小売悲哀録

晴れ。明日は雪?こんばんは、レア・セドゥです。

きびしいことの連続である。毎日毎日、できないことをできたふりして息を切らしている。寒さのせいかコロナのせいか、消費者の購買意欲は低く、原料高や原油価格高騰で製品をつくろうにもコストが合わない。予算が下方に修正されるということはなく、企業はいつだって昨年を越えることを要求される。

大手アパレル企業が値上げを宣言するのは大変けっこうだと思う。ガソリンや野菜が値上がりするのに、洋服が値上がりしないなんてことはない。本来は、だ。現にインポートものは毎年値上がりしており、数万円の値上げがなされる場合もある。しかし、我々一般市民が目にする洋服はそう大きく値上がりはしない。理由は単純で、高ければ買わなくていいからだ。洋服は嗜好性が強く、縫製の巧拙や生地のクオリティの上下はあれど、来月には壊れてしまう服なんかほとんどない。服には緊急性がない。だから我々は、ニーズを価格に転嫁できない。高くても買ってもらえるような製品をつくれと言われればその通りだし、ハイブランドは基本的にそうしているので年々価格が上がっているのだが、簡単なことではない(そもそも、全ての企業はそうしたいのだし)。ワークマンは強力な生産背景と作業着で培ったノウハウが融合した奇跡のような成功例で、おいそれと踏襲できるものでもない。

実際のところ、ファッションブランドはどんどんなくなっているし、多様だったジャンルは収斂し、同じようなものをみんなが着る世の中になった。生き残ったブランドたちは、いまやこぞってキャラクターや有名人とコラボをする始末で、服の地力だけで企業が生きていくのは至難の業となった。均質化したアパレル界では、価格ひとつとっても敏感にならざるを得ない。これだけの情報社会、消費者もお金がなくデリケートであるからして、売価に向けられる視線は厳しい。かたや、綿価格は高騰し、中国の工場は環境汚染対策や電力不足対策で稼働を制限されており、原油価格高騰で海上運賃も爆上がり、商品生産にかかるコスト上昇はいつ止まるかもわからないほどだ。

いよいよ値上げしかない。ほんとうにそんなかんじである。服に限らず、自分でものを作って売ったことがない消費者の中には、企業がいたずらに利益を増やしていると勘繰るスットコドッコイもいるが、残念ながら自由経済はそんなに甘くない。不当に儲けられるならとっくにやっている。どの企業もいっぱいいっぱいである。服に限らず、あらゆる小売業がそうだ。他方、給与は増えず、相変わらず庶民の家計は厳しい。コスト上がったので値上げします、を許容できる余裕は社会のどこにもない。

価格を上げても納得感のある商品づくりが、これからの小売業の課題になる。いいものは高い、当然作るのにもコストがかかる。ただでさえコストがかかるのに、前述の状況からしてさらにコストは上がる。ではその分価格を上げられるか?というと実際はそうではないのだ。たとえば、一点単価が1000円のアパレルブランドがあったとしよう。このブランドが、市場実勢5000円くらいのものを、その価格で売り出したとして、売れるだろうか。売れない。客の懐事情と乖離しすぎているからだ。では、1000円のものよりちょっといいやつを1500円で売ったら?これもたぶん厳しい。ちょっといい、くらいでは値上げを受け入れてもらえない。必要なのは、"2段上のクオリティを、1段上の値段で買える"ぐらいの感覚の商品だろう。要するに、300円を100円で売るように、2500円のものを1500円で売るような。そうでもしないと、今まで1000円を買ってた人が1500円は出さない。

 

書いていてあまりの厳しさに眩暈がしたのでこの辺にしておくが、今後値上げが起こってもあまり嫌な顔せず、みんな大変なんだとわかってほしい。