松屋の特盛り、ちょっときつかった。それさえ。

晴れ。はーーーもう寒いのだるい。こんばんは、佐々木希です。

気づくと1週間近く更新が滞っていた。まったくやることがないというのは恐ろしい。あまり気力の湧かない日々を過ごしているので、自分の好きなことを書くカロリーも捻出できないでいる。さて、小売業には年末年始であるとかお盆とかいった休みは存在しないため、労働者が個別に休みを取る必要がある。しかし業務は労働者に容赦なく降り掛かるため、今回はそれらを避けつつ、分散した休みを取ることにした。実際のところ、冬は地元は雪に閉ざされておりろくなもんじゃなく、旅行もできない時勢ゆえ、まとまった休みをとってもやることがない。それならば分散した休みにして労働を小刻みにしたほうがいいかという目論みもある。ということで、3週連続で3連休を取得する手筈で進んでおり、昨日までがその第一弾であった。完全に気力なく、土砂のように横たわり、時間が進むことだけを待つような3日間を過ごした。ほとんど死のような安らぎ、たしかに恐ろしいほど退屈で、孤独だが、それでも幸せである。俺は知っている。こういう時に無理して出かけたりすると本当に骨折り損のくたびれ儲けになることを。駅までの自転車、立って乗る電車、街についてからの散策、これが全て、疲労となって、実りのなかった夕方に襲いかかってくるのを俺はよく知ってる。大学時代に散々やってきた。当時は若かったのでそれらの徒労を飲み込めたが、いまはもうできない。この世の終わりのように落胆してしまう。それよりは、仮死状態のようにくたばってる方がマシである。

そもそも、俺がこんなにも怠惰に慣れてしまったのは中学時代の経験が元になっている。俺は中学時代、部活に入っていなかった。帰宅部はかなりの少数派だったのだが、俺はあまり気にしていなかった。その代わり、地元のサッカークラブに所属しており、週に何回か、お遊びのようなサッカーやフットサルを楽しんでいた。俺の地元はサッカーの人気がなく、どこの中学にもサッカー部はなかったのだ(ちなみに高校でもサッカー部は不人気で、部員はカツカツ、世間的な陽キャのイメージは野球部やバスケ部の持ち物であった)。そうすると、夏休みや冬休みといった長期休みに発生するのは、莫大な余暇である。サッカークラブは学外の団体で、社会人たちのボランティアで成り立っていたため、夏休みや冬休みは関係なく、週に集まる回数は決まっていた。それ以外の時間は完全に無、なにもしない時間。友達はみんな部活に忙しく、部活に入っていない俺が遊べるほど仲の良い友達なんか全然いなかった。中学3年間、夏休みと冬休みは毎日11時頃に起きて、コンビニにグラタンと焼きおにぎりとサイダーを買いに行き、あとはずーーーーーーっとテレビの前で過ごした。今思えば恐ろしいことである。体力ありあまり、社会的な責任もなく、なんでもできる思春期の中学生が、その体力を一切使わず、ただテレビを見て過ごしていたのだ。この時すでに人生を間違えていたような気はしないではないが、俺にとって変化がないことの方が重要だった。多くの友人はテニス部や野球部といった新しい環境に没頭していったが、俺は小学校から所属していたクラブに惰性で所属し続け、結果的に暇になったので何もしていなかった、というわけだ。そんなわけで、「何も経験しないでいる」という経験を積んだ俺は、何もしていないことに対して何も感じなくなったし、特に問題なく「何もせずにいる」ことができるようになった。

できるようになったのでハッキリ言うが、こんなものはクソである。生きることは動くこと、水は流れているから綺麗でいられるが、止まれば澱み、濁っていく。何かを押し進めるのは動ける人間、そのバイタリティが世の中を、人を動かしていく。俺のようなのんべんだらりと生を怠慢で煮浸しでいるような人間は基本的には引きずられてゆくだけである。ならば自分を変えたいか?否、別に変えたくはない。俺ははっきりとした意志を持って「何もしたくない」のである。本当はこうしたいができないので諦めている、とかではない。その点、SNSはいい。最小のカロリーで最高の刺激が手に入る。刺激に対するカロリー効率がめちゃくちゃいい。スペースを使えば横になりながら社会と繋がり、友達と会話することができる。しかしそれも、金にならない限りで楽しい。もし万が一、これらに生活の一端を担わせるとすれば、つまり「楽しいことを仕事にしよう」とするならば、たちまちそれは色褪せ、また同じような苦しみがやってくるだろう。生きることは動くこと。働かざるもの食うべからず。止まっていたいものにとって生は少なからず苦しみの具象であるが、それでも生をやる必要がある。明日も売上が悪いと怒られ、在庫に首を絞められ、ウンウン唸るのがわかっている。それでもたぶん、幸運な方なのだと思って生きていく。中学の夏休み、居間でテレビを見ていたあの時間を思う。俺はいまあの頃のツケを払っているのだと。あの頃にやらなかった社会をいまやらされている、本当はあそこでレベル上げをしないとならなかったが、俺はそれをしないまま、貧弱なスキルで30を迎えてしまったのだから、と。あと何年だろうか。