雨の降りはじめた音が耳を打つ

晴れ。日が長くなってきたなぁと感じる。こんばんは、タキマキです。

 

仕事がハードである。というのも、前に書いたように俺は3週連続3連休をとっているので基本的に5日分の仕事を4日でこなしている。今週に至っては明日が出張なので、3日で済ます必要があるためかなり厳しい戦いを強いられた。抱えているトラブルは複数あるが、俺一人で全て片付くものではないのでジワジワと片付けていくしかない。

 

物売りをやっていると、つくづく安さとは誰かを犠牲にして成り立っていると感じる。俺たちはメーカーを、メーカーは工場を、工場は労働者、あるいは原料となる綿などの栽培業者を犠牲にしている。もちろん、各人が自らの利益を削っていることは言うまでもない。巷ではこうした負の連鎖を脱するため、フェアトレードであるとか、強制労働の撤廃とか言ったことが叫ばれている。また、中国の環境汚染を鑑みた工場の稼働制限(というか閉鎖)も行われているし、特にウイグル地区の問題については、綿の輸入制限ないし禁止まで踏み切る国もある。もちろんいいことだと思う。資本主義のもと、苦しむ人が減り、強い者が弱い者を食い物にするのを防ぐことは。ただそうした改革が物価に直撃することをどれだけ意識できているのかと疑問に思う。はっきりいって、もう今までの値段ではなにも作れない。本当になにもだ。しかしそれでも、店頭の売価が上がると消費者は買い控えを起こす。片方では環境保護や人権愛護などの"真っ当さ"を謳いつつ、その結果で訪れる世界にはなんの責任も取る気がない。"安い"というのは真っ当ではないのだ。本当に真っ当な価格というのはあなたが想像するより2段階は高いだろう。その商品をつくるために働いたすべての人が幸せになるような値段をつけた場合、多分あなたはそれを買うことはできない。日本の小売店で日夜働く従業員のことも、それを仕入れるバイヤーたちも、それを作るメーカーのおじさんも、中国の工場で働くおばちゃん、綿を栽培する低賃金労働者たちも救うことはできない。あなたがお金を出さないからだ。

とはいえ、これもまた仕方のないことでもある。誰もがお金がない。もはやスタグフレーションがやってくるとさえ言われる昨今、誰もが最大効率を目指して動く。個人の私的な活動も、企業の経済活動も、無駄をなくし、最小のコストで最大の利益を得る動きが加速している。結果として、余裕やゆとり、余白は無くなり、そこで生きる人々の息苦しさは増す一方になるだろう。

消費者に金を使わせるのはますます厳しくなる一方で、製品をつくるためのコストはますます高騰している。もうすぐ限界がくる。弊社も限界かもしれない。アパレル界、小売業界のパラダイムシフト的な場面は近い、いやもう起こっているのかも。既に百貨店は虫の息、大手百貨店は次々と閉店。東急ハンズはカインズに買収されたし、西武はセブン&アイから切り離された。当のセブン&アイもイトーヨーカドーの不振を指摘されているようで、コンビニ事業に注力すべきという声もあるようだ。消費者がもっと金を持ち、金を使うマインドが高まらない限り、「お店」という存在はどんどん減り、文化は画一化するだろう。それも末路なら、すべて末路だ。