武器:チョップのみ

たぶん晴れ。たぶんあたたかい。部屋から出てないのでよくわからない。こんばんは、中村静香です。

今日は疲れて1日寝ていた。配達の荷物を2軒受け取り、551の豚まんをあたため、ウーバーイーツでカレーを頼んだ。

ところで、アマゾンプライムで007シリーズが解禁されたので、24作品を全て見た。高校の時にいちど、ほぼ全ての007を見ていたのだが、もう一度総ざらいをしたのだ。最新作の『ノータイムトゥダイ』も劇場で見ているので、007作品は全て見たことになる。それを記念して(?)、俺が独断と偏見で選ぶ、ベスト007作品n選を発表する。順位付けはしない。記述の順番は、年代順に書き、評価の上下を反映はしていない。

 

①『ゴールドフィンガー』1964年

映画第3作目、ショーンコネリー主演。非常にヒットした作品で、同年に公開された映画の中で最も多く興行収入を得た作品となった。大富豪、ゴールドフィンガーの金の密輸について調査するボンドだが、その先にはゴールドフィンガーの恐ろしい陰謀が計画されていたのだった、という感じのストーリー。金はあるが戦闘能力はない悪役の横に、超強い側近というスパイ映画お約束の悪役セットが出てくる最初のボンド映画。悪役ゴールドフィンガーの屋敷の広大なセット、殺されてしまう人々の滑稽な殺害方法(身体を金粉まみれにすることによる窒息死とか)、チビだけど怪力の殺し屋オッドジョブの魅力、悪役の計画のスケールのデカさやそれを阻止する作戦の荒唐無稽さなど、ボンド映画の愉快なところが詰まっている。ショーンコネリーのボンドは、なによりスーツの着こなしが素晴らしい。ダニエルクレイグ版のボンドについて、「スーツがいい!」と感想を持った人はショーンコネリー版をぜひ見て欲しい。グレーのスーツにネイビーの無地ネクタイ、ダークネイビーのスーツにブラックのニットタイ、ウエストはノーベルト仕様など、ソリッドでスタイリッシュ、最高にクールなスーツスタイルである。ロレックスのダイバーズウォッチにストライプのナイロンベルトを巻くところもボンドの代名詞になっている。クレイグ版ボンドのビジュアルは、明らかにコネリーを復刻しようとしている。

 

②『女王陛下の007』1969年

第6作目、2代目ボンドの、ジョージレーゼンビーが演じる最初で最後のボンド(レーゼンビーはこの1作でボンドを降りる)。ウィルステロを扱った最初のボンド映画。この作品が007シリーズの中で重要なのは、ボンドが結婚するということだ。ボンドの結婚は原作小説にもある設定で、今作のボンドガールであるトレーシーと結婚、スパイ稼業を引退することになる。しかし、その幸せは長くは続かないのだが、、、、クレイグ版ボンドをのぞいて、007シリーズは基本的に1作完結で、設定や時間軸が次作に持ち越されることはほとんどないのだが、このボンドの結婚だけは、しばらくの間継続する設定となり、ボンドが多くの女性と関係を持ちながらも、深く踏み込むことがない理由にもなっている。

 

③『黄金銃を持つ男』1974年

3代目ボンド、ロジャームーアが演じるボンドの2作目で、一部の年代に異常な知名度を誇る"黄金銃"が登場する作品。黄金銃とは、今作のボスであるスカラマンガが使用する銃で、彼は射撃の名手であるため、装填される一発のみの弾丸で相手を倒すことができる(つまり、あのゲームで黄金銃が最強である理由は、銃ではなく使い手にあったのだ)。この作品の珍しくかつ面白いところは、悪役のスカラマンガ自身がボンドとの対決をのぞみ、堂々と正面切ってタイマンを張るところだ。ふつう、007シリーズというと、ボンドが悪役の計画の邪魔をするので倒そうとする、という構図だが、今作では、「俺にはこんなヤバい計画がある。君が俺を倒したらそれは阻止できる。俺が君を倒せば計画は実行される。対決せざるを得ないだろ?よし、それでは対決しよう」という感じで、計画とボンドとの対決が同じだけ重要な目的になっている点が、男らしくロマンがある。ボンド映画の中でも屈指の"強いラスボス"である。

