あれから僕たちは

晴れ。中途半端な気温。暑いなら暑くなれ。こんばんは、中条あやみです。

「職場に尊敬できる人を見つけなさい、見つからないならその会社はやめなさい」これは、俺が就活をしていたときに伯母から言われた言葉である。伯母は、閉鎖的な秋田の田舎からひとり上京して美大を卒業し、広告代理店に就職。独立して自分で会社をつくり、その後20数年、東京を身一つでサバイブしてきた人である。そんな伯母が、同じくひとり上京してきた俺にくれたのがその言葉なのだが、32歳になり、新卒で入社して10年近く勤めてきて、改めて思い出す時間が増えた。最近、弊社は重鎮たちの退職が相次ぎ、若返りが進んでいる。進んではいるものの、新たに上層部に就いたのは弊社の社風を強く体現する人々で、年齢が若くなっただけで会社自体の刷新やリフレッシュが図られる見込みがない。中間管理職の人たちも、上から落ちてくる指示の理不尽さや都合のいい考えに頭を抱えながらも、自分に言い訳をしてなんとか腹落ちをさせているように見える。その人たちが今度は上に立ち、「自分たちもそうされてきたから」と新たな世代にむちゃくちゃ言い始めるのだろうと思うとうんざりしてくる。伯母さん、俺、尊敬できる人見つけられねーかもしんねぇ。でも、去年、この伯母さんに会社やめてーんだけどって相談したら「業績が傾くのでもなく、他に強くやりたいことがあるのでもないのならしがみついたほうがいいよ」というめちゃくちゃ現実的な回答が返ってきたので今はしがみついている。

ところで、そもそもひとを尊敬するという感覚は昔から薄いかもしれない。他人に対して妬み嫉み、憎しみや加虐心を抱くことは数多あれど、腹にイチモツなく"素敵な人だな"と思えるようになったのはここ数年な気がする。何故かというと、最も賢く優秀な人間とは何を隠そうこの私であり、この世で価値があるのは私が考え、納得したものだけであるという"真理"がこの胸にあるからである。この"真理"は、世界に光が生まれたその時から光と共に降り注ぎ、天と地が生まれればその間を貫いて存在し、生命の営みを常に見届けきたものであるからして、これに背くものは何者であろうと許されない。神の裁きがくだるのである。俺の怒りはこの天命ゆえものであり、嫉妬の炎は神との誓いとの葛藤によるものだったのだ。だが俺も社会に出て、俗世に触れる中で、少しずつ"信仰"を失っていき、この私以外の存在を、他なる"真理"の台頭を許容するようになってきたのだ。それでも、尊敬というには程遠い、評価とか好意とか、それくらいの感覚である。だから、何か自分じゃないものに指針を見出そうとか、会社や職場を自己実現の場にするとか、そういう姿勢と相性がよくないかもしれない。自分がしたいことをして生きていく方が向いている。自分がしたいこととは・・・・→腹いっぱい飯を食って寝る。

  終

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