33歳らしい。貫禄ある。

晴れ。ぬくい。こんばんは、大原優乃です。

ファッション系のYouTubeはほとんど見ないのだが、最近とあるチャンネルをよく見ている。赤坂のテーラー、アトリエベルンの竹内氏YouTubeチャンネルだ。

https://youtube.com/c/AtelierBERUN

オーダーメイドのスーツやシャツのお店だけに、あくまでドレススタイル、しかもクラシックなスタイルを旨として、スタイリングや単品の提案をしている。例えば・・・●ボタンや糸に色がついているシャツはだめ ●胸ポケットがついているシャツはだめ ●半袖シャツはだめ ●黒のスーツはだめ ●ごつい腕時計やGショックはだめ ●インナーダウンはだめ ●くるぶし丈のボトムはだめ ●化繊のものはなんでもだめetc...だめだめ尽くしなのはその方が視聴数が稼げるからだとは思うが、動画の中では「こういうものを着てほしいですよ」という代替案もちゃんと提示しているので偉いと思う。個人的には共感する部分が7割、別に良いんじゃない?という部分が3割くらいだが、竹内氏はきっとファッションを何周もしてここに辿り着いているんだろうから文句を言うつもりもない。それにちゃんと竹内氏自身がオシャレだし、話し方もハキハキしていて気持ちがいいので楽しく見ている。コメント欄警察をしてみると、案の定、「あんたがダメだと言っているものはそこら中で売ってるしみんな着ている」「個人の自由では」「ダメダメ言いすぎる」みたいなものが見られる。まず、世の中に普及しており市民権を得ているからといってそれが優れているわけでない。ネットで長年引用される画像で、『最も売れている食べ物が最も美味い』という旨のものがあるが、"売れる"というのは複数の要素が絡み合って成し遂げられる事象である。「美味いから売れている」ということはあり得るが「売れているから美味い」というのは因果関係がないだろう。また、よくある「個人の自由」という反論だが、俺はこの「個人の自由」ということで議論を帰結させようとする輩がかなり嫌いである。自由な上での選択の話をしているのである。変なシャツを着るなと言われたからといって、あなたがたが変なシャツを着た瞬間に体が八つ裂きにされるわけではない。これは別に洋服の話だけではない。なんでも好きにしたらいいし、あなたの自由を奪うだけの拘束力は初めから存在しない、その上での提案をしよう、意見交換をしようというのが対人コミュニケーションのほとんどだというのに、「個人の自由」なんて振り出しに戻るようなことを言われると、それなら初めから口を開かないでいてほしいと思う。おっと、話がずれた。まあ、それにしても、ダメだとかNGとか言わずに最初からおすすめスタイルを提案したらいいのに、というのは一理あるかもしれない。確かにドレススタイルは他のファッションに比べて小言多く、そうした小うるささこそがドレスの美しさを支えている部分があるので表裏一体な面もあるかもしれないが。

ところで、俺はドレスファッションには全然興味がない。服が好きだと言いながら情けないことだが、いつも着ているスーツはユニクロの感動パンツに同素材のジャケット、シャツもユニクロで定期的に3〜4枚を買ってローテするのを繰り返している。革靴も、毎日履いてもストレスにならないように、ビルケンシュトックの、コッペパンのような不細工な靴を履いている。おまけにめちゃくちゃ腹が出ているから、誰も服が好きな人だなんて思わないだろう。ドレススタイルが好きじゃない理由は三つある。①窮屈で動きにくいこと、②手入れが面倒なこと、③かっこよくしようと思ったらとにかく高くつくこと、だ。それでも、ドレスファッションを楽しんでいる人を見るとかっこいいなと思うぐらいの感性は残しており、竹内氏が語るドレスの話も勉強になるなーと思って聞いている。本当なら、ヒップホップの人が語るファッションのこだわりみたいなのも知りたいが、いかんせんは詳細で具体的な話は聞く機会がない。

それはそうと、竹内氏はじめ、プロの人に対して「僕はこういうのやりたいんですがどうでしょう?」みたいな質問はすごく多い。料理人に「○○の代わりに△△はどうですか?」スタイリストの人に「◇◇と▼▼は合いますか?」そんな質問は枚挙に暇がない。気持ちはわからないでもないが、気になるたらやってみればいいのにと思う。大したリスクでもないのに、自分で選択がしたくない人が多く見られる。やはり情報が増え過ぎているからだろうか?知ることはいいことだ。たくさんの情報を得て、その差を比較検討するのは大事だと思うが、最後に決めるのは自身の意志だ。美味いとか美味くないとか、似合うとか似合わないとか、かっこいいとかダサいとか、それこそ「個人の自由」なのだから、あなたが決めるしかないのだし、他人が決めたとしても責任なんかとってくれない。いやいや、違うんですよ、それこそ自由の上で交わすコミュニケーションであり、意志はいったん傍観させているだけですよ、という御仁もいるかと思うが、であれば一問一答のようなメディアでやるものではないだろう。

確かに、人間は孤独だと感じる。俺は秋田の田舎から上京してきて13年ほどになるが、今でもこの大都会を前にして、何も後ろ盾がないワタクシというものを感じて慄然とすることがある。この何者でもないワタクシの存在の脆さに不安になることがある。同時に、何者でもないことに安心もするのだ。よかった、俺は俺だけのことを決めればいいのだ、それで誰にも邪魔されないのだと。情報が群れを分断し、個であることの不安が押し寄せる現代、誰かに背中を押してもらいたい気持ちはわかるが、だからこそ私自身が選択することの重要性が増してくるというものである。知って、選ぶこと。知って、選ぶ、その二つがセットになることがこのポストモダンを生きる我々に最も必要ものではないか。

え?そんないかつい話じゃない?そうですか、、、