言うっきゃないかもねそんなときにはね

雨のち晴れ。暖かいどころかなんなら暑い。こんばんは、益若つばさです。

今週は業務が楽で気分がいい。体力的にも余裕がある。

いま俺は若い後輩と仕事を一緒にしていて、彼女はよく仕事ができるので大変ありがたいが、これまでの新人には、残念ながら業務に馴染めなかった人もいる。他人について、『あいつは言われたことしかできない』という表現がある。主にネガティブな評価を表す言い方だけど、俺も確かに「こいつ言われたことしかやんねーな、、、、」と思うことがある。ただこの表現について、(俺が観測する限りでの)ツイッターでは批判的な意見が多い。例えば、ネット好みの話題へ置き換えるなら、家事の主担当たる妻が、夫に調味料等の買い物を頼んだところ、いつも使っている銘柄やサイズでないものを買ってくるとか、家族での使用量をはるかに下回る(あるいは上回る)量を買ってくる、といった愚痴がある。しかしよくよく聞いてみると、当初の指示は「醤油を買ってきて」とだけ伝えられており、夫としては『言われたことはこなしている』わけである。こうした愚痴はツイッターユーザーの大好物であり、何度同じ話題が出てきても盛り上がる。だいたい、「家のことに関心がない、思いやりがないからそういうことをする!使えない男!」という妻擁護派と、「指示を明確に出さない方が悪い」という夫擁護派に分かれるのだけど、まぁどっちにもそれなりに理はあるようにも思える。かくいう俺は、昔は「正確な指示を出してない方が悪い」派だったのだが、社会人を7年もやっていると、指示の正確性に全て帰責させるのは無理があるという考えになってきた。

そもそも、『言われたことしかできない』のはいけないことなのか?逆に『言われたことは全部できる』と表現すると、急にめちゃくちゃ優秀な雰囲気が出てくるではないか。思うに、この二つの表現の印象の差は、想定されている『言われたこと』の差によって生まれている。さきの買い物の例で言うと、『言われたことしかできない』人にとっての『言われたこと』は「醤油を買ってくる」ということだけだが、『言われたことは全てできる』人にとってのそれは、「普段の調味料の補充」である。『言われたこと』つまり『指示』というのは、字義通りに受け取るならば、基本的には単なる身体操作でしかないことが多い。物を運ぶことも、パソコンで資料を作ることも、醤油を買ってくるのも身体を駆使して行うことだし、その方法はあらかた身についている。しかし、実際のところ、『指示』には言外の意図がある。『指示』には大抵、目指すべき未来が同伴しているのだ。言い換えるならば、『指示』とは常に手段であり、その先には目的が存在する(『指示』=目的となるケースがないわけではない。例えば「昨年の105%の売上をつくれ」とか「赤ちゃんを寝かしつけて」とか、その『指示』の達成がそのまま目的達成となるものもある。もっとも、それさえも「よりよい会社運営」とか「よりよい暮らし」を目的とした手段であるともいえるが)。

これを踏まえると『言われたことしかできない』という表現の意味するところがより判然としてくるのではないか。本来は手段であるはずの『指示』を目的と履き違えたため、望むべき結果を得られない、つまり、『言われたことしかできない』というのは『目的意識を持っていない』と表現し直せるのではないか。さらに言うならば『言われたことをやれば済むレベルのことしかやっていない』とも言えるだろう。売上105%つくれ、と言われてきっちり105%つくる人間に『言われたことしかできない』とは言わない。何故ならその『指示』の達成のためには、その『指示』で言われていること以外の多くの業務や判断がなされなければならないからだ。さきの買い物の例を再度持ち出すと、いつもは大容量の減塩醤油を使っている家庭なのに、300mlくらいのだし醤油を買ってきちゃう夫については、『指示』本来の目的である「普段の調味料の補充」は達成されていないわけで、彼は「醤油を買ってくる」ことの意味を理解していなかったことになる。それについて、家庭への気持がないと指摘されるのはまぁ無理ないことだろうと、最近は思う。どの醤油かわからなければ聞けばいいのだから。反対に、「そうは言っても人と人なのだからきちんと話したらいい」という意見もまぁわからないではない。そんなにキレるくらいなら初めから細かく『指示』をしておけ、というのは一理あるところではあるが、そもそも『指示』というのはそんなに正確にはできないのではないか、と思っている。それは言語の伝達における不確実性とパラレルになっていて、「わたしの言ったことが意図通りに伝わらない」というごく素朴な実感にも支えられている不安定さである。それに加えて『指示』とその(目的の)達成の間には、少なからず実行者の意思が介されている。だから、『指示』を達成した状態というのは、その『指示』をした者と、それを実行した者の間で出来栄えの様相が異なっていることがほとんどで、同じ目的で着地していれば概ねヨシ、という運用がされているのだと思う。

うーん、なんかとっ散らかった感じになってしまった気がするが、最後に、俺が『言われたことしかできない論』で感じていることを素直に書いておく。下っ端で業務の目的もわからないピヨピヨちゃんならまだしもいい歳した若手〜中堅社員で、もしくは出逢いたてではなくそれなりの深さにある関係性において、『言われてない(=言葉の上にはない)からできません』というのは他者と生きる世界というのをナメすぎだと思うので、基本的にはその先の目的を見据えていきましょうよ、と思う30歳の12月である。