波をジャブジャブジャブジャブ

晴れ。もうちょいなんだよなー。こんばんは、南みゆかです。

別部署の部長の帰りのエレベーターが一緒だったのだが、

「おそいね!やっぱり月曜日は忙しいかね!」

「そっすねーなかなか、、、予算も高くて厳しいです、、、」

「でもな!数字の達成はなによりのエネルギーになるからな!」

「はあ、、、」

みたいな会話をした。ならない、別に。数字の達成はエネルギーにはならない。それはタスクだからだ。やらなければならないことであり、やりたいことではない。数字を達成しても会社が潤うだけで別に誰も幸せにはならない。そりゃ、中・長期的に見れば従業員に還元されることもあるかもしれんが、俺のように明日生きてるかも定かでない気分で過ごしている者にとってはあまり重要ではない。大きな目標を持つものにとっては人生とはまさにそれなのだが、これといった到達地点も考えていない人間にとって、人生は本当に些細な幸せを飛び石のように跳んでゆく営み、苦痛がない状態を求めて自転車操業のようにフラフラと彷徨う道程に過ぎない。そこでは間違っても、仕事で出世するとか、何ごとかを成し遂げるとか、そういった野心や使命は大事にはならない。大切なのは、週末の飲み会とか、来月のディズニーとか、年末の帰省とか、あるいは今夜食べるプリンであるとか、そういう小さな岸だ。少し泳いで岸につく。そこで息を整え、太陽で体を暖め、また冷たい海へ、次なる岸を目指して泳ぎ出す。そうしていつの間にか旅路を終える。できれば早めのうちにサメにかじられるとか、クジラに丸呑みされるみたいな幕引きを望んではいるが、せめて岸に着く前に溺死するのだけは避けておこう、くらいが妥当な線だろう。

何度も書いているが、俺にとって幸せとは高揚ではなく平穏、狂乱ではなく静寂、波瀾ではなく凪を意味するからして、仕事を喜びとするなんてことはない。確かに仕事が楽しかったときはあった。自分に大した責任がなく、毎週、ほとんど同じような作業を行っていればよかった時代だ。あのときは良かった。難しい判断は上司に丸投げし、自分は黙々と作業だけすれば良かった。今はなかなかそういうわけにもいかず、仕事がある日は睡眠時間もいくぶん短くなる。次の岸へ、次の岸へ。