おやすみってほんとにたのしぃ!

雨。さむい!はやく半ズボン履きたい。こんばんは、生駒里奈です。

さて、世間はGW、今年は特に市井のみなさん気合が入っている。別に毎年GWを定点観測しているわけではないが、こんなに街に人がいるのを見たのは久しぶりな感じがする。読者諸姉諸兄におかれましても、旅行にバーベキューに帰省にと忙しくされているだろう。

ところで、ツイッターとかその他ネットの広告を見てると、「連休がこんなにあってもなにしたらいいか」的な概念?が提起されてたりする。どういう種類の困惑だろうか。俺はやることなんか一つもなくても10連休でも20連休でも過ごしたい。連休を前にしたら「どこにいこう?何を食べよう?どれだけ昼寝をしよう?」そんなふうに悩むことはあるかもしれないが、なにをすればいいかとマイナス向きに悩むことはない。することがなければ何もしなければ良い。これは俺の解釈が穿ちすぎで、本当はみんな別に悩んでるわけではなく心から休みを満喫しているのかもしれない、これもまた、俺が他者、つまり自分とはおよそ理解不能な存在に対する興味から色々と考えてしまうのかもしれない。

大学時代、俺はサークルに入ってなかったが、実は新歓には行ったことがある。というか、あんなに入学前から情報戦が繰り広げられており、既に交友関係が固まっているものだとは思っておらず、何をどうしたらいいかもわからないまま、なんとなくフットサルサークルの新歓合宿に参加したのだ。「新歓きてないのに合宿から参加なんてやるね!」とか言われたけど何がやるね!なのかもわからなかったし、フットサルサークルというのがあんなに陽の国だとは知らなかったのだ。その中で、同じく合宿に参加してたひとりが「休みの日って何してる?」と話しかけてきて「えー、、、寝てることが多いかな、、、」と答えたのだけど(最悪)、それを聞いた彼は「なんか休みの日に何もしてないと損した気分にならない?俺は無理なんだよなー」と言っていたのをすごく覚えている。合宿先に向かうバスの中で、窓の方を見ながらつぶやくようにそう言っていた彼を今でも思い出すのだ。その時俺は、心の底から他者を感じていた。この人は俺と全然違う価値観なんだ、きっと見ている世界が全く違うんだと強烈に印象に残った。どうしても何かをしないと気が済まない人がいるのだ。何度も書いてきたように俺は平穏こそ幸せという考えで、行動した結果それが徒労に帰すことがめちゃくちゃ嫌なのであまり積極的に動くという考えがなかっただけに、当時かなり衝撃を受けたのだった(それくらい他人と関わる機会がなかった)。このGWに入る直前、ツイッターで立て続けに似たようなツイートを見た。そのどちらも、GWだからって無理に何かをする必要はないんだぜという旨のツイートだった。なんだそれ、、、と思ったものの、やはりあの時の彼を思い出す。何もせずにはいられない人を。何かをしたという証が欲しい人たちを。

少し脱線するが、以前、女性ファッション誌に非常に印象的なものがあって、ツイッターでも少し炎上気味に話題になっていた気がする。それは2016年に刊行されたDomani5月号。

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だって「幸せそう」って思われたい!すごいタイトルだ。6年経った今見てもギョッとする。これを見た当時の俺は「そういうファッショントレンドの表現だ」としていたものの、昨今のディズニー自撮り問題や"映え"などのトレンドを見るにつけ、ただのトレンドではない、時代観を示していたようにも思えるのだ。即ち、「そう見えること」と「そうであること」の境目がなくなっていっているのではないか。幸せに見えることが幸せそのものなのではないか。わたしたちは、自分の人生が幸せであったと見返したい。何かを成したのだという証が欲しい、そういう意識が、、、、、、ないか、わからん。ないのかもしれん。そんなこと陽の人は考えたりするのかしらん。昔はこんな風にひとりでぎゅ〜〜〜〜〜っと内省して世界の全てを分かったようでいたけど、色んな人と会い、社会を展開するにつけ、それが独りよがりだったなぁ、みんなアホなように見えるけどちゃんと生きてるんだよなぁと改心したので、こういうふうな決めつけも安易にしないほうがいいなぁと思ったりもする次第なのだ。そもそも俺にはGWなどない!!!何をするか迷うとかそういう問題ではない!仕事だ!したくない!えーん😭😭😭