『幸せへのキセキ』

地元ではもうすぐ3月だというのに寒さも降雪の勢いも増すばかりで、雪寄せに精を出す近隣住民を尻目にぬくぬくと映画をみるのも是非もなし。


この『幸せへのキセキ』、 原題『we bought a zoo』のことを知ったのは、シガーロスのフロントマン、ヨンシーの最近の活動をネットで調べていたときだ。

2008年に『残響』でそれまでのシガーロスのキャリアを刷新し、2010年にはソロアルバム『GO』を発表したヨンシー。バンドの方でもソロの方でもなかなか新譜の気配がなかったが、本作の音楽を担当していたこと、そしてその音楽がサイコーに素敵なことを知って、ようしレンタルされたら見るぞ、と思っていた。


妻を亡くし、二人の子供を一人で育てるベンジャミンは、心機一転、引っ越しをすることにしたが、新居は閉館した動物園で、敷地内にはたくさんの動物がいた・・・といったあらすじ。主演はマット・デイモン。このマット・デイモンという俳優のことはどうも好きになれない。特にマットがしこたま酷い役柄を演じていたからでも、中学時代の憎い人間に似てるわけでもない。とかく顔が苦手なのだ。あの四角い顔・・・丸く反り返った鼻・・・ミッションインポッシブル3の悪役に似ている。あの俳優、フィリップ・シーモア・ホフマンも憎たらしい顔をしていた。おまけに本作のヒロインは、冒頭で出てくるラザニア女ではなく、アベンジャーズで紅一点のブラックウィドウを演じたスカーレット・ヨハンソン。これまた苦手である。あのバタくさい顔!ミートパイ食べたあとにチェリーパイ食べてそう!


その一方で、子役は素敵な役者ばかりだった。長男ディラン役のコリン・フォードは、ハンサムだけどいかにも悪ガキって感じで、作中ではグロめな絵を好む中二病全開な反抗期、しかも童貞で女の子にはさっぱり免疫がなくてめっちゃ可愛い(作中で彼が童貞だという言及は一切ないが、ぜったい童貞だと思う)。

長女のロージー役のマギー・エリザベス・ジョーンズはこれまた本当に素敵な子役。おませさんなところはキレのある動きや表情で実年齢以上に頼れる雰囲気を出しながら、クジャクと戯れたりおとぎ話を信じたりする無垢さもちゃんと表現できてる。それらにイヤミがないのだ。必要以上に子供っぽく見せようとしてないということなのか、とかく、可愛いのだけど後味すっきり。

そしてなにより、動物園の最年少スタッフにして、反抗期ディランの、恐らく初恋の相手であろう、リリーを演じるエル・ファニングとかいう天使が最高だった。あの有名なダコタ・ファニングの妹でその才覚が早くも認められているらしいエル。背が高くてなんだか野暮ったい、作中の台詞を引用すれば「ウブな田舎の娘」を素敵に演じている。ディランとリリーのツーショットシーンはどれも初々しい煌めきに満ちていて、みているとニヤつきが止まらない。俺もあんな風にピュアに迫られたい。あんな彼女ほしい。結婚してくれ。本作の監督は『あの頃ペニーレインと』のキャメロン・クロウだが、ペニーレインといいリリーといい、絶妙な可愛さを見つけてくるもんだと思う。


その他、ベンジャミンの兄ダンカンや、個性豊かな動物園の飼育員たちなどキャラの魅力は枚挙にいとまがないが、やはり何より素晴らしいのはその音楽だ。

新たに書き下ろしたらしいテーマ曲は作中で何度も何度も使用される。その木漏れ日の足音のようなピアノの旋律は、時に痺れるほど冷たく、時に羽根のように暖かくシーンを彩り、独自の表現空間を生んでいる。また、『GO』に収録されている曲も使用されており、ファンとしてはたいそう楽しめた。そうそう、この映画音楽はヨンシーひとりによるものでなく、アレックス・ソマーズも関わっているようだ。アレックスはヨンシーのパートナーで、ヨンシー&アレックスという名義で『ライスボーイ・スリープス』というアンビエントなアルバムを制作している。シガーロスの最新作『ヴァルタリ』は、聴く限りでは、ほとんどこのヨンシー&アレックスの続きみたいなものだ。

この映画におけるヨンシーの存在は大きい。何故といって、動物園を買ったという"実話"自体はインパクトがあるものの、妻を亡くした悲しみ、息子との衝突と和解、そして新たな出発へ〜といった物語の展開自体は、正直いってそれほど新鮮なものには思えなかった。しかしそれらが、ヨンシーのプリズムのような音楽にのせられることで良い意味で指向性をもたない輝きを持つようになった。ここが監督のえらいところで、『ペニーレイン』でもそうだったが、何かひとつのテーゼをぶち上げようとか、世間様に一言ものを申してやろうとか、見たことないスペクタクルを作り上げてやろうとかいう押し付けがましさ、説教くささがなく、「ただそういう輝く物語があった」ことを表現しようとしているのだなと思う。だから見ていて気持ちがいいし、マット・デイモンだって悪くないかもと思わせる。

そんなわけで、この邦題は大変に気に入らないのだ。悲しみを抱えた家族の物語だし、『幸せの〜』とか言ってしまえば消費者にとってはわかりやすかろう。「ああ、そういう物語ね」と思う。だがそんなB級ファミリー映画と並べられてはヨンシーが泣く。原題はロージーが子供らしい興奮と未来への希望と込めて誰彼かまわず発した言葉であり、また「そういう話があった」というスタンスを示すものである。外側からの表題をつけることはどうもそぐわない感じがする。いわんや幸せの〜なんて!(しかもだぜ、日本語字幕の予告編では、亡き妻と交わした"約束"を守るために動物園を経営したかのような紹介をしている。いかにも量産型の感動家族愛物語ではないか。そういう売り方をしたために、あまつさえ、「why not?(なぜいけないの?)」というところを「約束したんだ」と訳してる!ひどすぎる!)
↓問題の予告編

http://youtu.be/YPiTjzecp4c

そんなわけで、ちょっと日本での売り方には不満があるのだが、それはこの映画の非ではない。午前中から、春を待ち遠しく思いながら三回くらい泣かされたので、ぜひ紋切り型の宣伝に惑わされず見て欲しい。