『呪詛』

雨。ほぼサウナ。きつい。こんにちは、インリビングです。

映画のことは比較的好きな方だと思う。趣味は映画です、とは言わないが、特定のジャンルについては映画にあまり関心のない人よりは見ていると思う。具体的にはアクション映画とかヒーロー映画で、マーベルとか、ダイハードとかトランスポーターとか、そういう頭をあまり使わないドンパチ系が好きだ。他方で、ヒューマンドラマとか恋愛映画はあまり見ない。それは単に自分の中にこれらに反応するセンスもしくは経験が存在しないからだ。『モテキ』は確かに面白かったが、自分の半生に引きつけることはできなかった。長澤まさみへの強烈な恨みは芽生えたが。そんな俺だが、最近はホラー映画をちょっと見ている。ちょっとというのはどういうことか?見ている作品数も少ないが、見方もちょっとなのだ。つまり、飛ばし飛ばしで見てみたり、途中で見るのをやめたり逆に途中から見てみたり、である。なんでそんなクソな見方をするのか?そもそも俺はホラー映画も見てこなかった。理由はひとつで、怖いからだ。怖すぎて見られない俺にとって、ホラー映画を2時間きちっと見るのはあまりにも高ストレスなのである。だからちょぼちょぼと見るわけだ。そんな見方をしている俺が、それでも面白いと思った映画が、ここ最近話題の『呪詛』である。

https://www.netflix.com/jp/title/81599888?s=i&trkid=13747225&vlang=ja&clip=81608727

『呪詛』は、台湾で公開されたホラー映画で、日本ではネットフリックスで配信されている。

おっと、今日は映画の話だが、当ブログには珍しくネタバレに配慮した内容なので、比較的安心して読んでもらいたい。

台湾ホラーといえば、空前絶後の残虐描写が話題の『哭悲』もそうであり、台湾ホラーという新興を感じる。『呪詛』は、過去に禁忌を破ったせいで娘に呪いを受けた母親が、その呪いを解くために奮闘する物語なのだが、とても見応えのある映画だった。ホラーが苦手な俺はあらすじだけ読んで満足したりすることもあるのだが、このあらすじリーダーの俺に言わせると、ホラーにはいくつかのジャンルがある。『リング』や『呪怨』などの怨霊系、『13日の金曜日』などの怪人・バケモノ系、『物体X』などの寄生系、『ミッドサマー』などの土着宗教系、『エスター』のような人間が怖い系、など。『呪詛』は、タイトルからして大筋は怨霊系なのだが、そこに、怨霊を取り巻く土着宗教が絡み、さらに終盤のどんでん返しで、人間が持つ闇にも迫る多重レイヤーになっている。さらに本作は、POV視点を取り入れたモキュメンタリーめいたつくりになっており、それも娘の呪いを解くための記録である等、POVである理由にも納得感がある。なにより本作が話題になっているのはラストの展開ゆえなのだが、不意打ちのようなおぞましい恐怖を喰らうことになる。この展開もそれまでの演出がよく伏線として効いていて、見終わった後に大きな満足感がある。予告編でも本編スタートしてからもずっと聞かされる呪文、「火佛修一 心薩嘸哞(ホーホッシオンイー シーセーウーマ)」も耳に残りやすく、作品の演出上極めて重要な意味を持ち映画を象徴的に彩っている。恐怖演出もガンガン出てくるし、痛々しい描写もある。ホラーでありがちな、悪玉の姿がうっすらとしか見られないまま終わるということはなく、しっかりその姿を見せてくれるのも清々しい。ぜひ見てほしい。

そもそもなんでホラーが嫌いなのに最近見てるのかというと、ツイッターでフォローしてる映画好きアカウントが軒並みホラー映画好きだというので影響されてるのと、苦手ながらいざ見てみると、激辛料理を食べた後とかサウナの後のような清涼感や爽快感があるのだ。怖いシーンなんて何度も見ちゃって、こわ〜〜〜〜〜〜〜〜と思いながら眠りにつく。みんなも『呪詛』を見て一緒に唱えよう、火佛修一 心薩嘸哞