サステナを・・・さすってな!

晴れ。あんまり暖かくない。それはそれで困る。こんばんは、イム・ナヨンです。

先日、ガイアの夜明けアダストリアが特集されていた。アダストリアといえばグローバルワークローリーズファームなどを展開する日本有数のアパレル企業だが、今回の特集の目玉はフォーエバー21の日本再上陸についてだった。フォーエバーでは2009年に日本上陸し、ファストファッションブームの旗振り役として市場を賑わせたが10年ほどで撤退。今回、アダストリアと手を組み、フォーエバー21のライセンスをもって、アダストリアが日本向けに商品開発をするというローカライズをしての再展開となる。

番組では、欧米向けの強いデザイン性やカラー、安価と引き換えに不安のある生地・縫製のクオリティといったかつてのイメージを脱却するべく、日本のトレンドに合わせたカラーやデザインを取り入れたり新たな生地を求めて地方は遠征する様子などが取り上げられていた。中でも特に強調されていたのはサステナビリティについての取り組みだった。日本では年間50万トンを超える衣料が廃棄されており、近年では環境保護や資源保護の観点から低減がのぞまれている。アダストリアでは、自社の在庫品を洋服から繊維に戻し、それを使ってまた新たな製品を作るなどの取り組みで、2020年には、企業としての焼却処分がゼロになったと話していた。フォーエバー21プロジェクトの責任者のなった何某とかいう御仁も、その製品がいかにサステナブルであるかを強調していた。洋服におけるサステナビリティーとは、製品にリサイクル原料が使われていることや、製品が着た後にリサイクルできることの他に、長く着られることもその要素になる。長く着られれば廃棄せずに済むし、他のものを買わなくて済む(それはどうかな)。サステナブルであることが商品の価値になるという強い信念を感じた。

ところで、消費者というのはサステナビリティに対して金を払おうという感覚はあるのだろうか。メーカー周りをしていると、最近ではこうしたサステナを意識した商品提案が多い。だいたいそういう商品は、クオリティ自体はそこまでな割にやけに高い。話を聞くと、リサイクルポリエステルを使っているだの、端材を集めて作ってるだの、染色の際に洗いのいらないものを使っている(デニムの染料などは環境負荷が高く生産時の汚染が問題視されている)だのと、説法を聞かされる。「なんで使い古しの原料を使ってるのに高くなるんだよ!」ときくと、「あのねえ、勘違いされてませんか?サステナブルは金がかかるんですよ」と返される。リサイクル原料を作るための行程自体がコストに反映されるためだ。はっきりいって、新品の原料を使って、廃棄上等で莫大な数を作ったほうが全然安くなる(だかられまでアパレル業界はそのような生産をしてきた)。即ち、アダストリアは心の底から地球環境を想うあまり、わざわざ高いものを作っていることになるし、消費者はアダストリアの服を買う時には、少なからずそうした信念に金を払っていることになる。俺のような卑しい感性の人間からすれば、サステナビリティとは企業がイキるためにわざわざやる非効率か、良いものが安く作れなくなったことの言い訳に過ぎない。消費者が求めているものは「安くて良いもの」である。その服が何から作られてるかなんて消費者の人生には1ミリも関係のない話で、消費者に転嫁するコストではなく企業が自分の身を削ってやればいい話であるが、結果的にそれは最終売価に上積みされ、我々消費者が企業の取り組みを支えることになる。しかし、俺ははたと思い直す。アダストリアとは環境保護に熱を上げているアンポンタンではなく、日本トップクラスのアパレル企業である。そこにビジネス視点はゼロなのだろうか。即ち、"サステナビリティを謳えば商品が売れる"こともあるのかしら、と考え直した。天下のアダストリアがそこまで入れ込むのだし。

それよりも俺は、アダストリアの商品開発風景を見て、その熱心さや時間のかけ方、データの活用法などにすっかり関心してしまった。俺もこんな風に仕事したい。いまの会社では他の業務が煩雑すぎて、商品作りとか投入スケジュールに割けるコストが、時間的にも精神的にもあまりに限られている。売上と関係ないような仕事や、他の企業なら別部署がやるべきような仕事に時間を取られ、本当に気合を入れないといけない仕事はおざなりに済ましてしまう。会社がコストをかけることなく、現場の偶発的なイノベーションを祈り続けている。それではいつまで経っても、弊社は一流企業には勝てないな・・・という感慨を抱いて番組を見ていた吉宗である。