『悪の教典』


スピンオフのクソドラマから半年以上、ようやく本編をみた。


あらすじは改めて書くまでもないので、すぐに感想を。



おおむね面白かったし、見せ場の皆殺しシークエンスも十分時間をとられて蓮見無双を楽しむことができた。撃たれて死んでいくか弱い生徒たちが、真横に吹っ飛んでみたり、どてっぱらに風穴あけられてみたり、土下座しながら死んでみたりとバリエーション豊かに散っていくのもよかった。

が、しかし、スピンオフドラマで感じた演出のアラ、ツッコミどころは相変わらずだ。


まず、まずさ、映画全編にわたる男の裸への執着はなんなの・・・映画が始まるやいなやショタの薄い胸板や滑らかな臀部が映し出されて期待不安を感じたよね。この物語には二人のインモラル教師が登場する。ひとりは、女子生徒(水野絵梨奈)の弱みを握ってセクハラを働く体育教師(山田孝之)、もう一人は中性的な美少年の生徒と禁断の愛を演じるホモ教師(平岳大)。で、女子生徒へのセクハラのシーンはぼかすだけなのに、どういうわけかホモの方は、裸の美少年が口淫に身もだえる様子がしっかり映し出されている。笑わせるな。それ以外にも伊藤英明のマッチョな裸体が何度となく登場しては見る者の劣情を煽るため、ヘテロセクシャルを自認する俺も、そっちも悪くないかという気になってくる(なるわけないだろ調子にのるな)。


気になったところはまだいくつもある。いくら夜遅い電車で、少ない乗客が寝ているとはいえ、公共の場で人を殴打、首を吊るす大仕事をやってのければ誰か気づくだろうよ。

あと、皆殺しシークエンスの前に殺した不良生徒のケータイを持ち歩いて、山田孝之から寝取って情婦にしていた女子生徒に見つかるなんてとんだドジをやらかすし、おまけにその女子生徒を殺し損ねるとはどんな詰めの甘さだ。そもそも、そろいもそろって即死するなか、学校の屋上から落とされ、頭からコンクリにぶっけて即死しないあの女子高生のタフネスさはなんなのだ。

皆殺しシークエンスでは、この女子生徒を突き落す前にパンツを脱がして、セクハラしていた体育教師の冥土の土産にするシーンがある(これが唯一のお色気で、ちょっとうれしかったゾ)が、体育教師がパンツをうけとってすぐに匂いをかぐのも意味不明だし、その匂いでセクハラしていた生徒だとわかるのも凄まじい。どれだけク○ニしたんだ。どんな匂いなんだ。教えてくれ。山田孝之は犬っぽいしな。嗅覚が鋭いのかもしれない。


物語中盤から脚光を浴び始める、アーチェリー部の少年(西井幸人)はとてもよかった。彼は文化祭準備の最中に好きな女の子に告白を試みるわけだが、どうも告白するまでもなく二人は両想いらしい。蓮見の凶行が始まってから、少年は逃げ切れたにも関わらず愛する女子を守るために学校に戻り、女子は女子で愛する男子のために、傷だらけになりながら脱出を試みる。結局、二人は逢瀬するも蓮見にみつかり、射殺されてしまう。

けど、このシーンもひっかかるところがあって、少年たちは校庭にいて、蓮見は三階にいる。かなりの距離があるにも関わらず、猟銃の一発で死んでしまう。なぜだ。散弾銃だったら、有効射程はそんなに広くないのでは。
そもそもこの蓮見がもってる散弾銃は高性能すぎる。ガラスを突き破っても的確に生徒の体を貫き、ほとんど即死だ。蓮見の射撃の腕も目を見張る。


この作品を通じて蓮見の主要な凶器になっているあの殴打用の武器もよくわからない。コンビニでもらえるような白いビニール袋に土か何かを詰め込んでハンマーのようにしたDIY精神あふれる牧歌的な武器なのだが、作中ではことごとく一撃で対象を気絶させる活躍をみせる。そんなにすごいのかあれ。とてもそうは見えないけど。



ラストには、作中つうじて蓮見に疑念を抱いていた三人組のうち二人が生還するのだけど、この二人ぜんぜん好きじゃなかったし、そりゃ生き残るか、ぐらい押せ押せで目立ってたので何も驚きがない。ひとりはなんだか口数の少なめで勘の鋭い女の子(二階堂ふみ)で、もう一人はこの子に片思いしてるっぽい不良一歩手前の少年(浅香航大)。この少年、策略をもちいて蓮見から逃げおおせるのだけど、それに際して二階堂ふみと素肌を擦り合わせるので大変うらやましい。しかし、せっかく生き残っても、女の子の方は、三人組のもう一人の男(染谷将太)(殺害される)に未練たらたらで生き残った彼は片思いのままなのだ。ざまあない。



ところで、見終わってから気づいたのだけど、原作小説を読まず、ウィキペディアも見てないっていう人がこの映画をみたとき、そもそもどうして蓮見はこんなことをするんだろう、何がしたいんだろうっていう疑問を抱くんじゃないだろうか。オーディンがどうのっていうくだりでなんとなく暗示されてるものの、明確に誰かの口から語られるわけじゃないし、サイコパスだって言われても、快楽殺人者でもないなら邪魔者を排除する必要はなかったわけで。確かにこの映画は蓮見の策略と惨殺をみせる映画かもしれないけど、だからって物語をなおざりにしていいわけではないよね。ありきたりでも一応のケリはつけておかないとならない。

続編を匂わせる終わり方をしたから、もしかして続編でその辺も明らかになるのかもしれないけど、見たいものは見られたし、別につくらなくてもいいかな・・・