宙船をうたって

晴れ。バカあちいど。こんばんは、キム・ミンジです。

俺は汗っかきだから夏はあまり得意じゃないけど、実は暑くなるのはけっこう好きだ。四季を感じられるし、今しかない!という気分になる(?)同じ理由でめちゃくちゃ寒い冬も好きだ。服のこともあるかもしれない。何を着ればいいかわからない時期がけっこうある日本で、わかった!夏服だな!おっけー!という気分になるから好きかもしれない。家を出た後、ああ半袖が良かった、羽織があればよかったとか悩まなくていい。季節と自分の真っ向勝負の感じが楽しい。

全然関係ない話なんだが、最近流行りのパーソナルカラーとか骨格診断?みたいなやつがあまり好きではない。お前には関係ないこっちで先にやるから引っ込んでいろと言われるだろうが、まあ少し聞いてくれ。結論から言うと、似合う/似合わないを自分じゃない何かに判断させるのは感性を狭めるのではないか、ということだ。「似合う」というのは極めて文化的・社会的もしくは慣習的に確かめられるものなのに、絶対的な基準を設けるのはあなた自身を蔑ろにすることがないだろうか。「実際にパーソナルカラーにあった色を着ると顔色が良く見える」というような話もあるが、その「良く見える」時の"良さ"自体は何に依拠しているのかよくわからないし、その"良さ"というのは、あなたの趣味よりも優先するべきことなのだろうか。ファッションにしろメイクにしろ、最優先すべきは自分がそれを好きかどうかだけであり、それ以外は枝葉、小手先、二の次三の次だと思う。これはもう、論というよりも価値観、主義、信念みたいなものだから、別にあなたがそんなことはないと思うのならそれまでである。ただ、「私はブルベ夏だから○○じゃないと〜」とか「骨格ナチュラルさんにはこのワンピ〜」とか見ていると、違う違うそうじゃない、「私が好きだからこの色!」と言って欲しい。「いちばんテンション上がるからこれを着る!」と宣言してほしい。骨格だの皮膚の色だの、そんなくだらないものにあなたの好きを屈服させてはならない。どうせ、血液型性格診断で「A型よりのO型」←は? みたいなことを言い出すみたいに「イエベが似合うブルベ」とか「ナチュラル見えのストレート」とか言い出すんだろ?やめろやめろ!ぜんぜん関係ない!"意味"とか"良さ"とかいうのは初めからそこに在るのではなく、我々が与えていくものなのだ。間違っても自分の趣味や文化、環境の外に"良さ"みたいなものがあると考えてはならない。

はあ、つかれた。ただ、こういうような「好きなものを追い求めろ」論はさまざまなカテゴリーで使われるが、そもそも好きなものがないタイプの人には全く刺さらない。俺で言えば仕事なんかはそうだ。「どんな仕事ならしたいの?好きな仕事をしようよ」と言われても好きな仕事などないから、スケベ・ビデオをみるだけで金がもらえるのでなければ、この世のすべての労働は苦役というよりない。そんな時は好きかどうか以外の指標で選択する必要があるから、イエベだのなんだのが必要になるのかもなあ。それはわかる。わかるよ。なんなんだこの話。