古着屋おじさん

雨のち晴れ。いくら暑いからと言っても雨は普通にいや。こんばんは、湊崎紗夏です。

渋谷と表参道にある古着屋、サンタモニカが閉店した。

https://www.fashionsnap.com/article/2023-07-08/santamonica-shibuya-close/

結構通ったと思う。俺が10代の頃に読んでいたファッション誌には美容師や大学生のスナップがたくさんのっていて、みんな同じような古着屋で買い物していた。18歳で上京してから、古着屋には週に一度は足を運んでいた。原宿ならサンタモニカ、ボイス、ロストヒルズ、ベルベルジン、VOSTOK。どのお店も、ビンテージも扱うけどレギュラーがメインで、豊富な品揃え、アメカジへの力強いアプローチが好きだった。ノームコアがブームになって古着があまり買われなくなってきたくらいで、ボイスとロストヒルズが閉店した。最近はまた古着ブームであるが、サンタモニカは閉店してしまった。確か、ロストヒルズやボイスが閉店した後にも、原宿のとんちゃん通りには古着屋ができたが、それまでの古着屋とは少し違う趣があった。なんていうか、アメリカLOVE!というより、「初めてこんな服みました!」みたいな新鮮な感受性があった。そういう感性はいまの古着ブームを支えていると感じる。

先日、下北沢に行った時には古着屋の多さに驚いたが、その実、売っているもののバリエーションはあんまり多くないなと思った。つまり、どの店もラルフローレンのボタンダウンとか、テキトーな色落ちのリーバイス、ボテっとしたチノパン、スポーツブランドのウィンドブレーカー、よくわからないプリントTなんかががっつり並んでいる。こういう品揃えは、10数年前は"ハズレ"の古着屋という感覚がある。価格は安くてたくさん服が並んでいるが、刺さるものがない、有象無象のよくある古着屋のひとつだった。ひとつひとつちゃんと選んでいるという感じがない、バイヤーの血を感じない品揃えに見えた。当時を思い返せば、こういう古着屋はだんだんと古着の扱いをやめ、訳のわからない新品を品揃え始め、そのうちに閉店していた気がする。たとえばハンジローとか、ウィゴーとかだ。"アタリ"の古着屋は、だいたい商品の数は多くないものの、セレクトにこだわりがあり、価格は高めながら、「これかっけーから買ってくれよ!」という熱意を感じた。かなり老害くさい文章になってしまい恐縮だが、いまはそういうこだわり店主のセレクトよりも、既存の服にはないヘンテコな色使いやサイズ感といった、時代をまたいだ新鮮さが注目されている感じだ(ついでに言うと、俺も小売業の端くれとして、"ハズレ"の古着屋と"アタリ"の古着屋ではターゲット層やビジネスの形が少し違うから、どっちのバイヤーが有能だとかいうのも比較し難いものだということもわかるようになってきた)。

ノームコアのノリはいまはトレンドというよりスタンダードスタイルの一つとして定着しつつある。黒スキニー、白T、グレージュのオープンカラー(もしくはノーカラー)シャツ、みたいな格好がその典型だろう。そうした無機質なスタイルへの反発として、派手な色、トリッキーなサイズ感、ゴテゴテした装飾、だるげな雰囲気が求められ、安価なレギュラー古着が注目されている。今の若い子達にとっては、「いかにもアメリカのオタクが着てそうなシャツ」とか「スーパーで売ってそうなへぼいジーパン」とかの、"ダサさの基準"みたいなものが俺とは少し違うのかもしれない。それと、ノームコアの辺りから感じていたが、メンズファッションも段々と、レディースのように、極めてトレンド性が強くなっている気がする。レディースファッションの場合、50年前の雑誌の服装がそのまま現代で通用すると言うことはあまりない。ほとんどコスプレになってしまう。だがメンズはあり得るのだ。1965年に刊行された『take ivy』という本は一部のファッション好きな間ではバイブルになっており、アイビーファッションを愛する人たちは今でもこの本を見て、1960年代のアメリカの若者たちに憧れて服を買ったり着たりしている。だが、最近の古着ブームは過去の誰かに憧れるというより、ただ新しいものに出会ったという興奮が支えている気がする。だから蘊蓄が必要なビンテージよりも、ただ見た目の良し悪しだけを考えれば良いレギュラー古着に人気が出る。ポケットの仕様がどうのとかステッチの入り方がどうのみたいな情報にはお金を払う価値を見出していないわけだ。ファッションを、時間軸にのせて線として見るのではなく、刹那的な点として楽しむ、別に、それは良いことでも悪いことでもない。時代の気分だろうし、俺は蘊蓄が好きだけどそれを押しつけようとも思わない。ただ最近は、男も女もあまりにも"みんなと同じような格好をしよう"というモチベーションが高すぎて、店を見るのもあまり楽しくなかったりはする。かつてのような"とにかく個性!差別化!"みたいなノリも苦手だけど、もう少し差異を楽しんでもいいのではという気もする吉宗であった。