値上げはつらいよ1

降らないかと思ったらギリギリ雨。残念。こんばんは、皆口裕子です。

円安が止まらない。1ドル130円前後ということは、今まで100円で買ってたはずのドルが130円になるということなのだ(トートロジー)が、あわせて原油高、綿価格の高騰、小麦価格の高騰、諸外国の工賃の高騰と、ものづくりに関わるありとあらゆるコストが上昇している。俺が改めて言うまでもなく、物価はどんどん上がっており、食料も洋服も建物も何でもかんでも値上げである。理由はいまあげたとおり。たとえば為替の100円が130円になった時、500円の原価は650円になる(為替がそのまま綺麗に原価に跳ね返るわけではない。仮定として読んでくれ)。その場合、店頭の売価もそのまま150円アップすればいいということではない。仮にこの商品が1000円のTシャツだとしよう。元の原価が500円だった場合、利益額は500円、利益率は50%になる。この原価が150円上がって、店頭売価を同じだけアップしたとしよう。すると、1150円で売って原価が650円。利益額は元のまま500円だが、利益率は43.5%くらいになる。計算すれば当たり前にわかることではあるが、原価が上がった分、そのまま売価を上げただけでは利益率は下がる、即ち"より儲けられなくなる"のである。原価が500円→650円に上がった場合、同じだけの儲けを出すためには1300円まで値上げしなければならない。たった30円、為替が上がるだけで、Tシャツ一枚が300円も上がる。本来はここに、さらにあらゆるコストが乗っかってくるので、「ちょっと儲けは削れるけど値上げしません!」みたいな企業側の根性論では耐えられないフェーズになっているのだ。これからもあらゆるものが値上がりしていく。それに引き換え給与が上がる見通しはなく、ますます生活は苦しくなるだろう。

ところで、ネットで見ていると、「安い商品は誰かを踏みつけて成り立っている。適正な価格をきちんと払おう。」みたいな論を時々見る。そうなれば我々小売業としては本当にありがたいことだ。事実、安いものは誰かを踏みつけている。これは間違いない。小売の儲け、メーカーの儲け、物流会社の儲け、中国の工場の儲けetc....それでも、無傷なままでは商売できるほど世の中甘くないのでみんな少しずつ傷つきながらなんとかお客さんに商品を届けているのがサービス業の実情だろう。それはよくない、きちんとお金を払おうという理念は素晴らしいと思う。が、俺はそんなこと無理だろうと思っている。ケンタッキーが値上げした、ディズニーが有料ファストパスを導入した、そうすればやっぱりみんな、やめてくれそれは困ると言い出したではないか。お菓子や弁当の内容量を減らして金額を維持する企業努力についても、口を揃えて「そんなことをするなら値上げしてくれ」というが、本当に値上げしても買うか?いいや、買わないね。買わない。値上げというのは本当にインパクトがある。「欲しいものには適正な価格を払おう」というが、「値上げしても買う」とは言っていないだろう。小売業は売らなければ死んでしまうが、消費者はそれを買わなくても生きていける。別の選択肢がある。買わない自由がある。そうした力関係の中で、こちら側が買うハードルを上げることの意味を本当にわかっているのか?値上げになるとして、どれくらいの値上げになるのか想像できているのか?

まぁ、別に、消費者に文句を言いたいわけではない。高いものは売れない。安ければ売れる。当たり前のことだ。その価格が適正かどうかは商品の成り立ちではなく消費者のフィーリングで決まる。ただ、これからも値上げは止まらないのは間違いないし、生活は苦しくなる。そのなかで我々サービス業にとって、値上げをするというのは簡単な決断ではないのだということを頭の片隅にでも置いておいて欲しいという、まあ、ささやかな愚痴みたいなものである。

ところで、安くて嬉しいといえばサイゼリヤである。先日、大勢でサイゼリヤに行く機会があり大変楽しかった。俺は壁を背にして店内を広く見られる席に座っていたのだが、俺たちが飲み食いしている最中、通路を挟んで反対側にカップルが座った。ギャル感強めの女の子とちょっとイケてない(誰が言うてんねん)男の子だったが、テーブル席だったのに、向かい合わせに座らず、隣同士に座った。卓を挟んだ向こう側は空席のままで。非常に仲睦まじく話していたので気になってみていたのだが、料理が1皿か2皿運ばれてきたくらいで、チューしていた。サイゼリヤで!ちゅー!すごい!俺は感動した。サイゼリヤでするちゅーはオリーブオイルの香りだろうか。お酒も入っていない昼間である。そんなに若そうにも見えなかったが、二人の愛はエスカルゴよりも熱い。サイゼでちゅー、いいです。