成人式によせる思い出、旧いアルバムめくり

晴れ。もっと寒くても良い。こんばんは、古川琴音です。

昨日は成人式で、街には振袖姿のご婦人がみられた。俺はこの手のイベントごとを盛り上がってこなせたことはない。俺の地元では成人式はその世代が成人になる年の夏にやる。深い理由は知らないが、推察するに、豪雪地帯のため、冬にやるとそもそも集まることができないこと、どうせ夜に飲み会をするのであれば未成年飲酒を防ぐために20歳と21歳がいる状態でやった方がいいこと、が理由だとおもう。だから俺の同級生たちは振袖を着ていない。結婚式に着るようなドレスを着ていたと思う。雪国でも夏は暑いのでスーツでも汗だくだ。気合の入った御仁は袴を着ていたが、概ね軽装で過ごしていたと思う。仲のいい仲間も特にいなかったので、すでに埋まっている席にもつけず、市長の話とかは立って聞いた気がする。いちおう、夜の同窓会には参加したが、すごく盛り上がってスイートなイベントもあったり・・・・ということはなく、何を話したかもあまり覚えていない。中学のクラス単位でやる席が終わると、仲の良いメンツで散り散りに酒席に興じるフェーズに入るが、なにせ心の友と言えるような存在が地元にいない俺はどの場所にも呼ばれず、21時くらいには家に帰った。

おもえば学校の卒業式もだいたいこんな調子だった。中学では俺は部活に入っておらず、後輩という存在がいなかった。野球部とかの連中が後輩たちに揉まれてる中、当時いちばん仲が良かった西野とふたりで校門をでた。西野はバスケ部だったが、あまり人と深く関わる方ではなく、寄りつく後輩もなく帰っていた。「ああいうのさあ、めんどいよな。俺は苦手だわ」とは当時の西野の言葉だ。校門から少し歩くと、路傍に女の子がふたり、我が校の制服を着て立っている。「ほら、早く!」「あの、、、西野先輩、写真撮ってもらっていいですか!?」15年前の当時でさえ"漫画みたい"と言ってしまいそうなシチュエーション。顔を見合わせる俺と西野。俺が口を開く。「あ、ああ、撮りなよ!俺は平気よ、撮りな撮りな!」女子生徒の顔も見ず、少し歩いた先で、曇る空を見上げて西野を待っていた。本当に長く、静かな時間だった。やがて歩いてくる西野、ボタンの減った学ランと照れ笑いをたずさえて「なんか、ごめんな」と俺に声をかける。「ぜんぜんいい!全然!」と声を張る。そこから、親の車の待つ駐車場までは、やけに俺が喋ったような気がするがあまり覚えていない。西野と別れ、母の車に乗る。「やけに早いのね、お友達と話したりとかないの?」「もうやった。」「そう、じゃあ帰りましょ」そうして中学の卒業式は終わった。この母親の「やけに早いのね」はここから3年後、高校の卒業式でも聞くことになるが、高校の時は後輩がいて、部活の同期ともそれなりにワイワイ話し込んでから帰った気がするのであまり嫌な気持ちはない。いまだに親交のある親友の桜田はこの時期の友人である。大学の時も、卒業式にはやはり母親が来た。別に父親がこういうことに非協力的だということではないのだが、とくに大学については、東京にくると体調がよくなくなると言うので母親が来ていた。学生数の多い大学だったので卒業式も大仰に行われたが、終了次第真っ直ぐに帰ってきたので「あんた飲み会とかないの」と三たび驚かれたものだ。蕎麦屋でカツ丼セットを食べて帰った。いまも仲良くして連絡をとる大学の友達というのはいない。父親は「大学でこそ人生の友達が見つかる」と言っていたのだが。

おっと成人式の話だった。そんな青年期を送った俺で、成人式のあたりはこのまま1人で死んでいくんだろうかと思っていたが、いまはその当時の数倍の友達がいるし、生活の不安もなく暮らしている。二十歳なんてチンチャエギであるからして、鬱屈した新成人当時の俺には、とかく前向きに社会をやってほしい、それだけが人生を拓くのだと、もし戻れるのなら言ってあげたいなあと思ったりもした。