アイドルと恋とファン

寒い。晴れ。こんばんは、森香澄です。

気合を入れて書こう!と思っていた内容でも、いざ書いてみるとあまりに凡庸な着地になりそうで当初の熱量が恥ずかしくなる、ということがままある。今日の日記もまたそんな予測が立ったので、少し肩の力を抜いてささっと書こうと思う。

それはなにかというと、アイドルの恋愛についてだ。アイドルの"恋愛禁止"は、明言はされていないものの実際は暗黙のルールになっており、大っぴらに彼氏(彼女)をアピールするアイドルは多くない。結婚した俳優さんなんかは比較的オープンに言うかもしれないが、アイドルとなるとタブー視されている面はあるだろう。これは、アイドルに彼氏(彼女)がいたり結婚したりすると、ファンの中には「裏切られた」「悲しい」「憎い」と感じる者がいるからだと思う。当たり前なようだが、つまり、ファンのそうした感情が先にあり、暗黙なルールを生んだとすれば(きっとそうだと思うのだが)、昨今しばしば話題になるアイドルの"人権"については、遡ってファンの感情から考える必要があるのではないか。アイドルとファンの二者から少し距離をとった場合、我々はこう考える。「まあでも、アイドルといっても人間だし、いつかは恋愛して結婚するだろう。何歳になっても処女のようにいてほしいのか?ファンは冷静になれ」と。こうした良識的な態度は、一見倫理的に正しいように見えるが、わざわざこんな日記を書くからには俺はこの態度にはやや反対なのである。

結論から言うと、「アイドルは恋愛してはいけないか」という問いにはNOなのだ。その理由は既に良識派が考えているとおりのそれであるが、少し問いを変えて考えたい。つまり、「ファンはアイドルが恋愛をすることを嘆いてはいけないか」という問いをたてると、これについては強いNOを宣言したい。ファンはアイドルの恋愛における幸せなど祝う必要はないし、心の底からの悔恨や憎悪や嫉妬を燃やしてよい。それをぶつけることも好きにしたらいい。止めるべきではない。それでもアイドル自身は人間なのだから好きに生きたらいいというのが俺の考えるところだ。なぜなら、アイドルとファンの関係はそもそも通常の倫理観とか人間同士の交友みたいなものとは異なる次元のものだからだ。他人が歌って踊ってるのを見て感動し、友達でもないのにその人のパーソナリティを決めつけ、性格がいいだの気遣いができるだの語りだす。パフォーマンスの刹那を切り取り視線がいいだの後ろのメンバーが慌ててるだのと取り沙汰し、数秒握手するために聴きもしないCDを何枚も買う。はっきり言って異常である。まともな神経じゃない。アイドルという文化を支えているのは、こうした人間のバグみたいなものであり、ハナから良識など介在しない関係なのだと思っている。既に当ブログでは、(少なくとも俺自身の感じ方として)ファンにとってアイドルとは神や精霊の類であり、永遠性を持っているものであると書いた(『神との距離』の記事参照)。だから、恋愛などという極めて人間くさい営みに身を堕とすことに失望してしまうのである。もちろんここには、性愛をまとった憧れと嫉妬が裏にいることは示さなければならない。だからファンは、アイドルに対して、自分の欲望をまた別の欲望で縛り付けるような、矛盾した、かつ狂気的な視線を注いでいるのであり、それは既に通常の、個人への配慮とかいったものの届かない地点での出来事なのだ。

ところで、ファンという異様な存在のことはひとまず是としたときに、アイドルの側がこうしたファンを甘受すべきなのかというとまた微妙で、さすがに気の毒という感覚もある。アイドルの名声なんて良性の憎悪にすぎないのでは、というのが俺の本音ではあるものの、全てを自己責任として清濁併せ呑め!と言いきるのも人間味がない。だから、ファンの異様な憎悪は是だが、これを拒絶することもまた是になると思っている。つまり、殴り合いになるしかないだろうということだ。拒絶し合うしかなくなるだろう。はじめからそうなるような関係なのだ。だから、アイドルって大変だよなあって思う。人の身でありながら神でなければならない。アイドルにならなくて本当に良かった(?)