キミの始まりの日へ

雨。すごいさむい!こんばんは、未梨一花です。

コミュニケーションというのは本当に難しい。対面かつ口頭でコミュニケーションを行う場合は、声色と言い方、表情、環境、その人のキャラなど様々な要素が関係しあいながら相手に伝わり、その諸要素について解釈の多様性が発生するため、思いもよらない受け止められ方をされたりする。言葉の選び方だけでは望むようなコミュニケーションは図れず大変苦労するが、そもそもの言葉選びからしてそんなに楽でもなかったりする。

「キミ」と言われるとたいへん不愉快に感じる人がいる。とにかく「キミ」という二人称を使われると反射的に苛立ちを覚えるという感性が世の中にあるということを知らず、コミュニケーションをしくじったことがある。

俺は「キミ」が結構好きでよく使う。他人から使われることにもなんの抵抗もない。年配者からはもちろんだが、同年代や近い先輩からでも構わない。そもそも俺は他人を呼ぶ時にいろんな呼び方をして遊ぶことがある。苗字で呼んだり名前で呼んだり、急にあだ名を作って呼んでみたり。「キミ」というのもそうしたバリエーションのひとつで、「お前」というには距離が遠く「○○さん」では堅いと感じる時にちょうどいいと感じる。「キミ」が好きなのはもう一つ理由があって、俺が数少ないファンだといえるアーティストたる平沢進の歌詞には、しょっちゅう「キミ」が登場して、しかも俺の好きな曲が多いので、この二人称には強めの好印象があるのだ。バンプはキミと天体観測にいってるし。

そんな俺の感性と相反して、嫌いな人はこの二人称がめちゃくちゃ嫌いらしく、同い年くらいの人に「キミって呼ぶくらいならお前って呼んでください」ってキレられたこともある。あまりにも自分の感覚にないことだったので面食らったのだが、最近それを忘れて使っていた。そしたらそのやりとりを聞いていた別の後輩から「キミって使ってますけど大丈夫すか?俺はかなり嫌なんで、、、」みたいなコメントをもらい、ああそういえばそんな感性があったなあと思い出した次第だ。「キミ」が嫌いな人に理由を聞くと、距離を感じるとかなんとか言ってくるのだが、はっきりいって何一つ腑に落ちない。多分本人も自身の説明に納得いってないんだろうとみえる。あまりこういう表現は好きじゃないが、"個人の感じ方"に収斂する話である。「キミ」という語彙自体はカジュアルではあるものの穏便な表現であるし、"感じ方"自体に文句を言うつもりはないが、さもこの表現自体が悪いように言うのは無理筋じゃないかとさえ思っている。が、まあ嫌だというのに無理を通して使いたいほどの表現ではないのでまた気をつけようと思い直した。

 

ところで、俺はこうした場面で他者を強く感じる。まさに他者だなあと思う。他者とは未知そのものであり、わたしの外侮から突如として飛来する異物に他ならない。他者にも主観があると認めたとして、それを観測するのは不可能だし、原理的にはわたしと他者が理解し合うというのは不可能だ。我々のコミュニケーションとは、身振りや声色を含んだ文化的言語を通して、他者とわたしを理念的に了解させあっているにすぎない。だから、こういう、"感じ方"みたいなところになると急に他人が遠い存在に感じる。全くわからない、理念的な解釈ができない、わたしとあなたの違いをただそのまま飲み下すような瞬間がやってくる。そのときにこそ、ようやく私たちは他者の他者たる恐怖を知る。

キミの目にただ光る雫、嗚呼青天の霹靂。