『シン・シティ』

同タイトルのコミックスの原作をもつ、2005年公開のアメリカ映画。
三人の男が「罪の街」、シン・シティで繰り広げる三つのエピソードが描かれる。これらのエピソードは、物語同士の干渉はないが、同じ時間軸、世界観を共有しており、オープニングからエンディングまで一貫して一つの街の群像劇を見るという構成になっている。


この映画は全編、一部着色をされたモノクロ映像であることが特徴。非常に強いコントラストで描かれており、着色されるのは、血の赤や瞳の青など、モノトーンに映える強烈な色ばかり。自然な陰影とかいったものにはあまり重きをおかれず、耽美的といってもいい独特の雰囲気を持つ世界観だ。

この映画の予告編をテレビで見たとき、その強烈な映像に興味をもったのだが、なんだか血しぶきがとんでいたので怖くて見れずにいたことを思い出し、手に取った次第。


物語は三つとも、愛する女のために男が悪と戦うというもので、ハードボイルドな物語なのだが、車がルパンよろしく道路を跳ね回ったり、全身真黄色のいかにもアメコミなヴィランがいたりとコミカルな要素も多くある。特に、デヴォン青木演じるミホは、ああ!女殺し屋かくあらんや!といった具合でたいへん結構。



なに?あまり綺麗には見えないだ?そう思った君は美というものが分かっていない。どうせ干し柿よりもショートケーキ、おにぎりと味噌汁よりもフレンチのフルコースといった趣味だろう。何も分かっちゃいないんだ。この美しさが分からないようではまだまだケツが青い。


また、本編のエピソードは三つなのだが、もうひとり、エピソードの外で動く人物がいる。この人物の(ほんの数分の)活躍によって、エピソード毎に注目し、その接点を見つけて満足していた視界が急激にズームアウトし、この映画が「三人のタフガイたち」というよりも、「シン・シティという街」の物語であることに気付かされるのだ。この人物は、ポスターにも、恐らくDVDのパッケージにも描かれていないが、しかしこの映画内では、作品の方向性を決定的なものにする重要な人物であるように思う。パズルの最後のひとピースといった具合だ。


ところで、この『シン・シティ』というタイトルなのだが、シム・シティのもじりなのだろうか?という感じがしたんだけどどうなんだろうか。シム・シティというのは、一般的な名詞ではないと思うが、架空の都市、仮想の都市といった具合の意味らしい。文脈のない街、そこにポンとあるような街。罪の街シン・シティ・・・


ともかく、コミカルで、気の抜けたところもありながら姿勢はあくまでハードボイルド。どの男たちも、尊大な信念や正義を持っているわけじゃなく、ただ、それに値する女と意地に自らを賭して血を流すわけだ。その結果として、たとえば愛は強いだとか、暴力は悲しみしか生まないとか、そういう説教臭いことが語られるわけでない。ただ、「彼(彼女)はこの街でこう生きた」というだけなんだ。男の血沸き肉おどる武と、それを取り巻く女性の危うさ、この陰陽を特徴的な映像で抽出し、マッチョなかっこよさ全開でお届けするエンターテイメントだ。日本だったら、ルパン3世、いやカウボーイビバップとか、そういった作品に近いものがある。



首や腕が平気で飛んだりするので子供向けではないにせよ、思春期の高ぶりを忘れられない大人たちにぜひ。