"経営者視点を持って仕事しよう"←サラリーマンは経営者ではない件www みたいな話

晴れ。さむさあり、しっかり防寒。こんばんは、清川果林です。

今日、後輩がとあるミスをした。そのミスは、彼の知識不足から発生したものだったが、上司がそれについて説教をしていて、「俺が新人の頃(15年前くらい?)は、知らないなんて理由でミスするのは許されなかった。賃金をもらっているのだから、業務に関わることで、習ってないとか知らないなんてことで損失を出してはいけない、と教わってたんだが、最近の若い子達は、平気で「でもそれ習ってないので」って返してくる。俺はそれはよくない気がする」と話していた(別にこの後輩がそう返したわけではないが、2年前ほどに俺と仕事をしていた後輩がマジでこの返しをしてきたことはある)。確かに、会社とサラリーマンの間の距離感は、ここ10年くらいでかなり変わっている感じがする。"労働とは指示されたことを実行するものであり、指示や教育から漏れたものは私の責任ではない"という姿勢は、若い子にかなり強く感じるし、俺自身も比較的若い世代なのでそうした思いが無いでもない。俺が年を取って老害化したというよりは、世代的な感覚として強まっているように思える。歴史を紐解くと、"ブラック企業"という言葉が生まれたのは2001年頃、映画にもなった『ブラック企業に勤めているんだが〜』は2008年に発表された。この辺りから、会社というのがひとつの大きな敵対存在として、労働者(自分)と切り分けて認識されるようになってきたのではないか。ニートという言葉が流行り出したのも2000年代初頭で、伝説の「働いたら負けかなと思っている」ニキの登場も2004年だ。奇しくも、労働に積極的にコミットしようとする若者を"意識高い系"と呼び始めたのも2000年代半ばくらいからだ。言うまでもなく"意識高い系"は嘲笑のニュアンスを含んだミームだったから、その辺りから、労働をやりたくないものと前提し、それでも働かないと生きていけないという厭労働観みたいなものが醸成されていった、としたらどうだろう。いま25〜6歳くらいの若者たちは1998年くらいの生まれだから、物心ついた時には既に、労働とはやりたくないもの、企業とは自分の人生を食らう悪き存在だというムードがあったとしたら。

「教わってないことは出来ない」というのは、そういう仕事をやる専門として雇われている場合には正しいかもしれないが、やはり"甘えてる"と認識されても仕方ないとは思う。これは10年ほど社会人をやってようやくうっすら感じてきたことだが、特に企業勤めの場合、エクセルに数字を入力するとかメールを返すとかっていうのは仕事の本質ではなく、その先の先にあるであろう、会社の利益の増大のために行う手段にすぎない。社員に課せられているのは会社の利益の増大であり、それにまつわる多種多様な手段を分掌されているにすぎない。突飛な言い方をすれば、仕事とは本質的ではないことばかりを教わっており、最も重要な点については自身が逐次判断しなければならないことが多々あるような気さえする。しかして、「じゃ、利益の増大頼むよ!」と言われてもできないから、逆説的にそうなっている感じもある。だから、分からないことは分かる人に聞いて、適切な作業を行わなければならない。しかし厭労働観が染みていると、どうしてそんなことを自主的にやらないといけないのか?そっちが教えろよ、と思うので、やらない。わたし(労働者)と企業を切り離しているからだ。ツイッターを見てても、種々の不祥事について「企業がちゃんとマネジメントしてないからだ」的な批判が散見されるのもそうだ。俺は、企業と個人はそんなに切り離されていないと思う。というか、企業は個人の集合なので企業を批判するというのは結局誰か個人を批判するということになる。その誰かもまたあなたと同じ労働者であるのだが。だから、「教わってないことは出来ない」のはそれだけ企業活動に参画する意欲がないからで、社会人のくせに会社側にあんよが上手とやってもらわないと仕事もできないヒヨコちゃんに見える。

ところで、改めて、「教わってないことは出来ない」のはどれだけ会社の責任で、どれだけ個人の責任なのだろうか。言い換えれば、労働者はどれくらい自主的に労働に参画する必要があるのだろうか。どの視点から見るかにもよる。その個人の周囲の人、特に上司とか経営者にとっては、意欲的であればあるほどいい。コストあたりのパフォーマンスがあがるから、非常に効率がいい投資になる。後輩たちにとっては微妙だろう。意欲的な人はしばしば、他の人にもそれを求めるから、そこまでしたくねーわという人にとっては鬱陶しい。個人自身としては、、、元も子もないことを言ってしまうが、当人がどうなりたいかによる。最近は、「この世は、個人のしようと思ったことは何でもでき、相応の結果が発生するだけ」という信念が強くなっており、相応の結果を受け止める覚悟さえあるなら何でもしたら、と思うことが多い。それに、「教わってない〜」と言う子はだいたい「偉くなりたくない」「ずっと下っ端がいい」と言ってる子が多いので、実際首尾一貫してるとも言える。ただ、企業としては成長する気がない人材を正社員としては飼っておけないので、そうした姿勢を続ける限りは苦悩が解決されることはないなあとも思う。だから、俺としては、「教わってない〜」は"甘え"だし、ナメたやつだなとは思うが、それでも誤りだとは思わないし、正しいとも思わないという曖昧な受け止めをしている。時代の変遷の中で、労働への価値観が変わり、学校気分で仕事をする人も多いと思う(俺もそういうところはある)。ただ、学校のようにインプットをアウトプットするだけのことを目指す場ではないので、当然求められる姿勢も変わってくる。学校で通じる理屈も通るわけではない。他方で、自分を労働へ投げ込みたくないという気持ちもめちゃくちゃわかるから、知らねーことはできねーんだよという悪態を切り捨てる気にもならない。オラオラ仕事するのとほどほどにやっていきたいのと、どちらの価値観が正しいのか判断する気にはならないが、仕事はきっちりやらないといけないとは思う。自分の実存と労働との距離を保ちながら、パフォーマンスを上げる方法を模索するというのが現代のダウナービジネスマンに必要なスキルなのかもしれませんな。