語尾をまねるのもほどほどに

晴れ、涼しい。いい加減にしろ。こんばんは、林佑香です。

初めてVtuberを面白いと思った。壱百満天原(ひゃくまんてんばら)サロメにじさんじ所属のVtuberで、デビューから僅か2週間でチャンネル登録者数100万人を突破する驚異的な勢いを発揮している配信者である。そもそも、俺はあまりVtuberに明るくない。キズナアイも"分裂"する前の少しの期間しか知らないし、のじゃロリおじさんは辛うじて、あとは全く知らないと言っていい。ただ、Vtuberという文化があることと、その見方をなんとなく分かっている程度であった。俺はYouTubeに課金しているヘビーユーザーで、たしかにアニメであるとか、そういうオタク文化に傾倒していることはYouTubeにバレバレであるからして、上記の凄まじい勢いのサロメ嬢をリコメンドしてくるのは当然の流れといえばそうである。また、同様の理由からTwitterのタイムラインでも話題が散見されたので、試しに見てみるか、まぁどうせちょっとイタイ配信なんだろ?くらいの感覚で動画を一つ見てみた。それがなかなかどうして、見応えがあって面白い。いわゆるお嬢様キャラで、「〜ですわ」という語尾や「お○○(任意の名詞)」という接頭語など、フィクショナルなお嬢様口調でゲーム実況をする。アバターは縦巻きロールでゴスロリ風衣装。まあ、これだけでは何も面白そうではない。おまけに実況するのはバイオハザード。ここ数年で散々擦られてきたよくあるそれである。面白いのは、実際の配信の中でそのキャラクターが徹底的に練り上げられていること。咄嗟のタイミングでお嬢様ではなく素が出てくる、みたいなありがちなポイントの稼ぎ方をせず、徹底的にお嬢様キャラとして面白いという点がいい。語彙力もあり、おそらくアラサーくらいなのだろう、同年代の人間が通ってきたオタク的な文脈をきちんと踏まえている。また、語尾の「〜ですわ」だの「〜しますのよ」みたいなセリフが非常に自然に(?)飛び出し、その音程やリズムが恐ろしく安定してブレない。おそらく以前から配信活動はしていたのであろう、ひとりで喋ることに不安感がなく、テンポも良い。声量をあげてウケを取りにいくポイントもシュールで面白いし、ゲーム慣れしているから、下手ではあるもののゲームの展開の呑み込みが早いからストレスがない。また、2〜3時間平気で配信し、それをそのままアーカイブする配信者が多い中、1時間〜1時間半くらいの尺で納めているのも見やすくて良い。素の人格の破天荒さというよりも、キャラクターと配信者としてのクオリティの練り上げが面白いという感じである。

実に偶然なのだが、サロメ嬢を知る数日前に、全く知らないVtuberの女の子たちがエイペックスをやりながらなんやら会話し合うシーンの切り抜き集みたいな動画をみていた。そこでは各人のキャラクター性とかはもはや無く、アニメキャラの皮を被った、ちょっと口の立つ素人集団が仲良く話しているという感じだった。面白いか?といえば、それはそれで面白い。Twitterのスペースとか、ツイキャス、ラジオトークなど、素人の配信が当たり前になったいま、女の子たちが、それでもリスナーをある程度意識して会話していることだけで、それなりの楽しさがあるのだ。ただ、特に心を惹かれたのは、スーパーチャット(投げ銭。以下スパチャ)に対するリアクションである。スパチャは配信者の収益に大きく影響するため、膨大なコメントの中でもスパチャについては読み上げを行う配信者は少なくない。そうした配信者は、スパチャに対して定型文的なコメントを用意しており、読み上げの後に付け加えることもあるようだ。たまたま見ていた動画でもそうした定型文的リアクションはされていたのだが、そのコメントが妙にグッときたのである。別に何も珍しいことは言っていない。「スーパーチャットありがとてんきゅう!」と流れ作業のように言うだけだ。なぜそれがぐっときたのか?それはまた後で説明するが、ともかくサロメ嬢は、そうしたアニメの皮を被せた小娘では無く、あくまでキャラクターとして実況をする面白さのレベルが高く、気に入ったのである。そもそもお嬢様キャラというのは、どこまで遡ればいいのかわからないくらい古くから日本人に愛されてきたミームであり、ゲーミングお嬢様のブームも手伝い、俄かにお嬢様の人気が再興している。ネット上を飛び交う言葉はいつも汚い。多くのVtuberだいたいアホで、彼ら彼女らの使う言葉もやはり汚いので、それらのカウンター的なニーズでの人気もあるのかもしれない。それだけ練り上げているかと思うと、そのキャラとしての皮膜は存外薄く、雑談配信やゲーム実況の端々では、自身が関西出身で実家に住んでいること、10代は不登校で大学も中退していることなどをあっけらかんと話している。このキャラクターとは別の素の人格が垣間見られる瞬間、さきのスパチャ返信定型文を聞いた時と同じようなグッときた感があった。それらは何かというと、即ち、虚構と現実の揺らぎである。この揺らぎにこそVtuberの魅力があるなと痛感した。アニメの皮を被った現実だけではダメだし、本当に骨の髄まで虚構で固めたフィクションでもいけない。虚構の中に現実が漏れ出すことで、アバターに人格が宿る。大事なのはこの揺らぎそのもの、麗しいフィクションの向こう側に、生々しい人格が透けているこの二重の状態にあることではじめて、ガワの中に肉が宿る。そうして初めてそれを愛することができる。Vtuberのファンは、あくまでVtuberとしてのそれを愛しているのだと思っている。現実だけを愛するためにはガワは邪魔だし、ガワだけを愛するには現実の人格は鬱陶しい。その揺らぎを持つ曖昧な存在として、受肉された二次元、フィクション化した三次元として愛しているのだと俺は想像している。もっとも、それは決して「アイドルとファンとして適切な距離を持って愛している」というお行儀の良い関係を望んでいるということを意味しているわけではないのだろうが。

少し長くなったので今日はこの辺にしておくが、この件ではもう少し考えていることがある。ひとつはVtuberの人気とスパチャについて。もうひとつは"たまたま成功すること"について、だ。これらの話はまたこんど書こうと思う。