スーパードゥーパーいつだってスーパードゥーパーいつまでも

晴れ。来週あたりから暖かくなるらしい。こんばんは、初音ミクです。

 

ふたたび更新があいたのは二つの理由がある。ひとつは仕事が激ヤバトラブルまみれうんちブリブリミステリアスマスカレード状態でありながら、休みの日は血液と糞便だけが詰まった肉の袋として横たわるだけだったため、思索にふける時間が取れなかったこと。もうひとつはスマホ版のマリオカートをやっていてブログどころじゃないことだ。

マリオカートを面白いと思ったのは生まれて初めてだ。今までやったことがなかったわけではないが、小学生のときに数回やった程度でロケットスタートもドリフトも分からず、手慣れた友達にボコられていて楽しくなかったし、そもそもスマブラとか007をやる機会の方が多かった。スマホ版のマリオカートはリリースされてから2年以上経っているようだが、やってみて完成度が高くて驚いた。感覚的で簡便な操作、コースアウトや逆走といった初心者に易しくない要素の排除、マシンやキャラによる能力差、即ち課金による差を"速さ"よりも"スコアの稼ぎやすさ"に持ってくることで、多人数プレイの不公平感を減らしている。やり込み要素としてはスコアアタックに軸足を置きつつ、それが逆に多人数プレイの遊びやすさにつながっていると感じた。アイテムも逆転しすぎないバランスになっていると感じるし、ぶっ壊れ性能を持ったものも特にない。グラフィックも綺麗だし、バグ的な挙動もほとんどない。さすが天下のニンテンドー、とても遊びやすいゲーム。なにより感嘆したのはオンラインでの多人数プレイができるということだ。いまどきは当たり前なのかもしれないが、スマホゲームを全くやらない俺にとってはかなり新鮮に感じた。レースゲーム故に、オンラインに入ってからレーススタートまで時間がかかるのが玉に瑕だが、見知った仲間とも見知らぬライバルとも、この平等感のあるレースを楽しめるのはとても面白い。

おっと、さらっと書いてしまったが、この見知った仲間とできるという点、いや、ゲームをやるべき"見知った仲間"がいまの俺にはいる、ということが一番大事である。これをいま読んでいるあなたやあなたやあなたたちのことだ。最も、あなたたちのほとんどは顔も素性も知らないが、それでも、この現在の限りにおいて俺たちは仲間で友達なのだと言ってしまいたいEMOが俺の中にはある。時代はずいぶん変わったものだ。もうすぐ31歳を迎える俺が子供の頃、ネットは怖いところで、顔も知らない相手と仲良くなるなんて破滅への道だと口酸っぱく言われたものだが、いまではネットの友達の方が多いくらいである。このブログでも何度か書いているが、俺は友達が少ない人生を送ったきた。それはどこで身につけたかわからない俺自身の強いアクに起因しており、きわめて人を選ぶ性分に仕上がってしまった。にも関わらず、他人との交わり、温かい交友関係への未練もある。自分の心の中にあなたたちを住まわせているように、自分も誰かの心の中にいたい、わたしを象る他者が必要だ!そんなしみったれた自意識を持ちながら中年になろうとしているが、マリオカートでネットの仲間と遊んでいると、失った青春が再びやってきたような気分になる。仲間がいるという実感が持てる。気のせいかもしれないし、ネットという独特の距離感が各々のアクを薄め、ソリが合うところを強調しているのかもしれない。だから、ネットで仲良くしてるからと言って、みんながみんな、親友のようにお互いの理解者になりうるわけではないだろう。それでも尚、この現在においては確かに仲間なのだと思えることが、"いまここ"を生きるわたしたちには重要なのだと思う。

マリカーの話だと読み進めたら、どでかい自意識をぶつけられて狼狽していないかね?これがこのブログである。今後ともよろしく。