『ショーシャンクの空に』

傑作、泣ける映画、好きな映画・・・
テレビやネットでそんな話題があればこのタイトルをみないことはまずない。
俺だって名前くらいは知ってた『ショーシャンクの空に』。

ストーリーはよく知らなかったんだけど、冤罪でムショにいれられたエリート銀行員が希望を捨てずに生き抜くって話なよう。



あ、そうだ、このブログは映画だけじゃなく色んな作品なり商品なりの感想を書くことが多くなると思うんだけど、ネタバレについての配慮は一切しない。必要があれば大ドンデン返しな結末も明かす。その理由についてはまた別に書くつもりだけど、ともかく、常にネタバレはする、というスタンスで書く。



で、『ショーシャンクの空に』だけど、素朴な感想としては、面白かった。
ムショの中は罪人ばっかだし、看守も所長も不正だらけのクソ野郎で、アウトレイジを待たずして「全員悪人」だったわけだが、そこへ優秀で希望を持ったアンディーっていうイレギュラーがやってきて、いつの間にか大きな存在になっていくっていうのが前半。これ見てて、俺は「情けは人のためならず、とかそういうことかなぁ」なんて思いながら見てたんだ。でも作品の中心テーマみたいなのは後半から出てきて、要は「辛い状況下でも希望を捨てずにいれば生きられる、希望さいこう!」みたいなことだったと思うんだけど、それは別にいいのよ、なるほどと。でもさーなんか、イマイチ腑に落ちなかったってのが正直なとこ。

アンディーがどんなにみんなのために努力しても、賽の河原みたいに、すぐに所長に邪魔されたり、不正の手伝いさせられたりして追い詰められてくわけじゃん。でも「希望ガー」なんていってレッドに呆れられたりして。三分の二くらいまで、所長の汚さに胸糞わるすぎて見るのやめようとしたくらいなんだけど、きっと何らかの仕返しはするだろうなって思ったし、最初に感じた「情けは人のためならず」の印象を引きずってたから、きっとハッピーエンドさって思って見てた。
そしたらさ、脱獄しちゃったじゃん。みんなのためにせっせと働いてる影で地道に壁を掘ってさ。で、所長の不正の手伝いしてたのも実は全部計画のうちで、華麗に転身&逆転キメて解放ー!つって。

正直、えーって思ったんですわ。だってさー、希望がどうのって精神論語ったり、「本当は俺にも罪があったのかもしれない、こんな陰気な俺が妻を死なせた・・・」みたいな倫理的な話してたから、てっきりそのまま精神論でいくのかと思ったら、持ち前の能力と趣味で苦境を脱したってだけじゃないの。それで「必死に生きるか必死に死ぬか」とか言われてもねぇ・・・みたいな。仲間にビールあげるとか図書館の増設はなんだったん?ぜんぶポーズだったん?っていうね。
それならいっそ、初めから娯楽色強めにして、華麗なる脱獄劇!みたいな風にしたらもっとスッキリしたんじゃないの?という感じがあった。

小説が原作らしいから、映画だけにヤンヤ言ってもアレなのかもしんないけど、俺はまさかあんな展開になるとは思ってなかった、というよりも思いたくなかったところがあって、映画のテンションが急に変わった感じがした。とんかつ定食頼んだのに味噌汁じゃなくミネストローネがきたみたいな。パリッとしたスーツ着てるのに足元サンダルみたいな。

だから、作品が打ち出そうとしている、「いかに生きるか」みたいなものをアンディーが体現できていたとは思えなかったし、だからヒューマンドラマとしてもいまいち不完全燃焼だったような気がする。
じゃあどうなれば満足だったかというと、例えばアンディーがなんとか出所して、現実とのギャップに苦しむんだけどなんとか生きてくーとか、レッドとシャバで再会してーとか、いっそ、みんなのためを思ったけどクズ所長に痛めつけられて死んじゃうとかでもよかったのかも?ともかく、罪とはなにか?生とはなにか?悪とはなにか?そういう問いも全部、あの脱獄劇の華麗さの裏に隠れたような気がした。


とはいえ、最初にいったように、面白かったことは面白かったんよ。個人的に一番感動した、というか心が揺れたのは、仮釈放になったジイちゃんが浦島太郎よろしく変わり果てた街に馴染めずに首をくくるとこ。あのシーンをじっくりと描写したのはとてもよかったと思う。ジイちゃんが部屋の壁に「BROOKS WAS HERE」って掘ったのを見てニヤリと笑うとこなんか、もはや死ぬことだけが救いになった老人の最後のジョークであり、生の痕跡だったんだろうなと思うと胸がつまる。あと俺がジイちゃんっ子だったせいでなんだかつらくなった。


そうそう、あと、刑務所の中で『ギルダ』が見られてたのちょっと気になった。
強烈なセックスシンボルとして登場したリタ・ヘイワースや、マリリン・モンローは、囚人たちの生きる楽しみになってたんだけど、つまりそれが「希望」だったってことだし、アンディーが掘っていた穴がそういう彼女たちのポスターの裏にあったことはそういう比喩というか、希望の二つの具体的な例がオーバーラップしてたのかなぁなんて思った。