ネズミとゾウとわたし

晴れ。調子乗って春の服着たらめちゃくちゃ寒かった。こんばんは、キム=ダミです。鼻の中にワセリンを塗ると花粉を防いでアレルギー反応を抑えられるときいたので最近はそれをやっている。塗りたては確かに良好だが、徐々にワセリンがとれると鼻水だばだばである。

ちょっとサボったかなと思ったらあっという間に1週間近く更新が滞っていて時間の経過の早さに驚く。光陰矢のごとし。

歳をとると時間が経つのは早く感じる、毎日のように「早いね〜早いね〜」と言い合う日々だ。この、歳をとると時間が経つのが早いというのは気のせいではないという話もある。すっかり市民権を得た話ながら、本当なのか?と訝しみつつそういうことにしている。元ネタは本川達雄著『ゾウの時間 ネズミの時間』という本で、ベストセラーになった有名な本だ。俺は読んでないので聞きかじりの話で恐縮なのだが、概ねこういう話なようだ。ゾウの心臓は一回ドクンと脈を打つのに3秒もかかる。一方でネズミの心臓のそれはわずか0.1秒。これに合わせて、食事→消化→排泄のスピードも、体の大きい(=脈拍が遅い)動物の方が遅い。そして、ここが大事なのだが、寿命に対する脈拍の総数は、ゾウもネズミもおおむね20億回で変わらないのだそう。つまり、ネズミもゾウも、生命活動に関わる身体の営みは同じだけ行っているが、単位時間あたりの回数がちがう、即ち我々が定義するところの1時間の中で、生命活動が行われるスピードはゾウとネズミでは異なっているということだ。これを、感じている時間が違う、と表現しているのだと思う。

心拍数の周期にともなう食事〜排泄のスピードの差、言い換えれば代謝スピードの差が時間の感じ方に差をつくっているということなのだが、著者は生物学者のため、基本的には種族間の差について話している。だが、この「代謝スピード≒時間の感じ方」という説を、同種族内で、やや矮小化した形で適用させたらこんな風に言えるんじゃないか。子供は代謝が高く、冬でも薄着でへっちゃらだが、歳をとり代謝が落ちるにつれ、体も熱を発しなくなる。寒さが身に染みる。つまり、時間の感じ方は速くなる(=生命活動のスピードが落ちる)というわけだ。この、種族間の代謝スピードの違いを同種族内に当てはめることが適切かどうかはよくわからないが、歳をとると時間の流れが早くなるのは確かなことだということで俺の中では固めてある。代謝スピードを時間の流れとして人生を見た場合、体感時間としては20代で折り返しに入るみたいな話もあったような気がする。そうすると俺はとっくに折り返しになっており、もはや死に向かっていくだけである。確かに、飲み会やスペースで過去の失敗談などをよく話すもののよく考えたら5〜6年前、ものによっては10年前のことだったりする。つい先週の話ぐらいの感覚で話しているがあまりに過去すぎて、それ以降の人生の空白っぷりに驚くこともしばしばだ。

 

というようなことを書いていたのだが途中で全部消えてしまった。わざわざ人生が早くも折り返しに入っており、前半で得られなかった多くの歓びを後半で取り返しきれるのか不安なことをわざわざ書き直していると逆に前向きに生きていこうという気になる。マンボーは明けたものの、実勢としては様子見をしようという人が大半だろうし、まだまだマスク生活が続く。花粉もつらいし金もない。もはや大きな希望もない人生だが、それでも死なずに歩く。ゾウもネズミも希望のために生きているのではないのだし。