労働と自発性

曇り雨。さむーい!アウターほしくなってきた!こんばんは、関戸かのんです。

先週、ずいぶん久しぶりに研修があった。入社10年前後の次期管理職相当の社員と、現役の管理職を対象とした研修だ。弊社はある年齢(かなり若い)以上になると研修がなくなり、あとは現場で覚えろ的なところがある。近年、それは少し放任すぎるのでは的なムードが醸成され、社長が必要と考える諸々の研修(主に座学)が導入されるようになった。その新たな研修制度の第一弾が今回の研修だった。内容は経済の仕組みとか不動産のあれこれみたいな、職務とは直接関係はないものの、社会人としては必須的な知識を学ぶものだった。

その中で、講師をした部長さん(60手前)がこんな話をしていた。「"いい社員"とはなんだろうか。明確な定義はないのだろうけど、俺はいくつかの要素があると思っている。"地頭がいいこと"、"センスがあること"、"気遣いができること"の3つは必須だと思う」。ツイッターでドヤ顔で話したら総叩きに遭いそうな感じである。"地頭"とか"センス"というのは極めて曖昧な語彙で、あるようないような、話者次第でどうとでもなる概念だ。やはり、これくらいの年齢だとフワフワ定義のまま都合のいい概念を振り回すのだなあと天を仰いだのだが、それよりも気になったのは"気遣い"の方だ。部長さんはこう続けた。「たとえば今日の研修、マイクがあってプロジェクターがあって机がセッティングされている。皆さんは当たり前みたいに入ってきたけど、これ誰がセッティングしたと思います?『手伝いましょうか?やることありますか?』と聞いてくれた社員の方がこの中にいて、その方たちと私でセットしたんです。私から皆さんに手伝ってくれと言えば、そりゃ手伝うでしょうけど、それは業務命令になりますから言わないですよ。そもそも、困ってる人はね、言わないですよ。管理職になる皆さんが気付かないといけない。ただ、それが出来ないことをどうこう言うつもりはなくて、そういうことも教えないといけない時代になったんだな、と思うんです。」と。俺はその話を(マジできちぃじじいだなこいつ.....かまってちゃんかよ.....)と思ったんだが、極めて好意的に解釈するなら、「管理職として、部下が困っている、あるいは経営者になった時に社員が苦しんでいる状況で、それをスルーしてしまうようでは困る。自分から歩み寄って救いの手を差し伸べられるようにならなければならない」ということなのだろうが、喩えが悪すぎる。そもそも研修なんか会社がやりたくてやることなのだから会社が準備したらいい。それを手伝わせたいなら指示をしたらいいだろう。まあそれは本質ではないからいいとして、気遣いを教えないといけなくなった(≒気遣いのできない社員が増えた)のは、ひとつには確かに時代もあると思う。弊社のおじさんおばさんたちはよく、「お前らは言われたことしかやらない」と愚痴っている。まあ俺自身のそのケがあるし、もっと若い世代はさらにそうだと思う。ツイッターを見ていると、「労働とは即ち指示の消化である」という風潮は強く感じる。これは俺の観測範囲が狭いわけではなく、ネットに毒されてなさそうな弊社社員でもそんなところがある。こうした、0か1かみたいな世界観は確かに近年顕著になってきているような気はする。ーー根拠のない霊感で言うが、労働に限らず、訳わからんクレーマーへの過剰な対応とかデジタル化の進歩によって、世の中全体がそうした方向に動いているように感じる。機械は0か1かしか判断できないし、それに侵食された世界観はやはりグラデーションを捉えにくくなっているのではないだろうか。ーー話を戻すと、俺はそうした世界観・労働観は否定しないし、一定のキャリアまではそれでいいと思う。ただ実際は、一定以上のキャリアでは、会社としての巨大なテーゼ(=売上を増やすとか、利益を上げるとか、ブランディングを進めるとか、、、)を念頭におき、自発的にやるべきことを進めないといけないんだろうな、とも考えるようになってきた。だから、会社の将来を担う世代には、指示を待つのではなく指示をつくるようになって欲しいのだろう。ひるがえせば、「言われたことしかやらない」社員が多いのは、社員がそれ以上の仕事はしたくないからだと思う。そこまで会社のことなんか考えたくない、あんたら経営陣ほど人生を賭けたくない、と考えているからだろう。自発性のない社員を悩むより、自分たちが愛されていない、支えようと思われていないことを悩んだ方がいいのではないか。研修の準備を手伝ってくれなかったことを愚痴っている場合ではない。こうした、偉くなりたくない、そこそこでいいという観念も時代的だなあと思う。

気遣いができない社員が多いもうひとつの理由は、弊社のベテラン社員はみんな、上層部の朝令暮改に振り回され、自分のやりたいことよりも会社のやりたいことを優先され続けてきている。その中で自我を折られ、会社に迎合するのに慣れきってしまっている。最初は自主性があって気遣いもできる社員だったとしても、そのうちに心を折られ、上の言うことを待つか会社を去るかの2択になっている。俺が弊社に10年近く在籍して感じるのは、弊社社員の自発性の無さ(これは確かにある)は、会社の環境が、結果的にそういう人材を育ててしまっていると感じる。これを会社がどれくらい自覚できているのかは微妙だが、上の指示を待つのが最も効率的な生存戦略であるのは多くの人間が認めているようだ。ではどうなったらいいか?と問われるとまたなかなか難しいが、とりあえず社員が新しいことをやろうとしたら応援する、投資する姿勢を見せたらどうか、とは思う。あれがないからできない、現場が大変だからやれない、売上が見込めないからやらない、そんなことでは新しいことに臨む社員はいない。革新的で、ローコストで、売上も上がる、そんなミラクルな閃きだけを待っていても社員は萎えるだけではないか。

はーーー超愚痴った。俺も偉くなりたくねーなーーーー