雨が降っていたような降らなかったような。こんばんは、桜井日奈子です。
結局、いちにち中ロストジャッジメントをプレイしていた。メインストーリーは全く進んでいない。部屋から出た方がいいなぁと思ったけど、昼ごはんは食べず、夜にウーバーイーツですた丼を頼んで食べたので部屋から出ることはなかった。
ウーバーイーツ、ここ2年で急速に浸透したビジネスだが、自分で持ち帰るのに比べてあまりに高くつくのでびっくりする。その店で普通に食べる、もしくは持ち帰るのに比べて1.5倍くらい高いような気がする(調べてるわけではないが)。ウーバーにとられる手数料とかあるんだろう。更に言うと、ふだん店で食べているものを持ち帰った時もしくは配達してもらった時の、美味しさの落ち込み方にも驚く。出来立てというのはかなり優秀な調味料らしい。少し冷めることで脂の美味しさなども半減してしまい、店で食べる0.8倍くらいの美味しさである。つまり俺は、0.8倍の美味しさを1.5倍の値段払って買っているわけである。
俺を、この非合理きわまりない消費活動へ突き動かすのは、ひとえに強烈な怠惰である。外に出たくない、というシンプルな動機からである。動機はシンプルだが、その具体的な理由は色々とある。まず服を着なければならない。俺は家ではTシャツしか着ていないことが多い。これは本当に書いてある通りで、Tシャツ以外は何も身につけていないのである。外に出たらすぐにお縄になるため、何かをはく必要がある。なんなら、唯一身につけているTシャツすら、最近は表裏を逆にして着ている。縫製や内タグが肌に触れるのがストレスだからだ。なので、出かけるときは、わざわざひっくり返して着てるTシャツを再度ひっくり返さなければならない。面倒である。第二に、何か帽子を被らなければならない。俺は癖っ毛で、シャワーを浴びないと頭がボンバーになっている。あまりに社会性のないヘアなので、近所にはいつも帽子をかぶって出かける。これもまた面倒だ。第三に、外に出ることによって少なからず他者から受けるストレスがある。自転車でスーパーまでいくことになるが、決して広くはない道幅だが歩行者は多く、車の交通量も多い。自転車にとっては走りにくい環境だ。歩行者が邪魔だなあ、車も来てて危ないなあ、あの自転車は高齢者か・・・やれやれ・・・などと、周囲にたくさんの意識を配りながら、お水だの弁当だのを買ってこなければならない。結局のところ、部屋の外へ出ることによって生じる多くのストレスに対して、得られるものの収益が少なすぎるということだ。逆に言えば、0.8倍の美味しさに1.5倍の代金払ってウーバーを頼んだとしても、これらのストレスを受けないこととのバランスがとれているというわけだ。
俺には、暫定的に採用している、幸せの定義がある。幸せとは「苦しみがないこと」だ。だいたいハタチくらいからこれを採用している。仏教のそれに近い考えと思う。平穏、安寧。それが幸せ。もちろん、楽しさや嬉しさはあるに越したことはない。楽しいことや嬉しいことがなんのコスト(苦しみ)もなしに訪れることはあまりないが、そこの収支がプラスになった時、ある程度のスパンで見たときに、幸せな時間だったと捉えることができるんだと思う。だから別に、俺は閉じこもってストレスから逃れ続けるのが善いと言いたいわけではないのだが、もはや部屋でゲームすることくらいしか楽しいことも思いつかない休日には、ウーバーイーツに高い金払って、ぬるいご飯を食べる方が幸せに近くなる、ということをただ言いたいだけなんだ俺は。