らんらんらーらんーらーへいへいへいー

曇り、寒め。関西は強い雨、この雲は夜中にこちらに来るようだ。こんばんは、本田真凛です。

ワクチン2回目の副反応は、最も高くて37.9℃くらいまでしか上がらず、いまいち盛り上がりに欠けるお祭りだった。食欲なくなると思って少なめに用意していたヴィロンのパンとケーキは全て食べ尽くし、挙句モスバーガーを頼む始末。3㍑も用意していたポカリは半分も飲んでいない。

接種から12時間後から発熱が始まり、そこから24時間くらい発熱が続いた。37.5℃くらいがアベレージだったと思うが、そんなもんでもなかなか辛い。10時間くらいゲームした後みたいな目のジワジワとぼやりとした頭痛が苦しい。体の節々がいたい、ということはないが腰がいたい。俺は熱が出ると腰が痛む。本当か知らないが、俺の父親は腰の骨が一つ足りないらしい。というか、背骨のブロックが一つ足りないらしい。それの影響か、具合が悪くなると必ず腰が痛くなるという。本当か?俺は調べたことないので背骨が足りてるかどうか知らないが、熱が出るとやはり必ず腰が痛くなる。これが辛い。痛みのない姿勢がないのだ。どんな姿勢でも腰が痛い。腰の痛みによって回復したかどうかわかるくらいだ。

具合が悪くなること、というか何か不調が起こって初めて、その存在を認知するというのはよくある。この、身体に限らず、あらゆるステージでよくみられる、不在だけが存在の証明になるという逆説。それがしばしば不可逆的であるゆえに、我々は悩み苦しんだりするわけだが、なかなか予防することは難しい。なにせ維持できている間は、それを評価できない。「目の前の幸せを大事に」とか「なんでもないようなことが〜」などはまぁ、こういった存在論(?)に支えられているわけだが、逆にいうと、満ち足りている状態とは、しばしば存在を認知できていない(何も気にならない)状態だとも言えるのではないか。やはり、こうした存在論もまた、「幸福とは苦しみのない状態」論へと導くひとつのしるべになるのだ。

こんな風な幸福観を抱いていると、やはりクソ女とは分かり合えないなと感じる。傷ついたり嬉しくなったりのジェットコースターを繰り返すことに至上の喜びを感じる彼女たちとは。