あいさつの魔法

晴れ。もっと寒くてもいいような?こんばんは、ちとせよしのです。

年の瀬であり、弊社内ではそこここで挨拶が交わされている。今年もお世話になりました、来年もよろしくお願いします、と。社内の人間同士でそういう挨拶をするのが普通なのかはわからないが、弊社はそういう風習がある。年明けも同様だ。

ところで、俺は挨拶が苦手だ。31歳にもなって情けない話だが、挨拶が不得意でうまく言えない。子供の頃はおはよう、ありがとう、ごめんなさいとかもなかなか言えなくて、父親によく怒られていた。流石にそうしたコミュニケーションの肝となるような挨拶はかなりできるようになったが、時候の挨拶的なものは未だにかなり苦手である。理由を探るに、芝居めいた口上に虚しさと恥ずかしさを感じることがひとつ、職場において、年の瀬だから挨拶をするという文化がそもそもよく理解できなくて気持ちがのってこないというのがひとつ、あとは、自分の気持ちを表明するということに妙なプレッシャーを感じるというのがある。この最後のやつは、挨拶全般に対する苦手意識の根幹でもある。いや、その、挨拶というのは基本的には形式的な口上に過ぎず、気持ちが乗る乗らないはともかくカタにはめることが大事なのだということはわかっているつもりだ。それでも言葉には力があるので、自分の気持ちを表明するのはそれなりの重みがあるのだと思っている。言うまでもなく、気持ちの表明は、人間関係においては一歩踏み込んだ間合いでのコミュニケーションであり、急所をさらすような営みでもある。他者の恐怖をうっすらと抱えながら生きる人間にとって、やはり一発気合のいる行動に感じてしまうのだ。「いや、向こうも思ってないこと言ってるし、貴方の言ったことも重くは受け止めてないよ、自意識過剰だよ、太ってるよ」とお思いだろうか。その実感もわかってはいるつもりだが、俺はそういう理性的理解より先に言葉の意味が現前してしまうタイプなようで、あとから「まあたいした意味はないよな」と思い直すことはできても、その場では言葉が先に立ってしまう。なので、この年末の挨拶も苦手である。別にお世話になったとか思ってないし、金だけで繋がる関係だし。

でも、これを読んでいる貴方にはお世話になったと思う。会ったこともないかもしれないが、うっすらとしてゆるい、繋がりとも言えないような連帯が俺を支えることもあるのだから。