こんにちはありがとうさよなら

曇りのち雨。台風こわいわね。こんばんは、豊田ルナです。

 

時間というのはあっという間に経ってしまう。光陰矢のごとし。さて、先週は夏休みをとっており、金曜から日曜までの間、実家に帰っていた。俺の生まれは秋田県だが、実は生家はもう存在しない。子供たちがみな独立し、雪深い田舎で老人だけで暮らすのは困難という判断から、両親は宮城へ移住した。つまりこの記事でいう実家とは宮城のマンションのことであり、秋田ではなく宮城へ帰ったというわけだ。宮城は秋田に比べ、東京からずっと近く、雪も積もらないし、なかなか都会なので大変結構だと思っている。

ただ、祖母はまだ秋田に残っている。そもそも俺の生家は祖母が建てた家である。ついでに言うと俺の苗字は母方の姓であり、今回ご登場いただいている祖母のそれである。祖母は気難しい性分で、気位が高く、自分の思った通りに物事を運びたいお姫様タイプのマダムだ。自分が建てた家を離れること、生まれ育った秋田という土地を離れることを嫌ったようだし、今さら新しい環境にいくのもいやだったようだ。宮城のマンションに来たこともあるが、「こんな狭いところに暮らすのは嫌だ」とずっとぼやいていた。ちなみに、このマンションはけっこう高級で、俺と実弟、両親の4人で暮らしても部屋を余らすくらいには広く、極めて快適な住まいなのである。引越し前の段取りでは、祖母は宮城の、これまた高級な老人ホームに入る予定だった。老人ホームといっても半ばアパートのような住まいで、こちらも大変けっこうな施設なのだが、根っからのプリンセス、東北のエリザベスこと我が祖母君は、見ず知らずの他人と"狭い"施設に暮らすなんて耐え難い苦難に感じているようだった。そうはいっても、前述の通り生家はすでに壊している。では祖母君はどこにいるか?じつは我が家にはもう一つの家屋がある。俺が小学生の時に、これまた祖母君が、ゲストハウスのつもりか、俺たち孫が大きくなったら住まわせるつもりだったのか、ただの酔狂なのか、もう一軒家を建てたのだ(俺は、この家は彼女の人生でもっとも大きな無駄遣いだったと思っているが、そういうと両親も「その話はうんざりだ」という顔をするので黙っている)。祖母君は、ほとんど誰も使うことなく放置されており、自慢の全館暖房も全て故障してしまっているこの孤城を自身のベルサイユ宮殿としたようである。この土壇場での意思変更は両親をかなり手間取らせたようだが、なにせこうと決めたら誰の意見も聞かない頑固者である。訪問介護サービスを雇って、両親の結婚以来数十年を経て、両親と祖母は別居することになった。

両親は、長男が産まれてからおおよそ30余年にわたって続いた子育てが終わり、自分自身の人生に放り出されたようだ。溜まりに溜まった俺たち子供の荷物を捨てまくり、生家を壊し、それでもマンションの部屋のひとつをを物置にしなければ置けない量の荷物を持って夫婦2人の暮らしが始まったわけである。それは彼らの想像よりも寂しいものらしく、「ふたりでは話題がない、話すこともないのだ」と言っていた。仲が悪いわけではないが、仕事もない、知人もいない土地では外部的な情報がなく、お互い既知の情報をやり取りするだけになってしまっているらしい。マンションには、それでも捨てられなかった、子供に買い与えたものたちがある。そのひとつはウルトラマンの少し大きい人形だ。この人形は、俺がまだ人間かどうかも怪しい時分に肺炎で入院した際、友達として与えられたものだった。小学校低学年くらいまではこのウルトラマンは俺の親友だった。頑丈だったので、塗装はところどころ剥げているが、いまも四肢欠損なく立派に立っている。

自分が31になり、友人たちに子供が産まれ始め、しかもその子らが歩き始めている最近になってようやくわかったことがある。子供にとっての"過去"、記憶の彼方にあり、もはや自分ではない別人の所業として帰責を免れたいほどの過去であっても、親にとっては"現在"と地続きであるということだ。自分を振り返ると、親との(というか自身以外の他者との)付き合いは、発達段階に応じてフェーズが切り替わっていたように思う。保育園とか小学校の頃の話を中学でされても困るし、高校の時の話を大学でされても困る。大学や新入社員当時の話を31のいまされても困るような感じだ。でも親にしてみたら、それらは全てひとつの人格であり、俺の31年を背負っていまも暮らしている。

書いていて思ったが、これはわたし自身が他者になること、言い換えれば他者によって対象化されることとは常にこうなのかもしれない(脇道に逸れるが、対象化という語彙は時折ネガティブな使い方をされるが、人間が主観vs主観において対象化されるというのは日常茶飯事であり、対象化そのものを悪としたりする言説は人間関係をなめすぎだといつも思っている)。中学時代に俺にいじめられた奴は31の俺をその時と同じ憎しみを持って見るだろうし、二十歳そこそこの頃に出会ったネットのクソ女の一部は、それから6〜7年経った今も俺はムカついてたりする。わりと自然なことかもしれない。ただ親は、人格にコンテンツを堆積させる射程が、わたしの人生そのものと同じである点で特異なのだと。

親はいつの間にか老人になっていく。気づけば歩けなくなり、そのうち死んでゆくだろう。いつまでもあの頃の親でいると素朴に思っていたが、時間というのはあっという間に経ってしまう。うまいこと伏線回収できました(それはどうかな)。