 

④『ユアアイズオンリー』1981年

ムーアの5作目、通算では12作目になる。この作品は、何がいいって主題歌がいい。シーナ・イーストンの歌う「For your eyes only」がとても好き。それが大きな要因だが、他にも、ボンドガールのキャロル・ブーケのまばゆいばかりの美貌や、悪役と味方の転倒、気さくなキャラクターとシリアスなストーリーの対比、メインの筋書きとは別に展開されるスケーター・ビビのキュートな振る舞いやその結末など、盛り沢山な内容で、ラストシーンにブーケがいう「For your eyes only darling」が、冒頭のシーンと重なってタイトルを誇張する形になるのもシビれる。

 

⑤『消されたライセンス』1995年

4代目ボンド、ティモシーダルトンの2作目、ダルトンは前作『リビングデイライツ』と今作の2作のみの主演である。ダルトンのボンドは、先代のムーアのユーモラスでコミカルな路線とは打って変わり非常にハード。今作は、ボンドの友人のフェリックス・ライターが敵に痛めつけられたため、血を煮えたぎらせるボンドの復讐劇である。悪役である麻薬王サンチェスの、いかにも悪そうな風貌と、それを執拗に追うボンドの憎しみ、ラストのカーチェイスからの一騎打ちではボンドはボロボロ、見ている我々もクタクタであるが、このハードさは他のボンド作品にはない優位点だ。

 

⑥『ゴールデンアイ』1995年

5代目ボンドのピアースブロスナン最初の主演作。ブロスナンは俺が一番好きなボンドだ。ブロスナンのボンドは軽妙で、ユーモラスで、スーツも決まっており、微妙に弱そうだけど、毎回ラストで見せる緊迫した表情が最高にイケメン、なにより俺が最初に触れたボンドなのだ。話が逸れるが、「一番いいボンドは誰か」という話題は迂闊にしない方がいい。007シリーズは50年近く続くシリーズであり、その人の人生に食い込んでいる場合がある。だいたいの場合、最初に見たボンドが、その人にとってのボンドになるのだ。俺にとってはそれがブロスナンであり、今の多くの若者にとってはクレイグなのだろう。閑話休題ゴールデンアイの話に戻るが、実はもはやこの作品について話すべきことはあまりない。というのも、(言うまでもなく)いま30代の人間にとって、『ゴールデンアイ』というタイトルは特別な意味を持ちすぎている。まさに、我々の人生に食い込んだ007である。この作品の全てを、その特別な感情を抜きにしてみることはできない。強いて言えることがあるとすれば、ラストのアレック・トルヴェリアンとの決着、「お国のためか?(for england,James?)」「いや、自分のためだ(No,for  me)」のやり取りがめちゃかっこいい。

 

⑦『ダイアナザーデイ』2002年

ブロスナン最後のボンド作品で、シリーズ20作目にあたる。人間のDNAを操作して別人になるとか、光学迷彩によって消える車とか、衛星から巨大レーザーを発射する兵器とか、掴んだ相手に電流を流すスーパーアーマーとか、シリーズで最もトンチキの極まったガジェットが飛び出す愉快な作品になっている。ブロスナンのボンドはこういったトンチキが多く、俺はボンドとはこういうものだと思っていたので、クレイグ版のハードボイルドさには驚いたものだ。主題歌をマドンナが歌っており、テクノ調な感じなのも特徴的。

 

