青いベンチ

晴れ。暑いけどそこまでじゃない。こんばんは、沢口愛華です。

都会の高校生は大人だと感じる。カップルの話だ。都会の高校生カップルは手はもちろん繋ぐし、顔も近い、スキンシップも強め。イチャつくことに躊躇いがない。俺が高校生の頃、カップルで手を繋いで歩くのはかなり勇気がいる行為だった。田舎の狭い社会ではすぐに誰かに見つかり、囃し立てられるのが常だったし、そういうイジられを避ける空気もあったため、カップル達はわざわざ電車に乗って、遠くの街でいちゃついたりしたのである。これはいくつか理由があるだろう。都会は人が多く、帰る方向もバラバラなので、田舎でいう「見つからない隣町」に早い段階で到達できるのかも。あるいは、よくわからないが都会の高校生はいろんな時間に街中に出歩いているので、帰る時間を調整しているのかも。でもなにより、都会の高校生はきっと田舎のイモよりも大人なのだ。若い男女がつがいをつくるのは当然で、つがいになればイチャつきもする、それはわたしもあなたもそうなのだから囃し立てるようなことではない、という判断ができているのだと思う。さらに大人なのが、あんなにイチャついていても男の子はあまり照れもせず平気そうなところだ。俺があの歳で女の子とイチャつこうものならもうまともな歩行さえ難しいかもしれない。

ここでひとつ情報を訂正したいが、おれはあたかも、高校生の時分に彼女がおり、知人友人から隠れて手を繋いだりしていた経験があるような書き方をしたが実際はそんなことはしたことがない。むしろイチャつくカップルを囃し立てる側であり、陰ながら嫉妬の炎を燃やしていたのだ。おれが初めて女の子と手を繋いだのは20歳の頃であり、人並みに話せるようになったのはここ数年のことだ。そんなおれから見ると、屈託なく恋心に躍る高校生は、自分がこれまでもこの先も得ることがない青春の喜びに溢れており目が眩む思いだ。もう15年も経つが、いまだに中学や高校の時分を思い出す。もっと好きと言えばよかったとか、もっと嫌だと言えばよかったとか。情けないことだ。多くの人間は、然るべき時に然るべき経験でもって、そうした後悔の芽みたいなものをつぶしていき、人間的にも成熟していくのだろうが、俺はいくつかの段階がさっぱり抜けているので、この人間社会における幾つかの出来事、特に人間関係にかかわる離別や合流についての相対化がうまくできていない。"他人といる"ということを強烈に特別視しているし、「みんなやってるようなこと」に対して過敏に反応したりする。まったく情けないが、もはや過ぎてしまった時間を取り返すことはできないので大急ぎで経験値を積んだりしてみてはいるが、なかなか差は縮まらず、未だに青春の煌めきに羨望を向けたりしているのである。

 

ところで少し体調が良くない。なのに今日はたくさん歩きまわって大変疲れた。晩ご飯も楽しみにしていた店な割にはそうでもなかったし、早く寝るに限る。