コロナ奮闘記

久しぶり。ファッキンホット。こんばんは、イム・ナヨンです。

 

7/17からコロナ陽性の検査結果を受け、10日間の療養をしており、ようやく日常に戻った趣である。既に概ね共有されていることではあるだろうが、人には人のコロナ奮闘記があるからして、日記に書かずにはおれないわけである。

元はと言えば、7/15(金)の時点で不穏な気配があった。朝から喉の痛みがあった。しかし俺はその時点では、この喉の痛みはクーラー由来のものだと思った。俺は元々喉とか鼻とかが弱いので、空調とか湿度とかの影響を受けやすい。とはいえクーラーを切って寝ると夜中に汗だくで飛び起きることになるのでつけっぱなしで寝ている。すると朝には喉の痛みを覚えながら起きることになるので、この日もそれかと思っていた。マスクをしたら水を飲んだりして、いつもは昼前には痛みは落ち着くのだが、この日は1日中痛かった。この日は仙台で両親と会食をし、仙台に泊まった。そして翌7/16(土)、会社の上司から電話が入る。「コロナの陽性になった。木曜にお前とは飯を食ってるから検査をしてくれ」とのこと。木曜は出張で、その先で昼食を一緒にとったのだった。一気に不穏な気配がたちこめる。しかしこの時はまだ仙台で、神奈川に戻り次第検査を受けることにした。しかし、感染者数の急増により検査センターは受付中止、さらに翌日まで検査は持ち越しとなった。俺はというと、喉の痛みこそ続くものの、熱も倦怠感もなく元気だった。7/17(日)、検査を受けたところ、その日の夕方には陽性の連絡がきた。上司とさらにうえの部長に報告、10日間の自宅待機となる。そしてこの日の夜から熱が上がる。38度台の熱が2〜3日続き、その後は37度台、ほぼ1週間まるまる熱が出た格好だった。刺すような喉の痛みと咳、鼻水、強い頭痛にも悩まされる。7/24(日)くらいから回復し、熱はほぼ下がる。喉の痛みは軽く続き、咳と鼻水も残る。その後、日を追うごとに、喉の痛み、鼻水の順に回復し、咳だけはかなり後まで残った。そして陽性判定および発熱から13日後の今日は、ほぼ全快と言っていい状態である。体力がやや落ちている気もするが、普通に街を歩き回ったりもできているのでいい感じである。俺が寝込んでいた週は、会社でもかなりの人数が同様に陽性となり出社停止になっていたらしい。俺と関わりのない部署の人間も陽性となっており、クラスターというよりも様々なルートで多くの人間が感染しているという状態だ。そもそも俺の感染だって、本当に上司からうつされたのかは分からない。実は俺の方が保菌者で、上司が先に発症したというだけかもしれないし、全く別のルートからうつされたのかもしれない。ちなみに、俺が保菌していると知らずに会食した両親はその後、兄の家族にも会いに行ったらしく、けっきょく、両親、兄、兄嫁、姪の全員が感染した。保菌者と直接・間接的に会った人間は1人残らず感染した状態だ。これにはけっこうショックを受けた。両親は60過ぎなので死ぬかもしれんとも思ったし、姪はまだ1歳であるから、これもまた死ぬかもしれんと思った。俺のせいではない理由をなんとか探さないと耐えられない感覚であった。どこかで止められたのではないか、こうならない方法があったのではないか、、、と。しかしもう後の祭りなので、ただ状況が悪くならないことを祈るばかりであった。

先週は、仕事でもプライベートでも非常に重要や用事の多い週だったのだが、その全てが押し流され、次の機会を遥か遠くへ追いやることになってしまった。ほんとう〜〜〜〜にコロナ憎しである。もはや感染なんか防ぎようもないくらいの蔓延具合で、過去にない勢いを感じる。本当に感染力が強く、対症療法しかない現在ではかかったら最後、日常が全てストップして非常に面倒である。とはいえ、もはや罹らないようにして過ごすのは難しい。毎日が運試しだ。マスクさえしてれば罹らないような気もするが、会食の機会を全て遠ざけるには、我々は長く闘いすぎたような気もする。俺個人としては、「これを機にコロナスーパーデリケートマンになるぞ!」という気はあまりなく、今まで通り過ごすよりないよなあという心持ちではいる。リレンザとかタミフルのような薬が出てきてくれさえすれば、少しはウィルスとの付き合い方も変わると思うのだが、、、