赤い靴下でよければかたっぽあげる

晴れ。建物の中が暑すぎる。こんばんは、阿澄佳奈です。

いやーぬるいぬるい。仕事がぬるくて大変結構。一生このままでいいぞ。とはいいつつ、来週にはいつも通りになるんだろうなあ。

今日は仲良しの同期の誕生日だったので洋服を買ってあげた。友達といえ、誕生日にそれなりの重さのプレゼントをあげるのは好きだ。なんかあげても引かれないくらい仲良しの友人には、誕生日付近で会える時には何かをあげたい。プレゼントの金額は、あげる人の感覚や相手との関係によってかなりバラツキがあるように思われるが、今日誕生日のこの友人には10000円くらいのやつをあげた。彼女ではなく男の友人に10000円となると、俺としてはけっこう奮発してる方かなと思うが、この、え?高くない?ぐらいのやつをあげるのがいい。なんかジャニーズとかやってるじゃない?そういうの。○○くんがくれました、みたいなやつ、あれいい、あれやりたい。あとこの友人は、社会人になってからはいちばん仲良くしている友人で、俺をディズニーとフットサルに導いてくれたので恩義もあるというわけだ。

ところで、プレゼントをあげる時、少しでも自分の見返りを考えるとよくないと思う。当たり前のことなようだが、これはなかなか難しい。特に俺のような徳の低い人間にとっては、だ。というのも、俺には5〜6年前、ネットを使って毎週のように女の子にアポをとりつけ、夜な夜な会いに出掛けていた時代があった。その時に、なんの理由もないのにプレゼントを持参したことがしばしばある。服とかアクセは気持ちが重いかと思ってほとんどは食べ物にしていたのだが、安くても1500円くらいのものを渡していた。目的は言うまでもなく、俺と仲良くしてほしいからだ。もっと身も蓋もないことを言えば、そういう風にプレゼントを持参する男はモテると強烈に信じていたからだ。実際のところ、出会い頭にプレゼントを渡した女と付き合えたことは一度もない。そうすると俺の中にどんな気持ちが芽生えるか、「金と労力をかけたのに!」という逆恨みである。当たり前といえば当たり前で、自分が好きになるかどうかもわからない相手を想ってプレゼントをあげることはできない。ほとんど年貢とか税金に近い感覚であり、少なからず「俺みたいなものと会ってくれるのだし貢ぎ物の一つもないと、、、」という気持ちもあった。これは本当に最悪で、自分で毒を飲んで勝手に苦しんでいるようなものだ。意味がない。時間の無駄、金の無駄、精神の無駄である。こういう期間を経て、他人に何かをあげる時は、あげること自体が目的になる時でないと実行しないことにした。俺自身の、あげたいという欲求の達成のためにあげるのだ、という意識を強く持つようにしている。これは飯を奢るとか何か手伝うとか、そういうことも含むすべての利他的行為についてもやはり同じ意識を持つようにしている。そうしないと、また自家中毒が発生し、無用なストレスを抱え、他人を恨んで生きることになる。だから、今日の同期へのプレゼントにしても、「俺はこいつに世話になってるし好きなので、これくらいの値段のものをあげたい」という欲求がまずあり、これを達成するために活動したということである。なんでそんな高い物を?というのは上記の通り、"高めのをあげるのがかっこいいと思ってるから"である。

そんなわけで、プレゼントについて、義務とか打算ではなく、むしろ非常に利己的な動機に基づいてあげるという逆説的な姿勢を取ることで、プレゼントをするのが好きになった。プレゼントをあげるときは俺がそうしたい時しかないからだ。先日、大事な友人の一人にはディズニーパークでもらえるバースデーシールをあげた。下手に欲しいモノをあげるよりも俺らしいし、金額の代わりに手間をのせることで気持ちを示したかったのだが、概ね汲んでもらえたようでよかった。パーク中を歩き回って手の空いてるキャストを探した甲斐もあったというものだ。今日プレゼントをあげた同期も、前から欲しかったものらしく俺が思ってた倍は喜んでくれてよかった。人に喜ばれることの少ない人生を過ごしてきた(友達が少ない)ので、時おり人に喜ばれるとクセになってしまうが、うっかりするとまた自家中毒を起こすので、大したことないよ、みたいな顔して、あとで噛み締めたりするのである。