インスタ→popie0226

晴れ。最後の寒さか?こんばんは、カン・ヘリンです。

インスタに自分の写真を載せるのを解禁した。おっと、いまからフォローしにいっても無駄だ。すでに鍵垢にした。いや、分かっている。本当にどうでもいいことだと。だが俺にとっては大きなことなのだ。いま30歳くらいの年代は、ネットとの付き合い方が比較的慎重だった時代であり、ネットとは戦場であり気を緩めると命を取られるという教育をされてきた世代だと思う。完全に陽として生きてきたノロマは、それでもガンガン顔出ししたりもしているが、俺は自分の写真をネットに流すのは極めて消極的である。ネットの人格と基底現実のそれを分離させるのはオタクの得意技であり、この二つの世界は独立しながらもうっすらと重なる、独特の距離感を保ちながら自分の中で共存してきた。これらを統合させるのは、自分の現実を不特定多数に対して開くことであり、匿名の善意にも悪意にも無防備になるということだ。2chで育った俺は、ネットに個人情報をのせるやいなや無数の悪意によって身包みを剥がされ、家を焼かれ、家族を殺され、挙句、山中に埋められるという強迫観念があるし、そもそも不特定多数に開示するほど立派な見た目でもないし。

それをまあ、インスタという比較的開示しやすいフォーマットで解禁したのは、俺も32歳になり、そろそろそういう人格の分離みたいなことも卒業して、自分の世界に誇りを持とうかという気分になってきたからだ。「自分に自信を持って生きることと、ネットと現実をシームレスにすることはイコールではないだろう」と思うかもしれないが、俺から見ると、ネットに独立した人格を持っていて鬱屈としていない奴は見たことがないので、やはり現実における、個人と世界の間の歪み、摩擦がネット人格を産み落としているのだと思っている。強い摩擦を感じながらも、それでも現実を生きなければならないから、その歪なエネルギーの逃げ道を作る必要が、やはりある。逆に、ネットと現実をシームレスにすることで、翻って現実との摩擦を解消できたりしないだろうか?という考えもあるのだ。だが、いちおう言っておくと、「本当はアップしたくないけど形から入りたいからアップしよう!」としているわけではなく、本当に友達(現実もネットも問わず)に見て欲しいな、という素直な感覚が芽生えたことがまずあり、そうした気持ちに素直になろうというふうに思ったのだ。。それ自体が大いなる進歩だし、独立したネット人格をやってきたことで友達が増えた成果だというのは逆説的であり、人生は冒険だなあというシンドバッド気分なのである。