フロイデ

秋田は大雪。すごい。前が見えないレベル。こんばんは、田中美保です。

年の瀬である。10月から再スタートを切った当ブログだが、隔日の更新ながらも2ヶ月半続いており、来年もこの調子で続けていくつもりである。ブログは反応がほとんどないので、かえってやりやすい部分もある。ツイッターでは高速で流れていくタイムラインで自分のツイートがどのような煌めきを残すのかが気になってしまうが、ブログでは地に足をつけて、自分のペースで自分の書きたい量を書けるのがうれしい。

昨日も書いたとおり俺に年末年始の休みはないのだが、週次の休みがたまたま大晦日と元日に被るという奇跡が起こったため、たった2日の休みだが実家に帰ってきている。明日には再び神奈川へ戻る忙しい帰省である。とはいえ、居間で家族みんなでテレビ見て年越し、みたいな文化は我が家にはないので別室で横になりつつこうして気ままにブログを書いたりもしているわけだ。

2021年、どんな年だったかなあ。イベント的なことで言えば転職を本気で考えて行動したことは大きい。結果的に転職はしなかったわけだけど、外の世界を知ることができた。逃げようと思えば逃げられるなって思えた。結局のところ金をいくらもらえるかって大事だなあっていう考えが俺の中に大きめにあったことなどを発見できた。その時の不満が満足に変わったわけではなく、より強い不満を懸念して現状の不満に甘んじてるような状態は続いているし、意味があったかどうかはよくわかってないが、ともかく転職活動をしたっていうのは今年の印象的なできごとであった。スピリチュアル面で言えば、シン・エヴァを観たことは大きな成果だった。あれだけ他者との絶望を描いてきたエヴァが、最後の最後にあんなにハッピーな、ややともすると凡庸な、しかしやはりそこしかないというような着地を見せたことに俺はいたく感動したのだ。やはり他者と生きていくしかない。他者の痛み、喜び、喪失、陶酔、怒り、共感を抱えてそれに立ち向かい、そして手を取り合い生きていかなければならないと強く思った次第なのだ。よし、俺もちゃんと社会をやっていこうと強く気持ちを持った次第なのだ。結果何をしましたかと言われると別に何もしてないのだけど、生来、他人と関わるのが苦手で一人で遊んでばかりいた俺が少しずつ他人と生きる世界を歩んでいこうとしているここ数年(もうおじさんなのに)に、シン・エヴァのような作品が登場したことは嬉しく思うし、背中を押してもらったような気持ちになったのだ。

シン・エヴァの記事でも書いたが、俺がこの映画で最も感動したのは、ラストもラストで松任谷由実のvoyagerが流れるところで、これがそのまま、旧劇の甘き死よ来たれのアンサーとなっているところだ。

わたしがあなたと知り合えたことを

わたしがあなたを愛してたことを

死ぬまで死ぬまで誇りにしたいから

ユーミンもまさかエヴァの締めくくりに使われるとは思ってなかっただろうが、まさにエヴァが(既に旧劇から)持っていたテーマ性を総括するのにふさわしいフレーズだ。俺もこういう気持ちで他者と、世界と関わりたい。

はーーーーーー年の瀬のブログなのになぜかエヴァの話になってしまった。別にエヴァが熱烈に好きだというわけではないんだけど、『他者と共に世界を生きる』というのは、俺の中で非常に重大かつ最も苦手なテーマで、これの超克こそが、俺の30年だったと言ってもいいくらいだ。ここ数年、少しずつ社会をやっていけるようになってきており、その中で今年はシン・エヴァの後押しもあり、ひとつの着地点になったのではないかなとひとり思っている。そんな年でした。

最後に、こないだスペースで「よいお年をってどういう意味?」という話題が出ており、したり顔でコメントを飛ばしたのだが、実は俺もこの挨拶の正しい意味を知ったのは2年前くらいで、まさに社会をやり始めたあたりだった。めちゃくちゃいい挨拶だよね。良いお年をお迎えください。他人に対する思いやりがある感じがしていい。長いしなんか照れ臭いので言わないけど。これが面と向かって言えるようになったら、社会完了かもね。2021年さようなら。