どんないろがすき

晴れ。いい感じの冷え方。こんばんは、榮倉奈々です。

ここのところ、加齢を感じることが本当に多い。たとえば階段一つ登るのでも、5年前なら駿馬に羽の生えたるが如し、あっという間に登れたが、最近はヒイヒイフウフウと呼吸を乱しながらでないと登りきれないし、小走りしただけで肺の中身を全て入れ替える勢いで息切れする、全力疾走した日には半日は呼吸が戻らない(言い過ぎ)し、両膝の痛みがオマケについてくる。

さらに年齢を感じるのが食事だ。油に本当に弱くなった。二郎を一杯食べるのでも、後半は胃のキャパよりも油に閉口してくるし、今日は夜に天丼を食べたが、やはり油がきつくなってくる。もちろん胃のキャパも厳しくなってきている。二郎は最近では麺少なめオーダーをすることも増えた(デブはなんでも二郎基準である)。

かなしい。動けなくなることも、食べられなくなることも。情けなく感じてくる。8,9年前だろうか、学生の時分に、当時40代半ばくらいだった教授のブログをのぞいていたら、「今まで好きだったもの、文学とかバレエとか、そういうものへの熱がどんどんなくなってきている。これは死への準備なのだと思う。現世に未練なく死んでゆけるように」みたいなことが書いてあり、非常に印象に残っていたのだが、こうして食べたいものも食べられず、動かしたい体も動かない。服にもディズニーにもいつか関心を失い、何にも心が動かなくなり死んでいくのかなあとぼんやり思ったりするのだ。

どんな色が好き、という童謡がある。『どんな色が好き/赤い色が好き/一番先になくなるよ赤いクレヨン』である。好きな色からなくなっていった結果、あとに残るのは興味のない色だけが積み上がったクレヨンケース。それで描かれる絵もまた、興味のないものになるだろう。失くすだけではない人生を歩んでいこうなみんな。