」の訳語があてられている。

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科学的には水元素とか火元素というものはないから、実際のところは、自然の様々な精霊のようなものなんだろう。数多のテレビゲームやアニメによって育った我々日本人は、容易に「あーはいはい、風と水と土と火ね。属性の世界ってことか」と納得できる。よく考えれば木とか水といった分子の塊と、火や風といった現象はまた別の存在のような気もするが、ファンタジー的には当然に一括りにするべきである。主人公は、ポスターにいる火の女の子、エンバー。両親は、彼女が生まれる前に故郷である火の国を離れ、都会であるエレメントシティで雑貨店を営んでいる。火属性はマイノリティらしく、窮屈さを感じながら暮らしている。ポスターでエンバーの隣にいるのは、水属性のウェイド。高層マンションで暮らすおぼっちゃんで、優しさと共感性の高さ以外に能がなく職を転々としている(その割に公務員に落ち着いているが)。この作品、この二人のラブストーリーに終始しており、なにか壮大な物語が起こったりはしない。一応、街全体に発生している水漏れを止めるというミッションはあるのだが、ここにミステリーがあるわけではなく、原因は単なる設備不良。応急処置を施して、二人の親密度アップイベントをこなすとまた水が漏れてくるからそれを直して、、、といった感じで、水漏れ→親密度アップ→水漏れ→親密度アップでときメモみたいな感じで映画は進む。結局、なんとなく見たことあるような着地をして、スーパーフライが流れて終わるわけだが、すごい面白かったかと言われるとそんなに面白くはなかった。ラブストーリーをメインとして進める割には双方の好きになる動機がいまいち判然としなかったり(特にウェイド→エンバーは全然わからない)、エンバーが実は両親の店を継ぎたくなくて自分の夢を持っていたことが唐突に語られたりするので、「今まで観客にはわかってたかもだけど・・・」みたいなノリで心境発表されても、俺たちも「えーそうなのー!?」という感じだ。恐らく今作でピクサーがいちばんやりたかったであろう、火や水、エレメントたちの表現はさすがのユーモラスさだしエレメントシティの風景の美しさはずっと見てられるけど、とにかくキャラの心境がよくわからない。エンバーはただのメンヘラに見えるし、ウェイドは優しいだけの理解ある彼くんだ。おまけに水漏れで済んでいた設備不良はこいつらが等閑に対応したせいで洪水になったし、その洪水も別に食い止めたわけではない。ちゃんとめちゃくちゃ被害がでている。挙句、なんの責任も取らずにハネムーンとはいい身分だな、という感じである。

反面、最近のディズニーには珍しいくらい普通の話だった。こんなに説教くさくなりそうなモチーフを扱っていながらそんなに説教くさくはなかった。俺は本作を見るまで、どれだけ説教垂れてくるだろうと思っていた。ポスターでは「元素」と訳されたelementは、「要素」「成分」という意味もある。「火」や「水」といったエレメントを「黒人」と「白人」、「女性」と「男性」、「ホモ」と「ヘテロ」、「途上国」と「先進国」、「貧困」と「富裕」「ディズニー」と「観客」などに読み換えさせるであろうことは分かりきっていた。実際、木を燃やしてしまい、誰かを傷つけてしまう火は疎まれ、火の民だけで郊外に住んでいたし、「きっとこれは虐げられたものと虐げてきたものとの和解の話だゾ〜〜〜〜ポリコレポリコレ〜〜〜〜」と思っていたが、意外とそうしたイデオロギー的な説明は少なく、単に「気に入らないやつを許容した」くらいの温度感だった。意外と、そういう分断と融和みたいな話ではなかったのかもしれない。補助線になるのは、本編の前に流れる短編、「カールじいさんのデート」だ。ディズニー映画は本編の前に、本編とテーマが通底する短編を流すが、今回はカールじいさんの新たな恋の話だった。カールじいさんは亡き妻との思い出だけを糧に生きる愛の男だが、そんな彼が新たな女性にデートに誘われる。慣れない約束にてんやわんやだが、最後には自分の気持ちに素直になり、亡き妻の写真に「これは君を裏切るわけではない。君が1番の恋人」と告げて、ありのままの自分で出向くことになる。分断とか対立とは程遠い話だ。この短編を切り口に『マイ・エレメント』を見ると、エンバーの両親が故郷を捨ててまで作り上げたお店を継ぐことと、自身の自己実現とを天秤にかける部分にフォーカスが当たる。エンバーは自身の夢と店の継承を天秤にかけてこう言う。「両親が築いてきたものに報いるためには、私の人生を捧げるしかない(要約)」と。それよりも自分の人生を生きるべきだと諭すウェイドに、「裕福な人間にはわからない。無責任に自由だなんていうな、こうせざるを得ない人間の気持ちを考えろ」と反駁する。結局、エンバーは自分の思いを両親に伝え、両親はそれを受け入れ、エンバーは新天地へ赴くことになる。自分の人生を生きることは過去への裏切りではない。両親はエンバーが自身の夢を追うことを祝福し、「私たちの夢は店ではなくお前自身だ」と送り出す。と、なると、単に親と子、あるいは歴史と個人の関係に収斂していくから、エレメント世界でなくてもいいし火と水の許されざる恋を描く必要もないのだけど、まあこれだけわざとらしくやっておけば、その辺の分断と融和みたいなところは勝手に汲み取ってくれるだろうと思ったのかしら。

テーマから言っても、見た目に反して少し大人向けの作品でした。さよなら、さよなら、さよなら