ものぐさの果て

晴れ。寒い!いいかんじです!こんばんは、菊地姫奈です。

 

30代になり、酒に本当に弱くなったと思う。ただ、実のところ、酒に強いとか弱いと言うのは先天的に決まっているもので、加齢とか訓練とかで変わるものではないという話もある。感覚への慣れとかそういう次元の話を、強くなったとか弱くなったとか表現しているだけなのだとか。そう言われると確かに、酒弱くなったなあという感慨は、"自分の体の変化に対して敏感になった"と敷衍して言い換えることもできる。これは感覚的にの通りなかんじだ。体が重いとか、具合が良くないとか、良く感じるようになった。以前は若さでカバーできていたのか、そもそも体調不良にはならなかったのか区別はできないが、この体と30年付き合って、ようやく身体の機嫌をとるというフェーズに移行してきた。週末はどこかで昼寝をとりたいし、早く寝ないと明日に響くというのも強く感じる。

30でもうこれだけ体のガタを感じるのに、平均寿命からいってここからさらに40年も生きないとならないとはあまりに苦痛である。何度かこのブログでは述べているが、俺が願う幸せとは、苦しみと変化のない穏やかな静寂であり、これはほとんど死を意味している。幸せが死の近似値をとっているならば、苦痛とは生の近似値をとることになるだろう。しかもそれが、身体の老いという苦痛のおかわりを伴ってやってくるならば、これほど悲しい未来はない。早く死ぬに限る。何も残さず、さっさと消えるに限る。自然に死ねば家族も諦めがつくだろう。そういう人生であればなあと、15歳くらいから思っていたし、今もそうありたいと思う。どうか生に意味なんてものがありませんように。

これはペシミズムというよりは、単なるものぐさと極だと思って欲しいところである。