何度でも何度でも

晴れ。やや暑いが快適な気候。こんばんは、真田まことです。

今日は、俺はラーメン好きなのだけど実は幼少期にはラーメン嫌いだった話を書こうと思ったのだが、嫌な予感がして過去の記事を検索すると、去年の5月頭に書いていた。

https://poppo.hatenadiary.jp/entry/2022/05/09/203025

書き出しから言葉尻からまるごと、今日書こうと思っていた体裁でびっくりした。危ない危ない。さいきん、一度した話をもう一度話してしまうことが増えた。過去に話したかどうかを覚えていないのはもちろんだが、なんなら(話したような気がするナ・・・)と思いながら同じ話をすることもある。恐ろしいことだ。我々が数年前に20代だった頃、あんなに憎かった類のおじさんに、同じ話ばかり繰り返す壊れたオルゴールのような中年に、俺自身もなろうとしているのだろうか。なぜ同じ話を繰り返すのか。実は俺なりに理由があることを発見した(自分のことなのに発見も学研もないだろうと思うだろうが、自分のことなど意外とわからないものだよ)。ひとつには、錆びた感受性で惰性的な日常を繰り返すと新しいエピソードが入荷せず、昔のネタをこするより他ないから。もうひとつには、同じ話を繰り返す時にはもはや、コミュニケーションをすることそのものが目的であり、エピソードによる感動とか驚きとかはどうでもよくなっている場合があるからだ。この世で行われるコミュニケーションのうち、どれくらいが外部に目的を持っているもので、どれくらいがそうでないかはわからないが、コミュニケーションのためのコミュニケーションというのは少なくない割合なのではないかと思っている。俺は20歳前後までは、コミュニケーションのためのコミュニケーションというのが本当に苦手で、そのために他人と友好関係を築くことができなかった。何かを話すというのは、情報の伝達のための手段にすぎず、コミュニケーションの目的はあくまで情報にあると考えていたから、天気なんか興味がないのに「いやー暑いですね」とか話し始める意味がわからなかった。その後、社会に揉まれる中で少しずつわかってきたのだが、そもそも他人に伝えたい情報などあまりない。コミュニケーションにおいては情報は目的ではなく、しばしば手段にくだることがある。"楽しく話す"というのは内容の是非ではないのだ。なので、まあとりあえずややウケを狙えるエピソードを披露しつつ、"楽しい会話"の糸口になればと思って話したりするのだ。だが、当然ながらそんなのは手抜きであり、いくら情報が手段とはいえ何でもいいわけではない。一度聞いた話を何度も擦るようでは、あったまる場もあったまらないというもの。同じ話をするのは控えたいですよね本当に。他方で、何度話しても美味しいエピの一つや二つ持っておきたいところでもあります。