⑧『スカイフォール』2012年

クレイグ版ボンドの3作目。主題歌、アデルの歌う『skyfall』がまずいい。主題歌がバラードになるのは久しぶりのことだ。14作目の『美しき獲物たち』でデュランデュランが主題歌を歌って以降、比較的アップテンポのポップスが主題歌になる傾向があったのだが、ここにきてスローテンポになり、それは次作の『スペクター』や『ノータイムトゥダイ』でも続くことになる。1作目から007を通して見ると、クレイグ版ボンドはやはり異質だと感じる。まずボンドが金髪で、表情がめちゃ硬い。MI6じゃなくKGBだろ、と言われるのも納得。ジョークも薄味で、ハードかつダーク。前述のように、コネリー時代を意識した、無地かつタイトなスーツスタイルにアストンマーチン。女遊びはほどほどだし、そもそもあまりモテそうに見えない。なにより特異なのは、クレイグ版ボンドは明確に時間軸があり、前作に起きたことが今作に、今作が次作に影響する、明確な"続きもの"になっている点だ。これは過去のボンド映画にはなかったことで、シリーズを追うごとに、ジェームズ・ボンドというキャラクターを深掘りする、彼の人生譚になってることもまた、クレイグ版ボンドの特徴となっている。これは、時代の変化、世界の変容に対して、007という作品がどう答えるか、という課題へのアンサーになっている。コネリー時代の007などを見ると、いまの価値観とあまりにかけ離れており、頭に入ってこない点が多々ある。女性への扱い、アメリカvsロシアを前提とした世界観、アナログにもほどがある各種作戦など。ボンドというキャラは、映画の中では神であり、機能である。過去のボンド作品で、彼自身が掘り下げられることはほとんどない。謎が多く、敵の弾は絶対に当たらないのに自分の弾は必ず当たる。女は必ず口説き落とせるし、敵はなぜかボンドを殺さず生かしておく。そうした、古臭い世界での神であるジェームズ・ボンドを、人間の座にまで下ろしたのがクレイグ版ボンドだと思うし、新しい世界のボンド映画を作るための5作品だったのだと思う(そもそも、ボンド映画に対する世間とのギャップについては、ブロスナン時代からなされており、ジュディ・デンチ演じるMが、ボンドのことを「女性蔑視のレイシスト」と詰る場面があったり、ボンドガールはみんな積極的に闘う強い女性ばかり、『ダイアナザーデイ』ではボンドガールに初めて黒人が採用された)。

そうしたクレイグ版ボンドの最高傑作が『スカイフォール』だと思う。初めてボンドの生まれが掘り下げられる。この作品にはボンドガールが登場しない代わりに、シリーズお馴染みのマネーペニーの登場と、Mとの別れが描かれる。生家たるスカイフォールへ向かうボンドとMは、もはや親子にしかみえない。ボンドは二度、親を失っている。生まれの親と育ての親。そんなボンドの第三の母であるM、再度見つめ直す自分の人生、それらを背負って、既にスパイなどできない身体なのに、自らの"影"であるシルヴァに立ち向かう。対抗するシルヴァもまた、鬼気迫る悪役である。自分を捨てたMI6への強烈な憎しみとMへの執着だけが、自身の実存を支えている。『カジノロワイヤル』や『慰めの報酬』では、スペクターの計画を止めるために敵と対峙するが、今作の悪役は、ハナからMとMI6、ボンドを叩き潰すためだけに全勢力をかけて活動する。ハビエル・バルデムのスリリングなキャラクターが強烈な印象を残す。そして彼を倒し、自分の生家を燃やし、理解者であるMを喪って尚、前を向いて生きることを覚悟したボンド。通路に面したデスクに座るマネーペニーや、レイフ・ファインズ演じる新たなM(ティモシーダルトン以前の007では、Mはおじさん役者が演じていた)が、古い007映画の情景を思い出させながら、そして最後に流れる007のテーマ。本当に素晴らしい。

 

だいぶ長くなってしまったのでこの辺にするが、特にクレイグ版ボンドについては、その異質さからまだ書きたいことがあるので、それはまた今度の機会としよう。デ-レッデデ-