文は人なり

曇りのち晴れ。冷えてますね。こんばんは、中条あやみです。

もう前回の更新から1週間!はやすぎる。週一更新がやっとである。ところで、俺は自分の文章が好きだ。読み返すと言葉が足りなかったり、筋道が整ってなかったりするが、カロリーが高く粘度の高い感じが好きだ。気の利いたボケを混ぜたり過度な比喩表現をしていないのに何故かやたら長いセンテンス、読み手の満足度よりも自分の気持ちの充填度が優先されたテキスト。誰も興味ないとは思うが、俺の文章にはいくつかの下敷きがある。中学の頃に読んでた夏目漱石、高校の頃に読んでた安部公房、大学の頃に読んでいた哲学書の翻訳本が主なそれ、特に哲学書の翻訳調の文章はやたら回りくどくて、それがどこかカッコよくて見えていた。それらを鍋に入れて、自意識というお出汁で満たしてグツグツと炊いたのがこの文章である。"その"とか"それ"みたいな指示がやたら多いのは哲学書の影響である。(←この"である"もそう)

文は人なり、と大学時に世話になった教授がよく言っていた。文章にはその人の本性が現れると。俺がどれだけ文豪とか翻訳家から影響を受けてその文体を真似しようと、やはりそこには俺の個性が表現されるのだとおもう、し、個性とはやはり、表現しまいとしたときにこそ表現されがちだよなあと感じることしきりである。